身体感覚としての故郷

 関西方面への出張で、少し足を伸ばし、私の故郷である明石に行き、小学校と中学校で一緒だった友人の車で、魚の棚センター、明石公園、小学校、中学校、高校、昔住んでいた家、毎日のように泳いでいた松江海水浴場を訪れ、ほぼ30年ぶりに小学校時代の恩師とも会った。

 私は、大学への入学と同時に故郷を離れ、大学に在学中は休みのたびに帰省していたが、二年で退学し、諸国放浪の旅から帰国した後は、この25年で、弟の結婚式など4,5回しか故郷の土を踏んでいない。そういう時でも故郷の隅々まで訪れるということはないし、地元の友人と会うことはあっても、一緒にあちこちを見て回ることなど今まではなかった。毎日そこで暮らし続けてきた地元の友人にとって、そこにある風景は感慨深いものでもなんでもないからだ。

 今回は、大阪で百々俊二さんの紀伊半島における風土と人間の写真を見て、自分のなかの”風土”を確認したいという思いが突然強くなって、明石まで足を伸ばし、旧友に案内をお願いしたのだ。

 ちょうど選挙中だったので、30年ぶりくらいに中学校や小学校のなかに入ることができたし、40年ぶりに自分が通っていた保育園も見ることができた。

 小学校の頃は頻繁に引っ越しをしたのだが、そのうち、二つの家がまだ残っていた。家の感じとか周りの雰囲気が、25年〜30年前とほとんど同じだったので驚いた。外装の修繕などを行っていると思うが、家の形、駐車場のスペース、隣りにあった土壁の古い納屋、私が海でとってきたワカメを干していた場所などの質感などは、まったく同じだった。

 とりわけ、小学校の5,6年の頃、学校から帰って誰も遊び相手がいない時、黙々とボールを投げつけて跳ね返ってくるボールをキャッチングする一人野球をしていたコンクリートの壁があるのだが、その壁の感じとか、地面の土の感じ、取り損ねたボールが転がっていった背後の坂道の斜面とかが、まったく同じで、時間の経過を感じられず、とても奇異な感じがした。また、そのように一人野球をしていたのが近所の家から高校野球の実況中継などが聞こえていた暑い夏の盛りで、昨日もまた夏の陽射しが強かったこともあり、今この瞬間と、高校野球の球児を気取ってピッチングフォームを真似していた頃の自分が、同じような夏の太陽の下、同じ土の上に、同じ壁に向き合って立っていることの不思議さを思い、頭がクラクラとした。

 今の自分が生きながら、同時に、過去の自分が生きて、ここにいる。なんかそんな感じがした。かつての自分に出会えそうな感じで、壁の傍の家の玄関から当時の自分がでてきても不思議ではないくらいリアリティがあった。

 私は、自分が育った場所を訪れても懐かしいとは思わなかった。懐かしい感じも人によってそれぞれだと思うが、せつなくなったり、胸が締めつけられるような感じにはならなかった。

 今ここに立っている自分と、姿形はまったく異なる筈のかつての自分が、同じ時空を共有している感じが、なんとも不思議だったのだ。

 自分は年齢を重ねながら世界中の様々な地域を訪れ、いろいろなことを見て知って経験したと思っている。

 それが、久しぶりに故郷を訪れ、家や壁や学校など具体的な物を一つ一つ確認する時、それぞれの場所と呼応する自分が自分の中にいることが、ありありとわかる。何の変哲もないコンクリートの壁とか、錆び付いた鉄の小さな橋でさえ、自分のなかに強く存在していることが感じられるのだ。そうした具体的な”物”だけでなかった。今回の帰省で強く実感したのは、道の形をとても深く記憶していることだった。通学などで毎日歩いた道の周りの田んぼが住宅地に変わったり、古い家が新しくなっていても、道幅とか、道の曲がり方が変わっていなければ、”同じ”という感覚が強くする。その”同じ”という感覚の前で、家のデザインとか形の変化は、まるで気にならない。毎日繰り返される通学では、道沿いの家の形とかデザインの一つ一つに注意なんて払っておらず、道に沿って動いていく身体的感覚だけが働いており、その働きが記憶として強く残っているのだ。

