第1409回 今こそ知るべき源氏物語に秘められた真相(2)

 昨日、紫式部を主人公にしたNHK大河ドラマの」への違和感から、源氏物語が書かれた背景について長文を投稿したが、本題はここからである。

 さらに、2日前の投稿において、「”もののあはれ”という日本のコスモロジーは、古代ギリシャでは無知の知、古代インドでは無我の境地、古代中国では無の思想という、いずれも今から2500年前に生まれたコスモロジーと同質のもので、文明が、あるピークに到達すると、古今東西、こういうコスモロジーに至るという法則のようなものなのであり、日本の特徴的なところは、中世文化である茶道や日本庭園や俳句などのワビとサビ、能の幽玄なども”もののあはれ”の流れの中にあるため、日本は、欧米やインドや中国などに比べて、文明がピークに達した時に生まれるコスモロジーを、ずっと長いあいだ、文化の根幹としている。」という一文を書いた。

 この”もののあはれ”のコスモロジーの源流にあるのが源氏物語であり、その意味で、源氏物語は、古代文化と中世文化の橋渡し的な存在であるだけでなく、ソクラテス無知の知や、老荘思想の無の思想、釈迦の無我の境地などと等しく文明のピークにおいて現れる叡智の結晶であり、その意味で、現代にも重要な表現芸術なのである。

 数年前、京都で源氏物語に関する某大学主催のシンポジウムを、私が企画したことがあった。宗教学者山折哲雄さんにもお声をかけさせていただき、もともとは読み物というより耳で聞く文学だった「源氏物語」の朗読などを織り込んだ企画だった。

 しかし、このシンポジウムは、某大学が文化庁から予算を受け、かつ某大学の大ホールを使用しての開催だったこともあり、その某大学の大学教授をメンバーに加えなければいけないという条件があり、この大学に所属する源氏物語研究の大学教授が、シンポジウムのメンバーに加わることになった。

 その男性の大学教授は、子供の頃からの源氏物語ファンと自己紹介をし、源氏物語をモチーフにしたデザインのネクタイをしていたが、案の定、源氏物語を「平安時代の興味深い恋愛もの」として説明した。そして、シンポジウムの最後に会場の聴衆から「現代社会において、1000年前の源氏物語が、果たして意味があるのか? 意味があるとすれば、どのように生かされるべきなのか?」という質問が、この大学教授に対して発せられた。

 すると、この重要な質問に対して、その大学教授は、「源氏物語を読んだことがない人が多いとしても、その知名度とブランド価値は現代でも高いものがあるので、商品名などに使うと販売が増えたという話を聞いたこともあります」などと驚くべき浅はかな解答をしたのだ。

 つまり、この専門家によれば、源氏物語は、現代の消費社会において、消費を促進するPRに使われるべきだということである。

 そんな答えのためにシンポジウムを開催したわけではない。

 さすがにこの解答にはうんざりして、反論の意見を述べるべきだと思ったが、その時の私は聴衆でもなく、シンポジウムの登壇者でもなく、黒衣である企画者だった。そして、この種のシンポジウムは、会場の問題もあって時間厳守であり、最後の質問コーナーでは、議論をできる時間もなかった。

 私が、その大学教授に反論したかったのは、源氏物語の現代における存在意義は、彼の説明と真逆であるという一点に尽きる。

 ”もののあはれ”は、無の思想や無知の知と同じく、文明のピークに創造された、反文明の哲学が秘められたコスモロジーである。

 「文明のピーク」の定義はどこにあるのか?

 それを一言で言うと、どんな生物でも不可欠な、食物を得るための活動と寝ること以外に、莫大なエネルギーを注ぎすぎていながら満たされることなく、その空虚が、さらに欲望を肥大化させている状態である。

 文明が環境に負荷を与え、環境が損なわれるのは、一般的な生物たちの営みのようなシンプルに生存と子孫を残すことのために最低限のことだけをするということを、文明世界の中の人間ができないからだ。

 それは、欲望の際限のない肥大化であるが、冨や地位や名誉や権力を求めるのも欲望であり、その欲望のために争いが起きる。人間以外の生物は、そんなことにエネルギーを使わない。

