第1294回 日本古代のコスモロジーと、火山帯。

西崎山環状列石(余市町

 

本から学ぶことも大切だろうけれど、現場から学ぶことで、本質にダイレクトに近づけることがある。

 世の中に出ている本の大半には、その分野の専門家による、その分野の中での実績や経験が積み重なっている。そして、その専門分野の中で、少しずつ、論理の改良がなされていく。

 その改良において大きな決定権を持つものが権威となる。それは個人の場合もあるし、組織の場合もある。

 そうした仕組みによって物事をブラッシュアップしていくことも大事なことだが、一つの分野の中で時間を経ているうちに、その中での概念が固定化してしまう。

 その既成概念に意識が縛られてしまうと、まったく異なる視点で物事を見るということが難しくなる。これは、産業でも、学問でも、表現活動でも、どんな分野においても同じだろう。

 視点を変えることが必要のない安定した時期もあるし、従来の視点に束縛されているうちに本質から離れていき、本質が歪み、それが現実世界に悪影響を及ぼす時期もある。

 もともと、”産業”は何のためにあったのか? 学問や表現活動もまた、何のためにあったのか? 

 そのことがいつのまにか忘れられて、それぞれの分野に携わる人たちが、それぞれの分野での”成功”ばかりを意識するようになってしまうと、人間の現実世界にも様々な矛盾が生まれてくる。

 本来、産業は、自然環境のなかで人間が生きていくための知恵と技術を発展させることだった。

 学問は、その様々な知恵と技術を深め、広げることだった。

 表現活動は、人間にとっての具体的な時間である生の領域と、抽象的な時間である死の領域を合わせて、一つの総合的な人間ビジョンとして創造されたものだった。なぜそういうことが必要だったかというと、死を意識する人間は、自分という存在が、どういう世界のどういう時空にいるのか気になってしかたないからだった。つまり、人間の表現活動は、人間のコスモロジーを示すものだった。

 日本各地の古代からの聖域、とくに縄文時代に遡るような場所には、共通点が幾つかある。

 一つは、湧水のあるところ。川の流れは変化していくが、湧き水の場所は、石器時代から変わらないところが多い。地下で侵食の影響を受けない水路は、数千年を経ても変わらないのだろう。東京でも井之頭公園などがそうで、そういうところには、必ずといっていいほど石器時代縄文時代の遺跡がある。

 二つ目は、地質的に変成岩をはじめとする特徴的なところが多い。固い岩盤の変成岩は、地形的にも、この世のものならぬ姿を示しているが、石にも特徴がある。硬く、色合いや文様も美しく、石そのものが何かしら語りかけてくるものがあると感じられる。そういう石は、古代、環状列石で使われたし、古墳の石材などにも使われた。

 また、そういう場所では、現在はほとんど見つからないが、かつては、宝石のような鉱石もたくさん拾えたのではないかと思う。 

 たとえば、場所は公にしたくないが、古くから聖なる湖とされていた信州の湖で、近年、冬場に揚水発電のためにポンプで水を汲み上げているのだが、その時、ふだんは見られない湖底の一部が現れ、そこには現在でも水晶がゴロゴロ転がっている。現在でも公になると持ち去られてしまうが、昔も、似たようなことがあっただろう。

 丹生という地名が残るところは、かつて辰砂(硫化水銀)と関係が深かった場所だと思われるが、ほとんど取り尽くされてしまっているので、今ではそのことがわからなくなっている。

 弥生時代になって稲作が始まってから、集落の位置が変わったが、石器時代から縄文時代にかけて、人々は、好んで火山帯に住んでいたようだ。

 縄文王国とされる長野の八ヶ岳の麓、群馬、そして新潟も有名な火炎式土器は十日町という内陸にあたるが、これらの地は、火山性の特徴が、非常に明確なところだ。

北海道、積丹半島神威岬。カムイは、アイヌの言葉で神を現わす。東北の火山帯である奥羽山脈を北に伸ばすと、この場所に至る。この岬の東の余市に、ストーンサークルが多数作られている。

 北海道の積丹半島から真南に火山帯が伸びるが、東北の奥羽山脈も火山帯で、南北に伸びる。そして、このライン上に、ストーンサークルなど縄文時代の重要な聖域が多く残る。

東経141度のライン、一番北の余市には縄文時代の環状列石が集中していて、北黄金貝塚公園(北海道にある縄文貝塚の1/5の面積を占める巨大な貝塚)。7千年前の大船遺跡、(世界最古の漆の副葬品)、垣ノ島遺跡(国宝 中空土偶)、万座環状列石、釜石環状列石などがあり、もっとも南、太平洋とぶつかるところ、木戸川の河口に、天神原遺跡(2000年前の東日本最大の集団墓)がある。

 奥羽山脈の西にある日本最深の湖である田沢湖カルデラ湖だと考えられているが、湖畔に縄文時代の遺跡がある。そして、2012年、その近くから黒曜石が発見された。

 縄文時代に石器として活用された黒曜石は、火山噴火の際に生じる流紋岩の一種である。

 縄文人が、なぜ火山帯を好んで暮らしていたのか?

