第928回 情報の伝えられ方が変わる時

 インターネットによる情報収集がどれだけ進んでもテレビはなくならない、紙媒体からネット媒体になって読者数が増えても、ネット上の情報は無料というイメージが強いので採算がとれない、と数年前まではよく言われていた。
 さらに、ネット上のニュース発信は、大手メディアのニュース素材を寄せ集めただけで、コンテンツのただ取りだという批判もあった。
 しかし、VICEのような取り組み http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/110600083/?rt=nocnt  や、近年、急拡大してきているネット媒体 upriser や buzzfeed などを見ると、テレビやインターネット媒体を取り巻く環境は、確実に変わりつつあるのだなあと思う。

 確かに、テレビはなくならないだろうが、テレビの作り方は、根本的に変わっていく。広告収入で潤う大手メディアが下請けプロダクションに安く作らせて利益をピンハネするという構造では、もうやっていけなくなる。また、従来のニュースメディアのように一つのコンテンツを作るために、過剰なほどの人員とお金をかける体制では、採算もとれないし、そういう体制を維持するために安易にスポンサーに媚びると、コンテンツの質も低下し続ける。
 現在、テレビニュースにチャンネルを合わせても、1時間の中でほんの数本しかニュースが伝えられない。その一本ずつのニュースが、無駄に長い。どうでもいい専門家のコメントや、どうでもいい近隣の人へのインタビューなどが多く、世界の動きや社会の本質的な変化をテレビニュースでチェックすることなどできやしない。

 現在、非常事態宣言が出ているフランスのテロ時間のニュースなどは、現状では日本のテレビメディアなどは形ばかりの速報で伝えるだけの体制しか持たない。そして、いつものように各方面からニュース素材を入手し、スポンサーとの調整がすんでから、どの局も同じような内容のニュースがダラダラと続くことになるのだろう。

 こうした体制を批判しても、情報の伝え方がそうなっているから変えようがない。地上放送のテレビチャンネルの数は限られ、時間も限られているし、スポンサーも大切にしなくてはならないし、視聴率も重要だから、優先順位や、一般性を考慮するしかない。

 パリとベイルートでテロが起これば、どうしてもパリが優先される。ミャンマーで起こっている出来事も、専門家による解説がなされているが、進行の問題なのか、中途半端で何を言っているのかよくわからない。そういうニュースの伝えられ方は、他と比較することができない間は生き延びることができたが、もうそろそろ終焉となるだろう。

 チャンネル数が増えて、それぞれが一つひとつの問題を深く掘り下げていくようなテレビ放送となり、パリのテロもベイルートのテロも一ヶ月前のトルコのテロも、ミャンマーで起こっていることも、同じように伝えられると、いったいどうなるか。

 テクノロジーの進化をうまく取り込んで、少人数の体制で機動力に優れ、全てオリジナルのコンテンツを作り、スポンサーに媚びるのではなく、それらの情報を本当に必要と感じてくれる視聴者に支えられて成り立つ媒体の成立が可能になっている(それに対して、コンテンツの出来にかかわらず強制的に国民から受信料をとって運営するNHKが、いかに時代錯誤なことか)ので、すぐにでもそういう情報伝達の時代になる可能性がある。

 でも実際にそうなると、私たちは、一つひとつの出来事を、どれだけ自分ごととして引き受けられるだろう。

 パリで起こっているテロなどについて、「私たちは知っていなくてはいけない」ということは簡単だが、パリだけでなく、地球上の様々な地域で、様々な重要な事態が起こっている。それらの一つひとつを知ることは、人間にどういう心理的負荷を与えるのか。

 知らなければならないこと、自分ごととして考えなければならないことが多すぎると、人間のキャパシティを超えて、いっさいに対して無関心になるということもあるだろう。

 ただいずれにしろ、情報の伝えられ方が変わることは、何かしらの意識変化を生み出すことは間違いなく、VICEのような取り組みは、社会意識を変化させていくことになると思う。

 いつの時代でも、情報の流れ方が変わる時、社会の変化が起きている。カトリック教会が情報を独占していた時代から、印刷技術と翻訳によって、聖書の中身が公になって人々の宗教観(世界観や人生観)を変化させていったように、現代人の世界観や人生観も、こういうものをきっかけに変化していくだろう。数年ではどうだかわからないが、数十年という単位で見れば、間違いないことだと思う。

 しかし、そうした変化の課程において、宗教戦争もそうだったが、新旧の対立が必ず生まれていた。

 過去と同じような形での宗教戦争が起こるわけではなく、違う形で起きる。現在におけるカトリック教会や聖職者とは何か、ルターやコペルニクスガリレオはどういう人物か。そして、世界観・人生観の変化がどういうふうに社会構造を変えていくのか。

 テクノロジーの進化は社会を変えていくが、テクノロジーの変化は、社会変化の準備であり、その準備とは、テクノロジーの変化が人間の意識を変化させることにある。だから、その意識変化において、決して失ってはいけない倫理というか道徳というか、人間としての品性を見失ってしまうわけにはいかない。それが思想ということになる。「こうあるべきだ」という偏狭で性急で盲目的なイデオロギーではなく、見失ってはいけない本質的なものを、冷静に見定めて判断していくための心の軸としての思想。

 これがないと、VICEのような取り組みも、簡単に悪用されてしまう。

 物事を運営していくためにはお金は必要だけど、お金より必要なものもあるという人生の死に際には誰でも当たり前のことが、当たり前でなくなっている時代の風向きが、どのように変わっていくのか。様々なニュースの背後に隠れている人間意識の変化の潮流を読み取っていなければならない。



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