 そういう意味で、平安時代の貴族社会もまた、文明のピークに達していた。

 女性の衣装である十二単など、生きていくうえで必要な衣装ではないが、これを身に纏って生活するために、当人だけでなく、周りの人間たちが莫大なエネルギーをかけていた。

 身の回りの世話もそうだが、十二枚重ねて着られるように、一枚一枚は、私たちの想像を遥かに超えた軽さであり、そうした物を作る技術もすごいものであった。

 欲望が、欲望を満たすための技術を進化させるのも、文明の典型である。

 多くの人は、「源氏物語」のことを、現代のワイドショー程度の、浮気性の光源氏の恋愛物語だと思っているが、実際は、セックスの描写があるわけでなく、そもそも明るいところで顔を見合わせて見つめ合うということすら無い。

 描かれているのは恋の繊細な駆け引きとか、想像とか、疑心暗鬼とか、ときめき。そして手紙のやりとりや贈り物、匂いとか気配とか、それらの繊細な機微が、描写の大半を占める。

 つまり、具体的で即物的な価値観よりも、抽象的で、観念的な価値観の比重が高い。

 生存と子孫を残すために必要な最低限のことから極端なほど離れた状態に在るのが、源氏物語で描かれている男女であり、それが、平安時代の貴族社会である。

 平安時代の貴族社会は、文明社会のピークであり、抽象的で観念的な世界だが、この時代が終焉した後、即物的で具体的な方を重んじる封建時代となる。

 源氏物語は、この二つの時代の境界における創造物であり、その時代背景については、前回の投稿で書いた。

 だから、源氏物語の中で栄華の絶頂のように描かれている光源氏というのは、実は、虚しい存在であり、周りから羨まれても、当人は、常に出家願望がある。

 そして、第41帖の「幻」という帖で、むなしく存在を掻き消してしまう。 

 旧約聖書のなかに、「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」という言葉がある。

 これは、聖書の中ではイスラエルの黄金時代とされる時代を築いたソロモン王の言葉である。知性も、地位も名誉も、権力も、快楽や財産など欲しいものは全て手に入れ、人がうらやむほどの存在だった彼の心は、実は満たされていなかった。

 紫式部が描いた光源氏というのは、このソロモン王と同じなのだが、そのことを知らず、理解していない人が多すぎる。

 源氏物語の専門家と称する大学教授が、「現代社会における源氏物語の存在意義は、消費商品のPRに使えるだけのブランド価値がある」と大勢の聴衆の前で、堂々と発言できてしまう恥知らずな状況であるのだから止むを得ない。さらに、そうした自称専門家の本を読んだり、アドバイスを受けたりして、ほとんど即興で身につけた知識情報をもとに大河ドラマの脚本が書かれ、国民から強制的に受信料をとるNHKで全国放送されているわけだから、どうしようもない。

 果たして、この状況は変わり得るのだろうか?と諦めの境地に陥るかというと、そうではなく、変わらざるを得ないのが時代の法則なのだ。1000年前がそうであったように。

 無駄な大金を投じた作られた底の浅い大河ドラマは、人の心を打つことはないだろう。すでに多くの人が、ソロモン王のように、「空の空。すべては空。」と感じている時代であり、今さら陳腐な恋愛物語を見せられたところで、心が躍るはずがない。

 源氏物語のなかで、光源氏が幻のように消えてしまった後に出てくる男の主人公は、薫の君と、匂宮である。

 薫の君は、本当は光源氏の正妻である女三宮の不倫相手である柏木の息子なのに、芳香を漂わせる麗しい姿から、周りからは光源氏の息子と思われている。光源氏は、薫が自分の子でないことを知っていながら黙っているのだが、薫の君自身も、その事実を知るという複雑な設定になっている。

 この設定のように薫の君の心も複雑で、非常に観念的で、いろいろ詮索し、観念が強すぎて具体的な行動を起こせないという、現代人のような性格である。そして、厭世観が強く、光源氏のような出家願望がある。

 もう一人の主人公となる匂宮は、光源氏と明石御方の娘である明石の姫君が産んだ子で、時の天皇の第三皇子である。

 容姿端麗で身分も高く、外側だけは、光源氏の再来である。薫の君と違って自由奔放だが、分別のない品行が多い。光源氏のような繊細微妙な心が欠けている。

 まるで光源氏が二つに分断されてしまったような存在が、薫の君と匂宮なのだが、それぞれの欠点、薫の君の観念的すぎるところと、匂宮の繊細機微な心が無いところが、文明化のピークにおける典型的な人間像なのだ。

