第1202回 懐かしさに宿る真理

現在、東京の半蔵門ミュージアムで、井津建郎さんの写真展が開かれている。

https://www.hanzomonmuseum.jp/exhibits/special.html

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 この美術館は初めて訪れたのだが、東京の真ん中にこんなに素晴らしい場所があったのかと、正直、驚いた。特別展の展示スペースは広大で、映像ルームもあって、井津さんの取材に同行したドキュメントフィルムも見ることができる。また常設展で展示されているガンダーラ美術や曼荼羅も素晴らしく、それらはあまりも精巧で、さらにガラスケースに入っていないため、最初はレプリカだと思った。本物をこれほど間近に見ることができる機会はめったにない。しかも入場料無料だなんて。

 実は、この美術館の場所は、30年ほど前に働いていたところのすぐそばで、驚くべきことに、当時、よく通っていた中華料理屋が、その頃の店の雰囲気のまま残っている。

 また、このあたりは、私の恩師にあたる作家の日野啓三が住んでいた場所で、日野さんの1980年代の都市小説、『夢を走る』や、『都市という新しい自然』などが書かれた舞台で、皇居に近い東京のど真中でありながら深夜になると無人になり、その冷え冷えした闇の中に意識が溶け込んでいくような幻想小説が、この場所で数多く生み出された。

 そのように私にとって非常に懐かしい場所で開催されている井津さんの展覧会だが、この展覧会が、さらに輪をかけるように私にとって懐かしいものになっている。

 まず、ドキュメントフィルムで、15年くらい前、私が井津さんに会った頃の姿が出てくる。

 当時、井津さんと私が行った対談の記録を、今もこうして見ることができるけれど、表現者としての井津さんの軸は当時も今も、そしてそれ以前も、まったくブレていないことがよくわかる。

https://kenroizu.com/wp-content/uploads/2019/12/KMOPA_journal_No34.pdf

 

 井津さんの作品は、この後のプロジェクトの全てを、風の旅人を休刊する2015年まで紹介してきた。

 そして、今回の展覧会の懐かしさは、展示されている写真に写っている場所の懐かしさだ。かつて自分が訪れていた頃と、時期的にも重なるそれらの場所は、本当に懐かしい。アンコールワットやタイやインドネシアミャンマーなどアジアの国々を旅することの喜びは、初めて訪れても感じられる懐かしさにある。だからよけいに、現在、現地で起きていることが、悲しい。

 また、それらのかけがいのない懐かしさが凝縮しているのが、井津さんの写真世界だ。

 上に添付した井津さんとの対談の冒頭で、私は、「アメリカのある評論家が、井津さんは聖なるものを撮っているのではなく、自分の作品を聖なるものにしているので許せない」と批判していた言葉を持ってきている。この批評家の言葉は、逆説的に褒め言葉であり、井津さんの作品が聖なるオーラを放っていることを認めているわけだが、そのオーラがどこからくるのか自覚できていないから、その批評家は戸惑っている。

 井津さんが撮っているアジアの聖なる建造物にしても、本来は、聖なる神々に捧げられるものだけれど、その建造物という作品自体が聖なるものになっているわけだから、井津さんの作品と同じである。

 つまり、聖性というのは、神の存在そのものに限るわけではなく、聖なるものに向き合う誠実な心にも宿るものなのだ。とりわけ東洋人は、唯一絶対神を信じているわけではなく、石や樹木や人間が魂をこめて作り上げるものにも聖なる力を感じ取っているわけであり、その聖なる力と真摯に向き合うことで自ずから聖なるものが生まれる。まさに井津さんの作品がそういうものである。

 そして、とくに東洋人にとって、聖なるものは懐かしい。

 これはとても重要なことであり、正義の論調よりも、懐かしいかどうかの方が、真偽をはかるうえで適しているかもしれない。

 おそらく懐かしさというのは、自然の摂理に即しているから感じられる感覚である。不自然さは、何かしらの歪みや無理がある。正しいことを言っていても何かしら不自然さを感じるようであれば、論理として真偽を指摘できなくても、やはりどこかが間違っている可能性が高い。言っていることと、やっていることが違っている、ということになってしまうのだ。

 自分の言っていることとやっていることを一致させることは、人間にとって簡単なことではないが、それを極めるために、東洋の道の思想が深まったのだろう。

 井津さんの作品は、その「道の思想」を、写真のなかに昇華させている。だから、その写真は、限りなく懐かしいし、「道の思想」が理解できない西洋の批評家を戸惑わせる。しかし近年、西洋的発想に行き詰まりを感じている西洋の知識人は増えており、彼らによって、井津さんの作品は高く評価されている。日本の写真評論家は、周回遅れで西洋を追っているようなところがあるから、井津さんの作品の深さがわからなかった。だからこれまで井津さんは、日本よりもアメリカの方が活動しやすかった。

 今年から井津さんは、日本に拠点を移し、「もののあはれ」をテーマに作品づくりを行っていく。これまでの軌跡を踏まえれば、来るべきところに来ている、と私は感じている。

 

 

ピンホールカメラで撮った日本の聖域と、日本の歴史の考察。

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