東京湾の”いのち”

 中村征夫さんの東京湾水中写真とじっくりと向き合った。
 2005年4月号、「自然と人間のあいだ〜生命系 30億年の時空〜」のためだ。
 中村さんは、29年間も東京湾に潜り続けて、水中写真を撮り続けている。それらの写真は、驚くべき生命の豊饒を語ってくれる。貝を猛然と襲うヒトデ、ヘドロのなかで憮然と生きるカニ、妖しいまでに美しいイソギンチャク、空き缶を巣にしてしまっている魚たち、棘のような足を踏ん張って息を潜めているナマコ。海の中のミクロの世界は、中村さんの写真力によって拡大され、まるでSF映画のような様相を見せる。
遙かなる昔、生命が誕生した頃の地球は、今日のように穏やかなものでなかっただろう。大地は鳴動し、熱湯のような雨が降り、灼熱のマグマが吹き出し、至るところにガスがたちこめる地獄のような世界だった。そのような状況だからこそ、強靱な生命が誕生した。そうでなければ、巨大隕石の追突をはじめ、次々と襲いかかる破局的な状況をくぐり抜けて、今日まで生命が連綿と続いてこれる筈がない。生命というのは、誕生の瞬間から、おそろしくタフでしたたかなものだったのだ。
 中村さんが撮影した東京湾の生き物の写真を見た時、まさに強靱な“いのちそのもの”がそこにあると感じた。東京湾という私たちの足下に、いのちの根元を垣間見えたことがとても不思議だった。東京湾のなかに“いのちの根元”を見い出し、29年間も通い続け、知れば知るほど未知なる世界を思い知らされ、まだまだ足らないものがあるという理由で、一冊の写真集にまとめることを躊躇している中村さんの意思も執念も肉体も、おそろしく強靱だ。
 生命系というテーマで、中村さんに「東京湾」をお願いしたのは、まったくの直観だった。でも、中村さんは、私から「生命系」というテーマで東京湾をやりたいという話を聞いた時、東京湾ほど「生命系」というテーマに相応しい場所はないと思ったという。でも私は、中村さんに提案した身でありながら、東京湾にこれほどまで生命の凄みが凝縮していることを想像できていなかった。私の認識をはるかに超えていた。
 東京湾に、普通の水中写真家が潜っても、中村さんのようには撮れないだろう。南の島の海と違って、水は濁っている。しかも、水面上からの光を嫌って、中村さんは夜に潜るという。時々、アシスタントを連れて潜る時があるらしいが、アシスタントは、飛び込んだその場所で、右も左もわからなくなって、じっとうずくまってしまうという。
 中村さんは、恐るべき動物的本能(身体知)で、ターゲットの潜む場所に泳いでいく。そして、息を潜めて限りなく近づく。数センチという距離で、向き合う。闇のなかで、ターゲットに至るまでの時間、そして、撮影をする時間。話を聞いているだけで、息苦しくなってしまう。広大な海の中の、ほんの一点にすぎないような細部の場所に潜む小さな生き物たちの顔や身体から発せられる強靱な気配、その凄み。神はどんな細部にも生命の底深い意思を忍び込ませている。
 生き物を保護するとか、自然を大切にするとか、そんな人間の思惑を遙かに超えた領域で、“いのちそのもの”はドクドクと息づいている。その圧倒的な迫力を前に、思わず平伏してしまうような中村さんの東京湾の写真世界だった。