 弥生時代、稲作を行っていると火山被害は深刻極まりないが、縄文時代は、めったに起こらない火山の被害よりも恩恵が大きかったのだろう。

 今でも火山は観光地で、風光明媚だし、温泉もあるし、古代人にとっては鉱物資源が重要だったのかもしれない。

田沢湖。御座石神社。龍神となった辰子姫を祀る。

 田沢湖には、辰子神話がある。

 美しさと若さを永久に保ちたいと密かに大蔵観音に願いをかけ、「満願の夜に北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあり、そのお告げのとおり泉の水を飲むと、何故かますます喉が渇き、ついに腹ばいになり泉が枯れるほど飲み続け、時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になって、田沢湖の主となって湖底深くに沈んでいったという話だ。

 似たような話で、八郎太郎神話がある。

 八郎太郎は、マタギをして生活していたが、ある日、釣ったイワナを、マタギの掟では仲間と分けなければいけないところ、あまりにも美味かったので一人で食べてしまった。すると急に喉が渇き始め、33夜も川の水を飲み続け、いつしか巨大な竜へと変化してしまい、自分の身に起こった報いを知った八郎太郎は、十和田山頂に湖を作り、そこの主として住むようになった。この湖が十和田湖である。

 八郎太郎と辰子は、中世の説話では恋人同士になるが、この二つの神話の共通点は、自分のエゴが、喉の乾きになること。そして、水を飲み続けて龍になって湖の主になること。

 田沢湖十和田湖は、火山と関係している。

 西暦915年に十和田湖で起きた巨大な火山噴火によって吐き出された噴火物は、自然のダムを作り、最後には決壊し、大洪水を引き起こしたが、この被害を受けた地区に、八郎太郎の伝説が残っている。

 火山噴火によって堰きとめられ、つまり水を飲み続けて龍となって、最後に、その龍が暴れたのだ。

 日本には無数の河川があり、それらの河川は火山噴火によって堰きとめられて湖となり、それがそのまま現在まで続いている場合もあるし、決壊したものもあっただろう。

 龍は水を司る存在で、龍と洪水を重ねて説明されることが多いが、辰子神話や八郎太郎神話のように、人間のエゴが、その上に重ねられているところが興味深い。

 人間行為が自然に即しているかどうかが、古代において、意識されていたことを示していると思われるからだ。

 龍の姿は、自然の恐るべき力に触れた人間が創造したものであるが、人間に対して、人間の欲や思惑の限界を、自然の力と重ねて思い知らせる存在になっている。

 縄文時代というのは、非常に長く続いたのだが、それは、火山の近くに住んでいた縄文人が、人間の欲や思惑の限界を、常に悟らざるを得なかったからだろうか。

縄文王国とされる群馬、長野、山梨、新潟の十日町周辺、東北、北海道の函館から余市のあいだが、火山帯と重なっている。

 弥生時代から、人々は火山の遠くに集落を築くようになった。

 そして政治の中心となった近畿は、東西の火山帯から最も離れた場所であり、奈良盆地は、さらにその真ん中である。

 恐るべき自然から離れて暮らすようになった人間の社会は、人間のエゴを中心に回るようになり、その変遷は著しくなった。

 さらに、近代、人間が管理する人工空間の中だけで人生の月日を費やすようになり、人間は、自分のエゴについて、古代人が感じていたように自然に即していないものとして捉えず、人生の正当な手段として捉えるようになった。

 古代の聖域の配置を確認すると、古代人が、現代人が考えている以上に、自分たちの”今”を、宇宙の秩序の中に組み入れていたことが感じられる。

 現代人にとっての自分の”今”が、単なる時の消化にすぎないのか、それとも、時空を超えたものとつながっていると感じられるのかは、今この時代に創造されるコスモロジーにかかっている。

 

 

________________________

ピンホール写真とともに旅して探る日本古代のコスモロジー

Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。

http://www.kazetabi.jp/。 

第1293回  The Creation Vol.2 天と地の曼荼羅

 


 年が明けてから集中的に取り組んできた「 The Creation Vol.2 天と地の曼荼羅 大山行男写真集」の全体構成とレイアウトとデザインが、ほぼできあがった。あとは、少し熟成させて、若干、写真を差し替えたり、整えたりの作業だけが残る。

 この本は、富士山の写真集というよりは、空海の「声字実相義」をベースにしたものだ。

 写真集の中に入っている「闇」をはじめとする文字は、平安時代の書の達人で三筆と言われた空海が書き残した文字から抜き出して、そのまま使っている。

 

 



 「声字実相義」では、文字と音声が、そのまま宇宙の真理を本質的に示現するものであると論じられている。

 しかし空海の説く文字と音声は、"からだ"と"声”となるひびき"と人間の"意識"がダイレクトにつながったものであり、現代人が、単なるコミュニケーションツールとして用いている言語とは、質的に異なっている。