 この源氏物語の終盤で、深い知性教養を備えながら、行動力もあり、気配りができ、周りの人物たちの身の上について自分ごとのように心を痛める存在が、明石の姫君だ。

 この明石の姫君が、国母となるという夢の啓示を受けていたのが明石入道だった。

 明石入道は、自分の娘である明石の御方が生まれた時に自分が見た夢があまりにも壮大すぎたために誰にも話さなかった。

 しかし、光源氏と明石の御方の娘である明石姫君が東宮に入内し、皇子を生んだことで、この夢見が実現しつつあることを知り、初めて、明石御方に対して長文の手紙で夢の内容を明かし、自身は、現世を捨てて入山した。

 その夢とは、自分が須彌山(仏教の世界観で、世界の中心に聳え立つという山。頂上には帝釈天が住み、中腹には四天王が住む。この山の周囲を月日が回転している)を右手に持ち、帝と皇后を象徴する日と月の光が、山の左右から出て世を照らしていた。そして自分は、その須彌山を広い海に浮かべて、小さい舟に乗って西に向かって漕いでいった」という壮大なイメージである。

 この明石入道は、元々「近衛の中将」として政界の中心にいた人物だったが、都を捨て、播磨に下り、明石を拠点とする受領となっていた。

 須彌山を手に持つという壮大すぎる自分が、小さい舟に乗って西に向かうという夢、これは、一切の欲心を捨てることを象徴している。

 この夢のお告げで、自分の娘である明石の御方が国母の母となると信じた明石入道は、その機会を待ちながら、明石の御方を、京の姫君に劣らないほどの気品と教養のある女性に育て、そこに光源氏が現れた。

 夢の通りになった時、明石入道は、天皇の血縁として自分を主張するどころか、山奥に入っていった。その際、彼は、財産のすべてを弟子に分け与え、寺社に寄進した。

 旧約聖書のなかで、これに近い生き方をしたのが、アブラハムである。

 アブラハムは、ソドムとゴモラという文明のピークにおける退廃を象徴する時代の人物であるが、神の声に従って、生まれ故郷や、地位や財産の全てを捨てて、荒野へと旅に出た。

 アブラハムも明石入道も、文明のピークにおける預言者である。予知能力の予言ではなく、預言。これは、神的存在によって伝えられるメッセージで、現在の社会の状況や、未来の在り方に関して、神の意志の代弁のように啓示されるものだ。

 無を唱えた老荘思想の思想家や、無我の境地を唱えた釈迦もまた、同様の預言者である。

 文明の極限において、人間は、生きていくうえで欠かせないもの以外の欲望や快楽に多くのエネルギーを注ぎながら、決して満たされることなく、そのため際限無く欲心をつのらせていくのだが、心の虚しさもまた膨らんでいく。

 日本において、1000年前、人間がこの状態に陥った時、源氏物語が創造され、この表現物を通じて、「もののあはれ」というコスモロジーが示された。

 中世のワビやサビや幽玄の文化もその流れの中にあり、この文化の本質には、慎み深さや、畏れ多さや、自らを謙虚にする精神がある。

 武士の時代となって、この精神が美徳となり、一部の例外はあるものの、明治維新まで実に900年の長きにわたり、その精神が価値あるものとして尊ばれていたのである。

 この150年間は、日本においてもソドムとゴモラ化が進んできて、再び、アブラハムや明石入道のような生き方の転換が必要になりつつある状況になっている。

 文明化が進んでいる状況でも、仏道に対する理解が残り続けていた日本人のあいだでは、その転換は、それほど困難なことではないかもしれないが、それを難しくしているのが、文明化の産物である地位や名誉や富に対する執着が強い人たちである。なぜなら、この層が、現代社会のシステムのなかで優位性を保っており、その優位性を手放したくないため、現状のシステムを保持しようとするからだ。

 宇多天皇菅原道真の改革の時の抵抗勢力のように。

 その抵抗勢力は、日本においては祟りという形で滅ぼされ、西欧においては、最後の審判にさらされる。

 そのように一つの終わりが一つの始まりとなることを繰り返しているのが、人間の歴史なのだ。

 

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