屋久島で触発されたこと〜生死の問題など〜

 屋久島に行ってきた。屋久島の自然に、触発されることが多かった。今回、屋久島を訪れたのは、「風の旅人」のVol.26(6/1)で、LIFE ITSELF〜生そのもの〜というテーマで特集するためだ。

 現代社会に広く浸透している認識では、赤ん坊や子供は大人になっていく過程とみなされ、老年は、完成したものが衰えていく過程としてみなされる傾向があるが、そうではなく、子供も成人も老人も、その局面ごとに、それじたいで唯一のものとして完成している。

 生きることは、自分と世界のあいだの微妙なバランスのなかで成立する精密な運動であるから、どの局面も不完全ではあり得えない。生成や崩壊の危うい状態であっても、「生」は完成している。いたいけなもの、あわれなもの、さびれたものが人間の心を捉えるのは、そこから漂う「死」の気配が、「生」の奇跡的なバランスを再認識させるからだろう。

「生」の運動は極めて精巧であるがゆえに、「生」を全うしているものからは、同時に、「死」の気配も漂っている。そして、「死」の気配が濃厚なものほど、「生」の気配も濃厚になる。「生」あることのかけがえのなさは、宿命的な「死」と深くつながっている。

という考えが、この号の特集の元になっている。

 屋久島に行く前、尊敬する動物行動学者の日高敏隆さんとお会いしてお話ししている時、昆虫の幼虫と、蛹と成虫の話しが突然出た。蝉の幼虫は、土の中で植物の根から養分を吸収して、数年の間、生き続ける。そして、土から木に上って成虫になり、数日で死ぬ。これまでは、幼虫は成虫に至るまでの過程と位置づけられていたが、そうではなく、幼虫は幼虫の方法と形で、成虫は成虫の方法と形で、生を全うしているという話しになった。地中は、敵が少ない。しかし、養分も少ない。だから、長い年月を生き続けることができる。蝉の幼虫を見ると、「幼い」という漢字のイメージはなく、とても強かな印象を受ける。一つの生き物として完成した面構えをしている。

 木の上は、食べるものも豊富であるが、敵も多い。だから、蝉は、生き急ぐようにして生きる。長い短いではなく、それもまた、生としての完成形なのだ、という話しだった。

 そうした話しの後、屋久島に行った。屋久島は、一月に35日雨が降るといわれるほど、降水量が多い。しかも、花崗岩の岩石の島で、土地が痩せている。腐葉土もまた勢いよく雨に流され、作物が育ちにくい環境なのだ。そうした悪条件のなか生き続けた植物は、独特の生存様式を身につけている。森の中を散策している時にすぐに気が付くことは、着生植物(屋久島では寄生と言わないそうだ)ばかりであるということだ。一本の木が倒れても、その上に落ちた種が発芽して新しい生命現象が始まる。土の上に落ちた種は雨に流されてしまう。しかも、地面は栄養豊かとは言えない。木の上で、倒木から栄養分を吸い上げながら育ち、育ちながら根を大地まで下ろしている植物ばかりが目につく。幹と根の部分、そして、いったんは死んだ植物と新しく生きている植物が、一つの植物体として何体もつながり、地上におどろおどろしい姿をさらしている。そこには、幹と根の境も、生と死の境もない。

 また、屋久島では、1000年以上の樹齢のある杉のことを屋久杉と呼んで特別扱いしているが、この地の杉は、土壌の栄養分が少ないために、ゆっくりと時間をかけて成長し、その結果として長命になっているのだと説明を受けた。確かに、他の地方の杉と比べると、年輪の幅が極端に狭い。だから、樹齢1000年近くある杉でも、随分と細い。伊勢神宮に行った時、随分と太く立派な杉が何本もあって、樹齢を尋ねたら、ほんの200年とか300年と言われて、意外な思いがしたが、屋久杉は、その逆に、伊勢神宮だと100年くらいの太さの杉が、1000年生きているのだ。

 自然環境が苛酷で栄養分が少ないから、じっくりと自分を整えながら生きる。この事実は、とても示唆に富んでいる。現代社会は、たとえば身体に必要なものを摂取するという理由でビタミン剤が流行っているが、ビタミン剤を摂取すればするほど、他のビタミン剤が必要になって、何種類ものサプリメントを用意している人が多い。その理由は、科学的な証明ではどうなのかはしらないが(どうでもいいが)、外から必要なものを与えすぎることによって、自分の身体が、自分の身体にとって必要なものをつくり出す機能を低下させてしまうからではないだろうか。化粧品などでも、若い時から高級スキンケア商品を使うと、年とともに、より高級なものを使わざるを得なくなると聞く。