 空海は、「いのち」の力と結びついた根源的な言語のひびきによってのみ、人は、真実の生き方に目覚めることができると説くのだけれど、現代人は、「ことば」を、それほど深いものであると意識できていない。

 この問題は、現代に限らず、過去においても起きていて、聖書の中のバビロンの塔建設の時、神の怒りに触れて言葉が乱れるのだが、これは、現代と同じ状況を示している。また、2500年前の中国の春秋戦国時代において詭弁家が跋扈したことや、同じ時代、古代ギリシャで、世界のことを分け知った顔で語るソフィストに対して、ソクラテスが、無知の知を唱えざるを得なかった時も同じだ。

 そうした状況は、人間が人工世界の中だけで生きるようになって、自然界が目に入らなくなってくると起きる。

 もともと、人間は、自然を住みかとし、その中で生きていた。自然界の”いのち”と一つながりであった人間は、自分が生きている環境世界を見回し、まず、声によって名称をつけ、それを文字にし、言語によって表現された世界を生みだした。この言語によってヒトは世界と結びついていた。

 それに対して人工物は、人間が計算して作ったものであるから、人間の理解の範疇である。だから、たとえば、列車の到着が少し遅れると、それだけで怒り出す人もいる。

 相手が自然の場合、そのように人間に都合よくはならない。だから、いくら言語で表そうとしても、言うに言われぬ領域が多く残る。

 しかし、人間が自然との距離をリアルに感じていた時、人間は、自らの知覚を総動員し、見ること・聞くこと・嗅ぐこと・味わうこと・触れること・そして考えることによって、自然界の真理に近づこうとして、届かない領域も含めて、それらのイメージ全体を声と字によって表現した。

 その声と字は、人間の知覚と意識を総動員して捉えた世界の姿だから、人間の"からだ”の根源と響きあう実態でもあった。

 まさに、言霊であった。

 しかし、メディアが人心を操るために作るキャッチフレーズや、消費財の販売や自己宣伝のためのピーアールや、相手をやりこめて優越感に浸るための武器にすぎない論説には、言霊はない。

 それでも、人間にとっての”言語”とは、いわゆる活字だけとは限らない。

 漢字が、もともとは自然物の抽象化であったように、人間は、からだと心の感覚と知力を総動員して、自然世界を抽象化する力があり、だから言語は、宗教や、芸術と同じ領域のものだ。

 この三つは、人類史の中で、おそらく同じ時に発生しているはず。それが10万年前か30万年前か、それとも100万年前かは明確ではないが。

 現在、私は大山さんとの連携で「The Creation」のシリーズを作り続けているが、もともと同じ領域のものであった言語と宗教と芸術の様相を、現代に蘇らせることが狙いであり、一般向けに、売れやすい写真集でないことは、最初からわかっている。

 第一号の、The Creation 生命の曼荼羅

https://www.kazetabi.jp/creation-%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85-1/

 は、まあ、とりあえず収支トントン。

 (現在、どんな写真集でも、赤字にならないこと自体が難しくて、多くのケースでは写真家自身の費用負担が莫大だが。)

 いずれにしろ、現代人は、言葉を消費財の一部にしてしまったが、同時に、写真という新たな手段も獲得した。

 もちろん、その写真もまた現代社会では消費財に貶められやすいが、まだ歴史の浅い写真には、表現の可能性も残されている。

 なので、その写真を用いて、本来の言語の真意に近づけようというのが、昨年から初めている「Creation」の試みだ。

 Vol.1の「生命の曼荼羅」、そして次の「天と地の曼荼羅」と、曼荼羅という言葉を冠しているのは、曼荼羅というものが、そのまま宇宙の真理を本質的に示現するもので、その”響き”が、人間の"意識"とつながったものであったからだ。しかし、1000年以上前に創造された胎蔵曼荼羅や金剛曼荼羅に描きこまれている無数の仏の図像を、現代人は、かつての人々ほど自分に引き寄せることができない。なので、そのまま仏をモチーフにしても、現代人の心は、かつての人々ほど、響かないだろう。

 なので、現代には現代の曼荼羅の創造が必要で、仏の図像ではなく、写真を用いて、現代の曼荼羅をCreationしたい。

 富士山の写真を撮っている人は無数にいる。そして、最新の高性能のカメラを使うと、素人でも、待ち受け画面にしたくなるような、それなりの美しい富士山の写真を撮ることはできる。(私も含めて)。

 しかし、それは、上に述べたような人工的環境の中で生きることに慣れた人間が、自分に都合よく処理した写真でしかない。

 富士山という自然の中に没入し、自らの知覚を総動員し、見ること・聞くこと・嗅ぐこと・味わうこと・触れること・そして考えることによって、その自然界の真理に近づこうとして、届かない領域も含めて、それらのイメージ全体を表現した富士山の写真ではない。

