第1042回 能面に伝わる人類のタマシイ

 ニューヨークに活動の起点を置く写真家、井津建郎さんが京都に来て、数日間、一緒に過ごすことになった。

 井津さんは、7、8年ほどかけて一つのテーマをじっくりと追っているが、現在のテーマは、日本の能面。彼が撮った能面の凄みのある写真を見せてもらい、一緒に酒を飲みながら、京都でどなたか協力してもらえそうな人はいないかということになり、それならばきっと、河村能舞台の河村晴久さんが適任だと思い、この先の井津さんの仕事のために縁だけつなごうと連絡をすると、奇跡的に、1日だけすっぽりとスケジュールが空いていると返事があった。
 ならば急なことだし、夕飯時にかかるので、15分くらいでいいので、井津さんの紹介と、井津さんの能面の写真を見てもらいたいと、河村能舞台まででかけた。
 すると、想像していたとおり、河村さんは、井津さんの写真にえらく感心し、15分の挨拶どころか、河村さんがお持ちの能面を奥から出してこられ、ずらりと並べて、一つひとつ、話を聞かせてもらった。ふだん、生で間近に見ることのできない桃山時代室町時代の至宝などを堪能させていただき、能面に凝縮している日本文化の背後を流れる強烈な何かを感じずにはいられなかった。
 能面は、マスクではなく、オモテと言う。マスクというのは、顔にかぶせる。つまり、自分のウチとソトの境目に在る。しかし、オモテというのは、自分のウチが、ソトに現れ出るということだ。だからそれは、タマシイと言っていいもの。
 そのタマシイは、中世日本の文化の形というよりは、古代から連綿とつながるもの。能面は、まさに、そうした悠久の時間のなかに、立ち現れてきている姿なのだ。
 だから河村さんは、そのオモテを身に着けることは、並大抵のことではない、若い時から、いつこのオモテをつけられるようになるだろうと思いながら、オモテを見つめ続けてきたと言う。
 井津さんは、自分では能の初心者だと素直に言う。しかし、その写真は、ストレートに河村さんに伝わった。能の知識や経験といった表層的で形式的なことは関係ないのだ。
 私が、なぜ河村さんに連絡したかというと、河村さんは、そういう表層的で形式的でカタログのような能文化の紹介の仕方に危機感を持っており、能の真髄をどのように伝えていけるか、苦慮し、苦闘しておられるからだ。もちろん、自分の心身を通じて舞台で表すことがもっとも重要だが、それ以外にも、海外での講演をはじめ、様々な方法で、能の真髄を伝える努力をし続けている。
 しかし、たとえば生の能面を、大勢の人に、直接、見ていただくことは、簡単なことではない。だからといって、写真で見せたところで、これまでは、その真髄が伝えられるような写真とは出会わなかった。
 だが、井津さんが、8×10の超大型のフィルムカメラで撮った能面の写真の、”自由度”に、河村さんは、かなり惹きこまれていた。
 井津さんは、午前中に1枚、午後に1枚の写真を撮る。自然光で、一回のシャッターが数十分というピンホールカメラよりも長時間露光で。
 8×10インチフィルムの情報力は素晴らしい。オモテの微妙な傷も逃さない。しかし、井津さんは、その描写力に頼っているだけではない。ふつう、8×10インチフィルムの写真は、情報力は秀でているものの、カメラ自体が巨大なため、カメラの制約を感じさせるものが多くなる。情報量は素晴らしいが、自由度がなく、型通りになりやすい。といって、型から逃れようとしてもわざとらしく、意図が透けて見えてしまい、かえって不自由に見える。
 井津さんは、能面の内から生じるものに大型カメラを寄り添わせていくことができる。大型カメラの不自由さをまったく感じさせない自由度がある。それはなぜかというと、何十年ものあいだ、8×10インチの大型カメラのさらに4倍もある14インチ×20インチの超巨大カメラ(カメラだけで100kg超)を使って、アンコールワットカイラス山など、世界の聖地を撮り続けてきたからだ。現在、この超巨大カメラを完璧に使いこなせるのは、世界で片手で数えられるほどだろう。
 だから、井津さんいわく、8×10インチの大型カメラは、14インチ×20インチを主戦場にしてきた自分にとって扱いがとても楽で、カメラを意識せずに、つまり道具が身体の一部になったかのように撮影できるので、楽しくて仕方がないと。
 面白いのは、井津さんは、ピラミッドとかアンコールワットとか、古代から連綿と続く人類の巨大な足跡を撮り続けてきて、その後、それらを作り出した人間の信仰の力に関心を持ち、ブータンとインドを、それぞれ、8年ずつくらい通い、その後に、日本の能面に至った。
 ピラミッドやガンジズなど世界の聖地を巡り歩いた後、能面に至ったのは、能面には、古代から現代まで人類が受け継いできたタマシイが宿っているからであり、そのタマシイに、井津さんのタマシイが感応しているからだろう。 
 一枚の能面の中には、世界中の聖地を流れるタマシイが凝縮している。オモテに現れているタマシイを表現すること。河村さんが能の舞台で伝えたいと願う能の真髄も、そこにあるような気がする。
 *この写真は、井津さんの最新完成作、「ETERNAL LIGHT」より。

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