第1305回 いのちを繋ぐ力とは

若い友人に返答するための文章を書いていたら、「コスモロジー」というテーマで、本作りやワークショップを行っている自分の潜在意識が浮かび上がってきた。

 「Sacred world」の本作りにおいて、私は、古代史研究をやっているつもりはないし、写真においても、ピンホール写真で表現技法の面白さを追求しているわけでもない。

 この本作りで、歴史の深層に降りていこうとしているのは、現代社会に生きる私たちのコスモロジー(考え方や感じ方)が、「人類」にとって当たり前のものでも普遍的なものでもなく、時代環境が作り出したものにすぎず、それゆえ環境変化によって変わりうることを具体的な問題として考えたいからだ。

 そうした変化の先に未来があるのだとすれば、未来は、記憶の中に潜んでいながら意識化できていない領域で、形になるのを待っている可能性がある。

 また、そのように潜在化したものにアクセスするためには、「見る」という行為ではなく、「見通す」とか「見出す」とか「見透かす」といった眼差しが必要になる。これらの眼差しは、レンズとしての目に、洞察力が加わってくる必要がある。

 そして、見出したり見透かしたりする眼差しは、レンズ描写に重きを置きすぎる高性能カメラでは、むしろ曇らされてしまう。そういう感覚があるから、私はピンホールカメラを使っている。

 ピンホール写真は、人間が初めて「カメラ」という道具を通して世界を再現した時の驚きを伝えてくるが、その驚きは、現実を明確に映し出す力ではなく、実際に目にしている状態よりも強く想像力に働きかけてくる力によるものではないかと思う。

 写っているものの背後に何かを感じるという感じ方。それは、素晴らしい絵画から感じるものと同じであり、だから、写真の黎明期の19世紀、その写真効果は、画家のインスピレーションを大いに刺激した。

 見るのではなく、「見通す」とか「見出す」とか「見透かす」という力こそが、生きていくうえでとても大事であることは、多くの人が経験上、程度の差はあれ知っている。

 たとえば、詐欺師に簡単に騙されないためには、「見ぬく力」が必要だし、砂漠の中で、どちらの方向に歩を進めるかの判断は、見えている光景や気配から、オアシスのある場所を見通したり見出せるかで変わってきて、その力が生死を分かつ。

 現代社会においては、「いのちを大切に」とか「いのちの尊厳」とか、「いのち」という言葉が安易に使われて氾濫しているのだが、「いのちの尊厳を守るために、環境を整えてあげることが大事」という発想を当たり前のこととして持っている心優しきナイーブな人がとても多い。

 現代社会の思考の癖(コスモロジー)は、たとえば、身体に必要な栄養素が、ビタミンCだとかカルシウムだと科学的に証明されると、そうした栄養素を身体に与えればいいという発想になって、それを最も合理的に行う方法としてサプリが開発され、宣伝され、販売されるのだが、身体に良いとされるサプリを摂取し続けても、どうにも身体が怠く感じられて新たに異なる種類の栄養サプリを摂取するという展開につながっていく。

 この思考の癖が陥っている問題は、そうした栄養素を含むサプリを投与したとして、それを消化吸収するために身体側に準備が整っているかどうかという問題が、棚上げにされていることだ。

 私は世界中の色々な国を旅してきたけれど、私が訪れた当時、パプアニューギニアの人たちはタロイモを主食として肉類などほとんど食べていないのに筋肉隆々だったし、エチオピアの人たちは、蕎麦粉のクレープから十分な栄養分を吸収していた。なのに、飢餓の際に送られる支援物質は小麦であり、その後、穀物メジャーが牛耳る小麦が食卓の中心になっていき、栄養失調気味になっていった。

 かつては、タロイモや蕎麦粉から必要な栄養素を吸収できる身体を持っていたのに、その身体力が活かせないような食卓になった。

 ゴリラや象は、草だけを食べても、あれだけの身体を作ることができるのだから、どんな栄養素を外から与えるかが問題なのではなく、自分の生存環境に備わっている栄養素を、どれだけ吸収できるかが重要であり、おそらく、”いのちをつなぐ”力というのは、そうした身体能力に宿っている。

 「いのちをつなぐ」というのは、単に子孫を産んで育てていくという意味ではなく、他のものに備わっている”いのち”を、自分のものに吸収して、そのうえで、他に伝えていく力。それが、いのちをつなぐこと。

 その吸収力が弱まっているのに、外から与えればなんとかなるだろうという発想が浅はかで歪んでいる。

 これは、ニュース報道や学習においても同じで、知恵や情報や教訓を吸収する力が減退していないかどうかが問われなければいけないのに、それらを与える環境ばかりが議論の対象になる。