 そこまでの富士山の写真は、私の知るかぎり、たぶん、大山行男さんしか撮れていない。

 私は、ほぼ40年間にわたって大山さんが撮り続けた富士山の写真、この20年のあいだに、数千点以上に目を通してきた。

 風の旅人でも数回にわたって編集し、写真集に関しては、これまで2冊、編集構成を行った。そして、そのたびに、掲載写真の全てを自分で選んでいるので、その何倍もの写真を見て、選別するということを繰り返してきた。

 (大山さんという写真家は、自分の写真をセレクションすることが苦手な人(憑依するように没入しているので、客観視するのが苦手)で、それこそ、彼が撮った写真の全てを私が確認する必要がある)。

 そして、それらの写真を見る時の感覚は、単に写真を見ているのではなく、自分もまた富士山という自然の中に没入し、自らの知覚を総動員し、見ること・聞くこと・嗅ぐこと・味わうこと・触れること・そして考えることによって、その真理に近づこうとする感覚になって没頭するので、時間を忘れる。

 編集構成をする時、10時間以上続けていても、目も疲れないし、肩も凝らないし、なぜだか疲労感がまったくない。

 それほど集中力が維持するから、大山さんも驚くほど、あっという間にできてしまう。

 魂の領域での呼応関係があると、人は、どこかから大きなエネルギーを獲得できるのではないかと思う。

 

 

第1292回 大学入試の変化がもたらす未来

 2016年度から東京大学が『推薦入学』を導入し、2021年度の全国公私立大学の入学者のうち「推薦入学者」が50%を超えた。

 

resemom.jp

 現在の日本の行き詰まりは、教育から変わらなければどうにもならないと思っていたが、近年、その教育に大きな変化が生まれるかもしれないという兆しを、受験の変化の中に感じた。

 少子化によって、全国に無数に存在する大学の未来も厳しい状況にあるが、大学入試において推薦入学の枠が広がっている。

 これまでの大学入試は、決められた答えをどれだけたくさん正確に詰め込んでいるかの競争で、高校も義務教育も、そこに向けた教育が行われ、オリジナルの考え方など尊重されなかった。

 こうした教育は、明治維新から昭和の高度経済成長期までは有効だった。なぜなら、その時代の目標は一つであり、欧米が作り出したものを見習って、それを欧米以上に効率的に実行することが成功につながるというビジョンが明確で、それに対して集中的に努力すればよかったからだ。

 欧米人ほど”個”が確立していない日本人は、他の人と同じことをすることで安心する傾向も強いので、20世紀の価値観である規格品の大量生産と大量販売の時代に求められる特性とマッチしていた。さらに、そうした集中による成功体験があったために、その特性が強化された。

 この20年以上にわたる日本停滞の根本原因は、そうした過去の精神的構造によるものであり、エコノミスト達が口にしている”賃金”や”消費”や”投資”その他の理由は、原因ではなく、結果にすぎない。

 大学の推薦入学は、私が大学に入学した当時も存在していたが、当時は、指定校制度など高校と大学の長年の付き合いや、高校時代の先生の評価や簡単な面接だけや、スポーツの実績だけで決まるなど、学力に関しては、一般入試に比べて容易に合格できるものだったし、だから、少し見下されるようなところがあった。

 しかし、現在、この推薦入試のハードルが、かなり高くなっているようで、そのハードルの高さは、従来のハードルとは質的に異なっている。

 特に小論文の問題で、かつての小論文の問題は、従来の教育の延長上にあるものだった。

 「宣教師フランシスコ・ザビエルについて、来日の目的を50字以内で答えなさい」という類の。

 それが今では、「あなたがザビエルなら来日して布教のために具体的に何をするか、その根拠を600字以内で答えなさい」となる。

 この二つの問いに対する答えは、かなり質的に異なる。

 従来であれば、人から与えられた情報を組み合わせる能力が試されたが、現在は、知識や情報を自分に引き寄せて考えなければならない。

 「知っているだけ」だと、意味がないのだ。

 こうした受験傾向の変化は、当然ながら、義務教育など全ての教育に対して影響を与えるだろうし、家庭内での子供との接し方にも変化を与える可能性がある。

 現在、すでに、大学の「推薦入学者」が50%を超えており、10年後には、さらに増えている可能性があるのだから。

 そして、こうした新しい学習を身につけた人々が、未来の学者になっていくと、これまでの学説にも、大きな変化が生まれる可能性がある。

 たとえば、現在の学者の論文の全てとは言わないが、”引用”がとても多い。他の誰かが言っていることを元にしながら、それをうまくまとめて、論文を整えている。

 これは、メディアで重宝されている有識者や、オピニオンリーダーご意見番などと言われる人も同じで、特に欧米の学者や専門家の言っていることを頭にもってきて、それを説得力に使うという話法が非常に多い。