 また、私が知っている寿命の長い人の多くは、粗食だ。

 「栄養」とか「知識・情報」とか、生きていく上で必要だからという発想で、現代人は子供たちにできるだけたくさん与えた方がよいと考える癖がある。しかし、与えれば与えるほど、子供たちの内側から生じる、智慧をはじめとする「生きる力」が殺がれていく可能性があるのではないか。ある程度放っておいた方が、生物体は、自分の内側から生きていくための必然性を自ら作りだしやすいのではないか。

 自分の子供を観察していると、誰に教わったわけでもなく、いつのまにか自分の習性としてスタイルをもってやっていることが多いことに気付き、不思議に思うことがある。私の息子(幼稚園の年中)は、自分の布団を敷くことが役割だが、その際、シーツの端っこをきっちりと揃えないと気が済まない。私がふざけて崩すと、すごく怒る。そういう躾をしたことはないのだけど。その兄の小三の息子は、「寝られれば一緒でしょ」と言って、シーツが乱れていようが、まるで気にしない。こうした違いはいったい何に起因するのだろうと、いつも不思議なのだ。

 話が逸れてしまったが、屋久杉は、千年くらいまでの樹の樹皮は、普通の杉らしく縦にきれいな筋が入っているのだが、千年を超えたあたりから、木の表面がモコモコと瘤のように膨れあがったりして、不気味な形相になる。カオス状になってしまうのだ。

 切られた木の年輪を見ても、千年くらいまでは、きれいな円になっていて、東西南北の幅に大した差はない。日当たりが良い方が極端に大きくなるわけでなく、全体の秩序をきれいに保ちながら、円を積み重ねている。それが千年すぎから、東西南北、好き勝手なところに広がったりしている。ひとたび、秩序のバランスが崩れると、乱流状態になって、乱れが激しくなっていく。その形は、まるで生命エネルギーの奔放な流れそのもののような気がしてくる。若い時は、その奔放な流れを秩序ある緊張感で制していて、ある時期を超えると、堰を切ったように、自在になるのだ。おそらく、木が若く細い時に、そのような奔放さを発揮すると、木は生体として維持するための秩序を自ら破壊してしまう。ある程度の厚みを完成させた後だと、その上に重ねられていく部分が思う存分好きなことをしても、木は自らを支えることができる。屋久杉の年輪を見ていて、そういうことを想像した。そして、このことは、他の生き物全体に言えることではないかと連想した。蝶でも蝉でも、初期段階における生存様式は、地道で堅実で、行動範囲も狭い。そして、ある時期から、奔放に飛び回る。人間の場合もまた同じだろう。ある程度の厚みを蓄積してこそ、真に自由になれる。どちらが発展段階で、どちらが完成段階というわけではない。それぞれの時期の自らの状況と環境に応じた様式で、それぞれ完成した生き方をしている。親の庇護が必要な時期は、親の庇護が受けやすいような条件を自ら整え、それが必要なくなったら、その条件を放棄し、別の条件を自らに加味し、より奔放に、行動範囲を広げる。奔放になることで、何かあらたな可能性をつくり出すのだろうか。それはもしかしたら”出会い”かもしれない。そして、”出会い”は、次なる世代えのバトンタッチを内包している。それは生殖行為に限らない。出会いを通じて、そこから生じるものの生の可能性の幅が広がるのだ。

 屋久杉の場合、樹齢千年以上の杉は、それまでの杉と何か別の生き物のように厳かな風貌になる。そして、倒れても脂分が豊富なため、腐らないのだと聞いた。天に枝葉を伸ばしながら立ちつくす様子と、倒れて、そのデコボコに盛り上がった身体のあちこちに無数の植物の着生を受け入れている様子を見ていると、私は、屋久杉が、死んで他の生命の母体となる準備を着々と整えるために、姿形を変形させているのではないかと思った。つるんと円い木よりも、モコモコと複雑な形をして表面積を広げた木の表面の方が、たくさんの種子が止まりやすい。つまり、出会いの可能性が高くなる。新たに多様な生を自らの上に生じさせる可能性が高くなる。人間だって、機微を豊かにして心の表面積を広げ、そのうえで行動力が増せば、出会いも増え、それが深まり、新たな生の可能性も広がるだろう。あくまでも、私の個人的なインスピレーションにすぎないけれど。

  

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