第1388回 電子書籍ではなく本にすることの意義。

まもなく「始原のコスモロジー 日本の古層Vol.4」を印刷会社に入稿します。

 本という物体は、在庫が悩みの種なので、先行予約をいただいて、印刷数量を決定する予定です。

 始原のコスモロジー 日本の古層Vol.4 まもなく発売。予約受付中。

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 インターネットで、いくらでも情報が得られる時代なので、敢えて本など読む必要がないと思っている人が多いし、本作り自体に相当な手間がかかりますが、それでも敢えて、本という形にする必要があると私は思っています。

 風の旅人を作っている時、電子書籍にして欲しいという意見があったけれど電子書籍にはしなかった一番大きな理由は、電子書籍だと、空気感というか気配が伝わらないからです。

 ただの知識情報の伝達ならば SNSやブログで十分かもしれないけれど、人は、気配を通じて、真に物事を体験できると思って、私は、風の旅人を作っていました。

 世の中にはネット情報をまとめただけの書籍もありますが、私の場合、ブログやSNSに書くものは、じっくりと練ることもなく書き散らしているだけなので、それらを10分の1くらいに凝縮して、圧力を加えて発酵させる必要があると感じています。

 風の旅人を作っている時は、毎日のように膨大に書き溜めたブログの中から圧縮してA4で1枚か2枚の企画書の文章にして、執筆者や写真家に送っていました。だから、20年続けているこのブログは、まもなく1400回になります。

 発酵させる前のブドウジュースと、発酵後のワインだと、醸し出される気配が異なる。

 人が経験を重ねて成熟していくように、思考もまた成熟させていくことが必要で、敢えて本という形にすることを自分に課す理由は、その成熟過程を設けるため。

 とくに私は編集人なので、右から左に情報を並べるだけだと、その情報に触れる人は表層的な理解にとどまり、本質的なリアリティを体験できないと承知しています。

 編集の力によって、石垣の石組みのように組み合わせて、一つの生命体のように摂理をもった集合体にしなければいけない。

 現在は、情報と、体験のリアリティが引き離されている時代だと思います。簡単に言うと、頭でっかちになりがちな世の中。

 学校教育が一番の原因で、とくに歴史が、ただの記号的情報に成り下がってしまっていいのだろうかという問題意識が、私にはあります。

 歴史は、人類の体験であり、その体験を自分ごととして引き寄せるから、人類は、その体験から得たものを次世代へと引き継ぐことができた。

 もし、歴史情報がただの記号になってしまうと、人類は、過去から現在そして未来へと連なる存在ではなく、現在を虚しく消化するだけで終わる存在になってしまいます。

 何ものかとのつながりを実感させてくれる体験というのは、とても有難く、かたじけないもの。

 その有り難さを伴った情報体験が、本当の意味で、「知る」ということのはず。

 本というのは、ネット情報と違って、手元において何度も見返すことが多いツールであり、見返すたびに、自分の状態の違いで印象が変わってくるという体験も得られる。

 もちろん全ての本が、そうした体験の場になっているわけではないのだけれど、本を作るのであれば、対話と体験の場となるような本にしなければいけないと、長年、編集を仕事としてきた一人の人間として思っています。

 

 また、本の発行に合わせて、12月16日(土)、17日(日)、東京にて、ワークショップセミナーを行います。こちらも、詳しくは、ホームページにて。

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