 ツイッターなどで多くのフォロワーを集めている人のタイムラインを覗いても、「自分の考え」などほとんどなく、リツィートばかりだったりする。いったん、どこかの”島”で、その人を「賢い人」と決めたら、その「賢い人」が振り分ける情報を追っていた方がいいと思う人が多くてフォロワーが増えて、そのフォロワーの数が、「賢い人」の権威化(もしくは商売道具)につながるという、構造的には学会と似た状況がSNSで増幅されている。

 いくらSNSが新しいツールだといっても、そうしたSNSを使っている人の大半が、古い学習の中に育ってきたからだし、その人たちの支持で拡大するため、その人たちの支持を広げるための工夫を凝らしてきたからだ。

 大きな数を狙うためには、そうするしかない。最先端は、大きな数の中に存在しない。

 先人の業績を尊重するのは悪いことではないが、先人の思考の枠を超えた思考が、新しい学習によって、未来に多く出てくる可能性がある。

 そして、新しい学習のための対策は、机上の勉強だけでは成り立たないだろう。すでに存在している多くの書物の中で、前時代において正当と評価されているものは、前時代の権威的思考による評価付けを受けたものが多い。なので、もしかしたら、前時代において”異端”とされたものの中に、未来に向けての大きなヒントが隠されている可能性があるが、それを探し当てるためには、自分が前時代の権威的正当に埋没してしまっていたら、難しくなる。

 前時代の様々な知識や情報を斜めに見ながら、自分を”現場”に投入して、先入観無しに、自分の身体と頭を使って体験的学習を行うことが必要になるが、学校教育においても、こうしたフィールドワークが増えていけば未来に期待が持てる。 

 ”現場”というのは、様々なところにあるが、なぜなんだろう?と思わずにいられない場面こそが、知を育む現場ではないだろうか。

 既にいろいろな書物で、いろいろなことが説明されているが、それらを読んでも、なぜなんだろう?という疑問が残る現場は、無数にある。自然界にも、歴史のなかにも。

 権威的な立場にある学者が言っていることを、真に受けて、「そういうものなんだ」と安易に整理しておしまいにしてしまってはいけない。

 その人たちが言っていることが、根本的に、ボタンの掛け違いを起こしている可能性があるのに、それを正しいこととして頭にインプットして、そのままアウトプットできれば「賢い人」と評価されると思っているのは、それこそ過去の遺物の発想だ。

 「飛鳥時代蘇我馬子が行ったことについて50字以内で答えなさい」ではなく、「あなたが、飛鳥時代に生きていて、蘇我馬子のような指導的立場だったならば具体的に何をするか、その根拠を600字以内で答えなさい」という問題に変われば、当時の国際情勢や、なぜ仏教なのかという問題や、穴穂部皇子殺害に背景なども、もう少し丁寧に調べて、考えざるを得ないだろう。

 そのアウトプットは、これまでの学校教育のように、過去のことを正しく知っているかどうかという評価ではなく、未来に向けるアクションとして、現在の問題に対して歴史の教訓を総動員するパッションと知力を備えているかどうかの評価ということになる。

 私は、小学校の時から高校時代まで歴史が好きで、国立大学の入試の受験科目を選択する際、「社会」で二つの選択が求められ、多くの学生が敬遠する「日本史」と「世界史」という、年号や人の名前その他、覚えなければいけないことが膨大にある二教科を選んでしまった。

 私は、歴史そのものは好きだったのに、受験において、人の名前や法令など正確な漢字を覚えなければいけなかったことや、年号を正確に記憶するのが苦痛だった。

 歴史の流れや当時の社会の構造とか、なぜそうなったのか?という歴史学習は、好奇心が刺激されて面白いのに、固有名詞や数字の詰め込みによって、歴史が嫌いになってしまった。

 おそらく、私だけでなく、学校での歴史の学習が、人物の名前や出来事や年号の記憶になって、つまらないものになってしまったという人も多いだろう。

 私は、大学を中退して世界を放浪していた時、子供の頃から興味があった古代エジプトなどの中近東の遺跡や、古代ギリシャやローマ遺跡、ヨーロッパルネッサンスなど、歴史上の舞台を好んで訪れたのだが、そうした現場の体験が、好奇心の維持につながることは間違いなかった。

 人間活動のダイナミズムの変遷は、人間の心を惹きつけて当たり前なのに、人間の歴史に対して無関心な人が多くなってしまったのは、間違いなく、歴史の学習の仕方に問題があったからだと思う。

