セバスチャン・サルガドの新作

セバスチャン・サルガドの新作を見る。テーマは、GENESIS(創世記)。ガラパゴス諸島と、コンゴが舞台だ。あくまでも、これは途中経過。プロジェクトは続行中で、サルガドは、今、エチオピアを撮っている。
 この新作で、サルガドが撮った人間以外の写真を初めて見た。マウンテンゴリラとかイグアナとか象亀とか軍艦鳥とか。そして、火を吹く火山が印象的だった。
 天地が創造され、神が生き物を作り賜うた。そんな展開だ。
 『風の旅人』の2005年の4月号で、「生命系〜30億年の時空間〜」というテーマを構想しているが、まさにそのために用意されたような写真だ。
 GENESISのプロジェクトが全て終わるまで、写真の発表には慎重で、媒体を選ぶということだが、ぜひとも、『風の旅人』での掲載にこぎつけたい。
 8月号の時のように、白川静さんの呪文のような言葉と共奏すれば、どんなにすごいだろう。
 サルガドが撮った生き物は、生き物の写真という感じではない。厳粛なる神の創造物という感じ。人間の時もそうであったように、生き物が気高く撮られている。サルガドは、どんなに悲惨な境遇の人間でも、惨めったらしくは撮らない。生き物だってそう。それは、神に対する冒涜になるから。
 悲惨なものを、いかにも悲惨ですよと訴えてもダメだということを彼はわかっている。そうではなく、気高く、かけがえなく、厳粛に示すことで、本当に大切にすべきものを力強く伝えてくる。いのちあるものの尊厳。神がいのちを吹き込んだものは、かくしてそうある。
 サルガドの写真を、絵のようだなどと形容してはならない。そう言い方は、写真より絵の方が優れているという言い方に聞こえる。また、サルガドの写真を、キリスト教の影響を受けているなどと言ってはならない。確かに、WORKERS、EXODUS、GENESISと続く彼のライフワークは、現代版聖書というべきものだ。しかし、それは、キリスト教の影響を受けて、その教典をなぞっているわけではなく、今日の世界の在り方に対して人並みはずれた真摯さで向き合った時、必然的にそうなっただけのこと。
 ”神”の視点もまた、この世に展望を見いだすために、そのような俯瞰の視点を持ち込んだだけのこと。サルガドは、神の視点だなどとこれっぽちも言っていない。そう見えてしまうだけのことであり、それが、彼の写真の力なのだ。
 セバスチャン・サルガドの写真は、宗教的装いのものではなく、宗教的という言葉を超えた”超然たる祈り”と言うべきものだろう。