第1394回 誌面を通じた旅体験。

私が、風の旅人を作っていた時、潜在意識に働きかけるビジュアルをリード役とし、その後に言葉によって意識化を深めるという読まれ方を想定していた。

 本を買った人は、とりあえずビジュアルの全体に目を通して何らかのイメージを掴む。文章は、その後、少しずつ気になるところだけ読んでもいい。そのように何度も手に取ってもらえれば記憶の中に染み込んでいくものがあるはずだと思って作っていた。

 そして、これまで「日本の古層」を3冊作ってきて、同じようにビジュアルと文章で世界を伝えようとしていたものの、ビジュアルをリード役とする私の編集スタイルが少し足らず、どちらかというと、文章(情報知識)を伝えたいという意識が強くなりすぎたという反省があった。自分自身が色々と発見を重ねていたので、それを伝えたいという気持ちが強すぎた。

 しかし、情報知識というのは、リアリティを伴っていなければ、すぐに忘れ去ってしまう。

 私は、その場を体験しているので強いリアリティを持っているけれど、そうでない人にとっては、ただの情報知識にすぎない。その分野に関心を持っている人以外は、自分とは遠い世界のことになってしまう。

 その場に行けない人にリアリティを伝えるためには、やはりビジュアルが重要になる。情報知識の伝達は、まずはリアリティを感じ取ってもらってからのこと。そのことを再認識して、今回作った「始原のコスモロジー」は、ビジュアルをリード役にするという従来の私の編集スタイルに従った。

 まずは最初に、ビジュアル世界を組み上げること。その後に、言葉を紡いでいくこと。

 これを実際に行う前は、これまで各地を取材して膨大なメモを残しているので、それらを整理してまとめればいいと考えていたけれど、構成したビジュアル世界に思考が誘引され、さらに一年間続けてきたワークショップでの対話を通して改めて自分の中で再構成されたものが重なって、当初に想定していなかったものになった。

 そして、ビジュアルを組むにあたっては、日本列島の地理や地勢の特性が強く意識された。地理や地勢は、数千年間、それほど大きな変化はない。

 昨日、日本の山や川に関してのことを書いたが、地理と地勢における日本のもう一つの特徴は海岸線。

房総半島

 海岸線というのは、地殻変動の痕跡が、もっとも生々しく残っている。とくに、半島とか岬など、海の中に突き出た所において。

 房総半島と能登半島という太平洋側と日本海側に突き出た場所は、太平洋プレートと大陸プレートのぶつかり合いと押し付けあいが、際立って表層化している場所だ。

 四国においては、室戸岬足摺岬が同じように太平洋に突き出ているが、地質が違うために光景がまったく異なり、それに基づいて、「宗教観」が違っている。 

 具体的には、足摺岬は、水の侵食を受けやすい花崗岩地帯なため、海に削られた大地が断崖絶壁になっている。この場所は、近代では自殺の名所だが、中世以前は、補陀落渡海(単身で船に乗って太平洋に乗り出し、衰弱死するまで読経を続けるという、死と引き換えに極楽浄土を目指す究極の苦行)の出発地でもあった。

足摺岬   室戸岬

 それに対して室戸岬は、水の侵食を受けにくい斑れい岩地帯で、断崖絶壁になっていない。若い頃の空海が、ここで修行をしたが、この場所から前方を見ると、空と海の境界が目の高さになる。空海という名は、ここから得られたという伝承がある。

 空海の思想は、他の仏教とは少し異なり、理趣経に象徴されるように人間の欲望を完全否定しない。

 人間の営みは本来は清浄なものであるという肯定感を前提に、自分のことだけを考える小欲から、自分以外のことを優先する大欲へと、自性清浄に基づいて、道筋をつけていくことを重要視している。

 足摺岬の断崖絶壁の上に立って、こういうコスモロジーが感得できるかどうか?

 自殺願望を持った時、足摺岬の方に行ってしまうと断崖絶壁から飛び降りてしまうかもしれないが、空と海の境界が目の高さにある室戸岬の方に足を運ぶと、新たな人生の道筋をつけようという気持ちが芽生える可能性がある。

 地勢というのは、そのように人間の世界観や人生観に影響を与えていく。

 私は、「コスモロジー」という言葉を使っているが、コスモロジーというのは、日本語にわかりやすく置き換えると、サイエンスの「宇宙論」ではなく、自分たちが生きている世界のことを、どのように認識(世界観)し、その認識された世界の中で、どう生きるかを考えること(人生観)」となる。

 自分たちが生きている場所の周りが壁に取り囲まれていて、もし壁の向こうが地獄だと認識していれば、壁の中から決して外に出ようと思わず、壁の外から聞こえてくる音を怖れながら生きていくことになるし、壁の外が、束縛のない自由の世界だと認識すれば、なんとか壁の外に脱走しようとし、その方法を色々考えながら生きていくことになる。

 そのように、人間は、自分が生きている世界をどう認識するかによって、生き方が違ってくる。コスモロジーというのは、そのように、自分の外部世界と内部世界の構築の仕方と置き換えることができる。

 人の生き方というのは、けっきょく、その人が、自分が生きている世界を、どう捉えているかによって異なってくる。

 そして、その世界の捉え方は、自分が、日々、接している世界の影響を強く受ける。テレビばかり見ていると、テレビが作り上げている世界が世界そのものだと思ってしまい、チヤホヤされているタレントのようになりたいと思ったり、コマーシャルが訴求する世界を手に入れたいと思う。

 旅をすることの大切さは、世界に対する認識を、テレビなどの虚像を通してではなく、実際の体験の中で、五感や六感を通して獲得していき、頭の表層の整理箱ではなく、記憶の深いところに蓄えていくところにある。とくに意識していなくても、リアルな体験というのは、そのように記憶に刻まれる。 

 本という形にする意味の一つは、実際に旅する時間の無い人でも、誌面を通じて旅体験ができるところにある。なので、決して、知識情報の提供が目的ではない。それだったら、インターネットで十分。

 「風の旅人」という雑誌名は、そういう思いで名付けたものだし、その思いは、今も変わらない。

 

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始原のコスモロジー 日本の古層Vol.4の納品日が決まりました。

12月15日(金)です。

現在、ホームページで、お申し込みの受付を行っています。

本の発行に合わせて、12月16日(土)、17日(日)、東京の事務所で、第13回目のワークショップ セミナーを行います。

 

www.kazetabi.jp

また、本の発行に合わせて、12月16日(土)、17日(日)、東京にて、ワークショップセミナーを行います。こちらも、詳しくは、ホームページにて。