 しかし、歴史を遠ざけてしまうことは、未来を遠ざけてしまうことと同一だ。

 過去から現在までの流れに関係なく、現在から未来への流れが生まれる筈はないのだから。

 ________________________

ピンホール写真で旅する日本古代のコスモロジー

Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。

www.kazetabi.jp

第1291回 現代を含めて全ての時代に、その時代特有のコスモロジーがある。

堂山3号墳(静岡県磐田市


 静岡県磐田市に堂山古墳群がある。

 ここには5世紀に造られた県内最大規模を誇る全長約110mの前方後円墳と、その周辺に、6基の円墳や方墳が築かれていた。

 磐田市天竜川東岸には他にも御厨堂山古墳群があり、太平洋から天竜川にそって諏訪の地に至る水上ルートが、古代において重要な役割を果たしているのではないかと思われる。

 異なるタイプの古墳が1箇所に集中している歴史背景を知ることは、古代の体制を理解するうえで重要なことだと思う。前方後方墳ヤマト王権という支配者側の古墳で、それ以外の古墳が、従属立場にいた人たちの古墳であるとみなす考えは、物事を對立概念で捉えがちな近代人の思考の癖なのではないか。

 同じ場所に、前方後方墳が世代を超えて引き継がれていたり、前方後方墳より新しい時代に前方後円墳が築かれたりするケースや、円墳と方墳が、同じ場所に築かれているケースの理由も考えなければいけないのだが、支配と被支配という概念だけでなく、数百年という長い歳月のあいだの変遷なのだから、コスモロジーの変化ということだって考えられるだろう。

 堂山古墳群の場合、残念なことに、巨大な前方後円墳の墳丘は、明治25年、学校用地造成のため土取りされてしまった。

 それ以外の古墳も、この写真の堂山3号墳という方墳が、かろうじて形を留めているが、他は、住宅地の中で古墳としての存在がわからなくなっている。

 1500年も残り続けていた古墳が、近代になって、いとも簡単に壊されてしまうことが起きている。

 日本には16万基とも言われる古墳があり、その多くは、今も確認できるのだが、こんな国は、世界でも珍しい。

 前方後円墳の近くに古い前方後方墳がそのまま残っているのだから、”対立”ではない何かしらの”調和”の取り計らいが行われていたからだろう。 

 明治以降の自己都合的で効率優先の精神からすれば、後から古墳を築くならば、前もってそこにあった古墳の土や石材などを利用した方が簡単にできると考える。

 しかし、明治維新以前、1500年以上もの間、そういうことは、あまり行われなかった。

 祟りを恐れたのかもしれないし、先人に対する敬意が保たれていたからかもしれない。

 そもそも、物を作るという行為が精神性と一体化したもので、安易な発想での物作りは魂がこもらないから意味がないという意識が強かったのかもしれない。

 近年の学問は、どんどん処世的になっており、そうした処世的な思考の枠組みを持った学者が、古代のことに対して何かしらの説を立てても、魂をこめた物作りという精神が失われてしまっていると、真相を理解することはできないのではないか。

 そうした”魂”は、科学万能の時代では、エビデンスがないゆえに、無とされる。

 ”魂”という言葉を使うと、現代社会では「宗教的なこと」として警戒されてしまうので、私は、「コスモロジー」という言葉に置き換えている。

 コスモロジーというのは、天体のことに限らず、世界の秩序構造の捉え方のこと。

 自分の生命のことに関しても、たとえば、「死んだらどうなるのか?」という問いは、コスモロジーの違いによって、答えも変わってくる。

 輪廻転生を信じている人は、世界の秩序構造がそうなっていると信じているし、死んだら無になると思っている人は、世界(宇宙)の秩序構造が、そういうものだと思っている。

 天動説よりも地動説が正しいというのは、宇宙の真実を指している考え方ではなく、人間の物の見方(コスモロジー)の変遷の一過程にすぎない。

 私たちは、遠近法で世界を見る癖がついているが、これは人類に普遍的な物の見方ではなく、ヨーロッパルネッサンスにおいて発明された物の見方であり、ヨーロッパ文明が世界を支配するようになって、そうした物の見方が広まって定着しただけのこと。

 遠近法は、どこか一点に軸足を固定して、世界を見る。

 自分と世界全体の関係は、自分と他者の区別によって行われ、自分の側に軸足を置くか、他者の側に軸足を置くかで、天動説が正しいか地動説が正しいかという議論になる。

 地動説のもとになっている考えは、恒星や太陽は停止していて、地球が動いているということだが、最新の宇宙論でも明らかなことは、地球も太陽も恒星も銀河も、全てが規則的な動きをしているということ。つまり宇宙の全ては動いており、その動きの中に秩序性があるということなのだが、どうやら古代人は、すでにそのことを認識していた。

 暦は、地球や天体の動きと密接に関わるので、世界観に通じる。また、現在でも占星術の人気があるように、暦と占いは古代から深く関係しているので、宗教観にも通じる。暦は、まさにコスモロジーを反映している。

 現代人は、宇宙論としては地球の側が動くという「地動説」を信じているにもかかわらず、日々の暮らしは、太陽の側が動くという太陽暦だけを基本としている。

 明治維新前、人々の暮らしは、月の動きを重視する太陰暦が基本だった。

 メキシコやグアテマラに栄えたマヤ文明は、とてつもなく複雑で壮大なカレンダーを残したことで知られているが、古代マヤ人は、太陽の動きを基本とした「ハアブ」と、260日周期の「ツォルキン」を使い、365日と260日が、それぞれの周期で回転していくと少しずつズレて、52年後に再び一致するが、これを一つの周期とした。

