”永遠”とは

 「風の旅人」の10月号で紹介する伊勢神宮に、7/1〜3日まで、前田英樹さんと行ってきた。

 伊勢神宮の内宮のすぐ近くに宿をとり、内宮参りを三度行い、神に供えられる米を生産する神田から内宮までの道を歩いたり、古代の杜と、その周りの世界の空気を身体中で感じてきた。

 外宮は、衣食住の恵みを与える産業の守護神、豊受大御神が鎮座する所で、町中の世俗的な雰囲気のすぐ傍にある。それに比べて、天照大御神の鎮座する内宮は、五十鈴川の清流のほとりで山々に囲まれ、川にかけられた宇治橋の向こうにあるのだが、橋を渡る時に人間世界を出ていくような厳かな雰囲気がある。作られたのも、内宮の方が外宮より500年も古く、この二つの世界は、存在の仕方がまるで違っている。

 今回、伊勢神宮と、その近辺をゆっくりと歩いてみて実感したのは、内宮を取り囲む山々の穏やかな姿だ。高すぎず低すぎず、稜線も険しすぎることなく、山の上の空の大きさもちょうどいい感じで、見ているだけで心が和む。およそ2000年前、倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神を祭るにふさわしい地を求めて、大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られたのち、伊勢の地の山々と清流の五十鈴川が流れる土地を訪れた時、ここにしようと定められたらしいが、この穏やかな風景の中を、くにの平和と繁栄を見守る神の祭り場所としたことは、日本という国を考えるうえで、とても大事なことのように思う。

 伊勢神宮は、持統天皇4年(690年)の時より1300年もの長きにわたり、(途中、戦国時代などに途絶えたものの)、20年ごとに全てを作りかえながら今日に至るのだが、そうすることによって「古代」が現在に生き続けている。

 そのようなシステムにした理由は、神の宮が若返ることで世が活性化するとか、伝統的技術の継承をするため等と言われているが、どんなに堅牢なものでも形あるものはいずれ朽ち果てる宿命にあることを前提に”永遠”をこの世に現出させる人間の叡智が、ここに凝縮しているように感じる。

 伊勢神宮を造る木は檜の白木であり、防腐剤などいっさい使用していないし、建造においても釘などを一切使用していない。また、弥生時代の建築物のように掘っ建て様式で、深い穴を掘って、そこに柱が差し込まれているだけだ。そのため、20年後に建物を取り壊した後、それらの木を簡単に再利用できる。そして、全ての寸法も形も同じにして20年ごとに作り直していくから、歳月によって形が崩れたり、時代の流行によってデザインが影響を受けることがない。

 結果として、現代に生きる私たちは、古代の建築物を、姿形の崩れた廃墟としてではなく、常に新しい状態の活き活きとしたものとして見ることができる。同時に、古代の人々の世界観を、具体的に実態のあるものとして伺い知ることができる。

 まさに、1300年の時を超えて生き続けるという”永遠”が、ここに実現しているのだ。

 古代ギリシア古代ローマをはじめ、西欧の建築物は、長年の歳月に負けずに粘り強く生き抜いてきた物ならではの厳かさを秘めている。朽ち果てていく宿命に抗うようにして、”永遠”を求め維持しようとする人間の執念が、西欧文化の根元に流れているように思う。

 それに比べて、伊勢神宮の発想はまるで違う。朽ち果てていく宿命に一切逆らうことをしない。逆らおうとすればするほど歪みが生まれて本来の在り方を見失い、結果として歳月に蝕まれていくことを正しく理解している。

 生命現象というものも、個体が潔く死ぬことによって、結果的に、種全体が本来の在り方を見失うことなく、永遠に連続することができている。

 個体としての死を拒み続けることは、変質を受け入れることに等しい。色鮮やかに塗られた建築物が、色褪せてボロボロになっていくように。もちろん、そこにも一種の美学はある。ただ問題なのは、その美学に固執するあまり、存在の本来の意義を見失ってしまうことだ。

 特に、形だけを残して中身が無くなってしまう場合は、その後に続く個体に影響を与え、その存在の仕方に悪影響を与える可能性がある。形だけ残して機能しなくなった細胞が身体中にたまってくると、生命活動が健やかでなくなるのは当然だろう。

 伊勢神宮の驚くべきところは、20年に一度、建物を一新しながら、その周りの森が古代の状態を維持していることと、神宮内で、毎日、古代と同じ方法で祭りが執り行われていることだ。その祭りの数は、なんと一年で千数百回もあるという。

 弥生時代の登呂遺跡から発掘されたものと同じ形式の、ヒノキの板にヤマビワ製の心棒を摩擦して発火させる方法で火を起こし、神々にお供えものを調理することなど、日々の行いから年間の主要な祭りまで全てが、古代の様式と同じだ。外観を20年ごとに作りかえながら、同じ中身を維持し続けている。形ある物は朽ち果てていく宿命を逃れることができないから敢えて定期的に解体して作り直し、その中の活動は同じ状態を繰り返す。これはまさに、定期的に全ての細胞を入れ替えながらも以前の姿形をとどめ、活動は以前と同じ状態を繰り返すという私たちの身体と同じメカニズムなのだ。

 常に生まれ変わりながら同じ状態を維持し続けることに”永遠”がある。

 そして、その永遠を、私たちは心穏やかに受け止め、愛しく、美しく思う。

 風にそよぐ樹木の葉が散った後、春になったら再び芽を出すこと知っているからこそ、私たちは、もののあはれを感じながら、心穏やかにいることができる。

 消えていくものに対する日本人ならではの美意識は、消えることで必ず再生する何かがあることを信じる心情からくるものだろう。

 そして、再生するものに対する思いがあり、それを上手く行う知恵を持っていたからこそ、20年で全てを作り直すという潔さを、伊勢神宮は1300年も続けてこられたのだろう。



風の旅人 (Vol.20(2006))

風の旅人 (Vol.20(2006))

風の旅人ホームページ→http://www.kazetabi.com/

風の旅人 掲示板→http://www2.rocketbbs.com/11/bbs.cgi?id=kazetabi