 人が発する「言葉」から言葉の背後を読み取る力も吸収力だけれど、出版社が販売する本の比重は、文脈を読み取る力が弱まっている人でも「わかりやすい」ハウツー本に傾いている。 

 「わからない」という人のために、「わかりやすくする」ということが良いことだと思っているようだが、「わかりやすくされたもの」を通して、「わかった」というのが、本当にわかっていることなのかどうか、という問題が棚上げにされている。

 「わかる」というのは「汲み取る」ことであり、そうした力を育てることが、世界(社会)の中で生きていくための教育なのに、与えられた答えを真に受けてしまう人を作ることが、現代社会における教育になってしまっている。

 現在、巷で話題になっている人工知能技術を使ったチャットGPTは、そうした現象を加速させたうえで、多くの人を、窮地に追い込むことになるだろう。

 情報もそうだし、食事もそうだけれど、いろいろなものを満遍なく摂取した方が、本当に良いのだろうか?

 食事は、毎日同じものを食べていると、本当に栄養が偏ってしまうのだろうか?

 ご飯と味噌汁と漬物だけでも、身体の側に「消化」の準備が整っていたら、必要なタンパク質もビタミンも、限られた食材から搾り取ることができるのではないだろうか。その準備は、消化器官に棲息する微生物との連携によって行われるのであって、同じものを食べ続けることで、それらを消化吸収するうえで力を発揮する微生物が増えることが考えられる。

 内臓は、口から肛門までの管なのだから、サプリを口に入れても、その途中に何らかの働きが作用しなければ、外に出ていってしまうだけだ。

 ニュースで伝えられる情報も、学習も同じ原理だと思う。人付き合いだって同じで、色々なタイプの人と満遍なく付き合えば人脈が広がって自分の視野も広がるなどと言う人がいるが、本当だろうか?

 自分の内側を整えて消化力を高めていないと、サプリにお金を使うのと同じで、人付き合いのために出費を重ねるだけだろう。

 「母の味は、おいしい」という事実は、何を指し示しているのか?

 それはおそらく、身体が、母が作った料理から栄養を吸収する準備を整える回路を作り上げているからだ。 

 身体に毒なものを口にした時に、人は、変な味、まずい味を感じるわけだから、舌は、”いのち”のつなぎに直結するセンサーになっている

 身体が積極的に吸収する回路につながるものは、おいしい。身体が拒絶する回路につながるものは、まずい。

 おいしいという期待が、身体に準備をさせ、その吸収力を高めるから、おいしいものは、身体に良い。

 いのちにとって危険なのは、そのセンサーが麻痺すること。

 これは学習にしても同じで、学習が苦痛を伴うものであると思われてしまっていることが現代社会の問題で、これは教える側に責任がある。

 学習することが苦痛ではなく歓びであることは、発展途上国の子供たちが、学ぶことに対して目を輝かせている事実が証明している。そして、楽しく歓びを感じる心身は、吸収する準備を整えている。

 楽しくない学習の場を作り続けている国の将来は、非常に危ういものになることは間違いないだろう。

 私のワークショップに来た人の多くが、学校でこういう歴史を教えてもらっていれば、歴史に対する意識がまったく違ったものになっていたのにと言う。

 歴史を知るというのは、単に過去に起きたことを情報として身につけることではなく、人類という特殊な生物と世界の関係を知ること。

 人類の何が特殊かというと、多くの生物にとって世界というのは、自然界だが、人間の場合の世界は、自然界に人工界が重なっていくところにある。

 しかし、その人工を生み出す人間も、自然の一部であり、自然の一部であるということは、人工を生み出している人間は意識できていないけれど、この人工の展開にも自然界と同じく必然的なサイクルがあり、法則性の中にあるということ。

 人間は、自らの意識と意思で人工を積み重ねているつもりだけれど、自然が作った脳の働きであるかぎり、自然の摂理と無縁でいられないということだ。

 人工世界の背後にある自然の摂理を見出し、見通し、汲み取るためには、人工世界が次々と繰り出すものだけに目を奪われていてはダメだろうし、自然の中に籠もればいいわけでもない。

 自然と人工の狭間で、双方からの情報を吸収する力を育むことが、結果的に、特殊な生物である人類のいのちをつなげる力となる。

 だから、太古の昔から、人類の神話は、自然と人工の様相が、縦糸と横糸で織り成され、そうした方法で、人類の歴史が、いのちをリレーするように伝えられてきた。

 人類にとってのコスモロジーの表現は、そのような神話的手法が適っていた。

 それは、過去だけのことではなく、現在においても変わらない。

 

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