 さらに、紀元前3114年を創造の日として、そこから日数(太陽が沈んで1日が終わる)をカウントし続けた長期カレンダーがある。

 260日周期の「ツォルキン」においては諸説があるが、金星と太陽と地球の位置関係で、太陽と地球のあいだの一直線上に金星が来る場合の周期、もしくは金星と地球のあいだの一直線上に太陽が来る場合の周期が583.92日で、そこから金星が太陽の影に入って見えない56日と、太陽の光で見えない8日を引いた520日(明けの明星か宵の明星が見える期間)の半分という説があり、マヤ人は、このツォルキンを、宗教的な儀式・行事や占いなどの時間を決定するために使用していた。

 おそらくマヤ人は、天空に瞬く無数の星の中で、マイナス4等星の非常に明るい金星のサイクルを、自然界のバイオリズムと重ねていたと考えられる。

 文字で刻んだマヤ暦は、かなり古いものが残っており、昨年の4月、グアテマラのサン・バルトロ遺跡で発見された壁画の破片は、現時点で発見された最古のマヤ暦の可能性が高いとされている。

 日本の古代には文字がなかったと考えられているが、マヤ人のように石などに刻み込む文字がなかっただけで、たとえば古代ペルー文明のカラル遺跡(紀元前3000年頃から前2000年)でも発見され、日本の琉球王朝や、現在でも朝廷儀礼の中で用いられている紐文字のようなものが無かったとは言い切れない。

 日本の神社、古墳などの古代の聖域は、冬至のラインの関係性にそって作られているところが非常に多いが、縄文時代ストーンサークルなどにおいても、その傾向が見られるところもある。

 冬至は、太陽の力がもっとも弱まる時でもあるので、復活の日として神聖視されたという考えもあるが、それだけでなく、暦合わせでも起点となる日だった。

 現代人が使用している太陽暦は、日本では明治以降に導入されたが、古代から人々は、生命のリズムと関わりの深い月の満ち欠けを見て時期を判断していた。月の周期は28日であり、季節を司る太陽の周期とずれていく。しかし、冬至の日、どの場所に太陽が来るかを正確に決めておけば、その日を起点として月の満ち欠けをカウントしていけばいい。

 3000年以上前に遡る古代中国の周王朝は、冬至を新年とする暦を採用していたことがわかっているが、おそらく、冬至のラインと聖域をリンクさせている日本の古代も、冬至を一年の始まりと捉えていたのだろう。

 古代、聖域の配置も、コスモロジーに基づいていた。

 古代の探求を行うのは、古代に起きた事実を確認して年号整理を行うためではない。

 古代人のコスモロジーを自分ごとに引き寄せることが大事だと思う。

 なぜなら、人間のコスモロジーが時代によって変遷しているのは、人間が世界と向き合う時に、どこを強く意識しているかが変遷しているからであり、意識の向け方によって世界認識が変わってくるということを示しているからだ。

 人間にかぎらず犬や鳥やモグラやコウモリや蛇や蛙など、どんな生き物にもコスモロジーがあり、それぞれの世界認識が、それぞれの生存戦略と結びついている。

 人間が他の生物と大きく違うところは、非常に短い期間に世界認識の仕方に変遷があることで、 一人の人生においても経験によって物の見方が変わり、物の見方が変われば行動も変わる。

 地球温暖化問題など、現代文明の行き詰まりのことがよく話題になるが、それらの問題に対する議論は、ほとんどが、その場しのぎにすぎない。

 人間のコスモロジーが、これまでと同じであるかぎり、矛盾が尽きることはない。

 一方で環境問題を口にしながら、もう一方で、”消費”の活性化が声高に語られる。

 ”消費”という概念も、当然ながら、現代のコスモロジーの反映だ。

 

_______________________

ピンホール写真とともに旅する日本の古代。

Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。

www.kazetabi.jp

第1290回 世界の三大リスクと、AI技術

国際情勢のリスク分析を手がける米コンサルタント会社が、今年の世界10大リスクとして、1位にロシア・ウクライナ戦争、2位に中国の習近平国家主席の権力独占をあげているのは、まあ多くの人が共有しそうなことだが、興味深いことに第3位として、人工知能(AI)の技術開発により報告書の文章などを自動生成する技術がさらに発展し、社会に偽情報があふれ「大半の人々には真偽の見極めができなくなる」としている。

 昨年の末、Chat GPTというAIを使った文章作成ソフトが公開され、とくにアメリカなどで短時間にソフトのダウンロードが集中して話題になった。私も、さっそく試してみたが、想像以上の出来で、今でさえこのレベルに達しているのだから、数年後はどうなるのだろう? と驚いた。

 同時に、日本の”事物を頭に詰め込むだけの教育”は全く無意味になると、今まで以上に確信したし、大学などにおける単位取得のための論文作成が、このソフトを使えば、お手軽にできるようになると感じた。

 それはともかく、こうした AI技術によって、「大半の人々には真偽の見極めができなくなる」という時の”真偽”とは、いったい何を指しているのか?