 私の故郷は、道に関しては、その広さとか、傾斜とか、曲がり方とか交差する場所が、30年以上前と、ほとんど変わっていなかった。道が変わらなければ、記憶が断ち切れずに連続する。

 私は、30年近く故郷を離れた人間で、その故郷に、今は具体的に帰るべき親も家もなく、その土地の空気のようなもので自分の根を確認するより他はない。もちろん、当時の友人達と話しをすることでも、それは可能かもしれないが、友人の話しのなかで過去のことが出てきても、それはあくまで彼らの記憶であり、私の記憶とはまた異なる。彼らの話しから私の記憶が喚起されることも当然あるが、「そんなこともあったなあ」と頭のなかで処理する程度のことで、自分の中の何かが突き動かされることはあまりない。というか、友人の口から出ることは、だいたいにおいて、数年前に会った時にも聞いたようなことが多いのだ。会話のなかで言葉にできることは当人が意識できていることであって、同級生が語る昔話というのは、当人が意識している範疇のことをコピーしながら繰り返していることが多いのだろう。

 それに比べて、昔通った道とか壁とかその周辺の空間というのは、意識的に整理したり思い出のなかで歪められることなく、ただありのままの姿でそこにある。

 それらを見ることで自分のなかに生まれる感覚は、自分だけにしかわからないけれど、間違いなく、自分のなかに実在するものだ。自分のなかにあるその実在を、自分自身が発見する。その発見によって、それまで自分が意識していた自分や自分の現実に対するイメージが少し変わる。

 生きるというのは、今あるこの一瞬を精一杯生きて未来につなげていくというのが一般的な概念だ。普通、人は、良きにしろ、悪きにしろ、過去の経験が今の自分を作ったと考える。過去と今の自分の関係が強いと感じていても、今の自分は、過去ではなく、あくまでも”今”から”未来”に向けてしかアンテナは開かれていない。過去から得たものをフルに活動して、建設的な今や未来のために対応するということだ。そういう感覚こそが、今日の社会ではまともだとみなされがちだが、そういう感覚でいるかぎり、今この一瞬は「未来」という目的の手段に成り下がってしまい、人間は、死ぬまで、手段としての「今」を生き続けることになる。

 そうした状態に陥っても人間は幸福を欲する。手段としての「今」を生きながら、手段としての力が増強している(貯蓄、資格、地位も同じ)ことの手応えを生の充実感とすりかえ、それでも欠如感がつきまとうならば、それを束の間忘れさせてくれる遊興に没頭する。

 そうしたスタンスが根本的に見落としているのは、私たちが”今”だと意識できる”今”は、氷山で言えば、海の上に現れて見えている部分でしかないということだ。それよりも圧倒的に巨大な情報量が、水の下に隠れて見えなくなっている。見えないからといって無いわけではない。私たちはその圧倒的に巨大な情報量を誇る”今”の一つ一つを、いちいち意識しながら対応しているわけではなく、道を歩く時のように、ほとんど無意識的に、身体を右に左に方向転換したりしながら生きている。その身体的感覚の全体が今であり、そのリズムは、道を歩く時のように、自転車をこぐときのように、その時ごとに完成しており、その一歩ごとが同時進行的に未来なのであって、今と未来は手段と目的の関係ではなく、歩く行為のなかで地面から離れた足(今)が必然的に地面に降りる(未来)という流れのなかの状態の違いでしかないのではないか。歩くうえで大事なことは、そのつながりをいちいち意識する必要のないスムーズさだろう。

 「9回の裏、満塁、ツースリー!」とかの状況設定を自分でつくり出して壁に向かってボールを投げて、跳ね返ってきたボールを、ノーバウンドとか、敢えてショートバウンドにして、「一塁に送球!」とか言いながら、もう一度壁にボールを投げてキャッチして、「試合終了!」などと言って一仕事終えた気分になる。そうした一人遊びが好きだった私は、今も同じように、やっていることに多少の幅は出ているけれど、自分で想定した状況設定のなかで、”壁”に向かってボールを投げて、跳ね返ってくるボールをキャッチして、アウトとか、セーフとか自分のなかで呟いているのであって、30年以上前から延々と同じリズムで生き続けているような気がする。


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