 オレオレ詐欺のような明らかに人を騙して損害を発生させるようなケースでは、真偽の判断は簡単だが、世の中には、真偽の判断が難しいケースが膨大にある。

 たとえば、多くの人々が関心を持つ健康情報。「科学的証拠」という言葉で武装されたインチキ商品のなんと多いことか。

 また、ブランド品のコピー商品は「偽」だとはっきりしているが、だったら、ブランド品は、「真」なのか?

 お金持ちでもないのにブランド品を買い漁る中毒症状に陥っている人が多くいるが、そうした現象は、ブランド品が作り出している「偽」の幸福や優越によるものではないか?

 政治家が、選挙に勝つために自分が有利になるよう情報操作をすることは誰でもわかる偽であり、それがバレると、世間は大騒ぎする。

 それに対して、学会で、権威的な立場にいる学者が、自分のポジションや名声を守るために、新しい説を出す人を異端扱いをしたり、色々な理由をつけて封じ込めてしまっても、世間の人は、自分の利益と直接的に関わりがないケースでは興味を持たなかったり、そもそも気づくこともない。そうした権威的操作は、どうなのか?

 地球温暖化問題においても、化石燃料を使う自動車を電気自動車に変えろと主張する声がEUなどに特に強いが、電気自動車のためのリチウム電池を作るために化石燃料が必要で、かつ、リチウム資源が、化石燃料に比べて、かなり偏った地域に依存する必要がある(ほぼ中国が独占)ことが伏せられているという「偽」は、どうなのか?

 現在の文明生活を続けていくことは大いに問題があるが、温暖化=二酸化炭素の排出と単純化して、他の可能性を排除してしまっている原理主義的な「偽」はどうなのか?

 北海道の縄文遺跡は、暖かい海で育つ貝が多い貝塚と、冷たい貝が多い貝塚の場所が異なっており、縄文時代のなかでも、かなり温暖な時期と寒い時期があり、そのたびに海岸線の位置が違っていたことがわかっている。縄文人が、二酸化炭素の排出の多い暮らしをしていたわけではないのに。

 そして、「数学」に支配された現代の宇宙論は、数年前、「ヒッグス粒子の発見」が世界的に大きな話題となった。

 大半の人にとって、何ものかがよくわからないヒッグス粒子だが、専門家の中では、数学的に存在が仮定されるヒッグス粒子が本当に発見されれば、最先端の数学的宇宙論の正しさが証明され、宇宙の構造が解き明かされるとしていた。

 そのヒッグス粒子とやらを発見するために、巨大な粒子加速器を建設し、莫大なエネルギーを使って、実験が繰り返されていた。

 「ヒッグス粒子発見!」のニュースが世界中を飛び回ったのは、欧州にある巨大な粒子加速器の運営のための費用の大きさが問題となっている時だった。

 世紀の発見とされた「ヒッグス粒子発見!」のニュースの後、私たちの宇宙認識に、何かしら変化があっただろうか?その後、専門家のあいだで、何か画期的な仕事があったという話も聞かない。

 火星探索においてはどうだろう? 

 水と酸素さえなんとかすれば火星が移住先になるかもしれないなどと伝えられているが、大気のバリアがない火星が、猛烈な宇宙線に晒されていることや、地球の台風とは桁外れのエネルギーを持つ磁気嵐の存在が伝えられない。

 火星の表面にある渦巻きは、地球上の竜巻のような大気の動きではなく、磁気嵐だ。送電線の近くに住むだけでも頭痛がする人がいて、そうした場所に立つ家は敬遠されて安くなっているのに、その何千倍、何万倍もの規模の電磁場のなかで生活しようと思う地球人がいるはずがないし、原発事故での放射能漏れを恐れる地球人が、コロナウィルス対策のマスク着用でも億劫なのに、宇宙服を着ていないと宇宙から降り注ぐ放射能を防げない環境で、幸福で快適な暮らしをできるはずがない。サハラ砂漠や南極の方がよほどマシ。人口減少が深刻な問題になっている日本の山間部などの過疎地域は、火星に比べれば天国だ。

 火星移住をロマンのように語る輩は、予算が欲しいだけで、そのためには税金を使わなければならない。そして、火星探索の技術は軍事に転用できる。防衛費予算だと目立ってしまうから、科学技術の振興や人類のロマンのために税金を使うというロジックが作られているのだが、そうした偽を、どれだけの人が認識しているのか?

 人工知能(AI)が発達しようがしまいが、すでに、「大半の人々には真偽の見極めが難しい」状況になっている。

 そして、人工知能(AI)による文章作成技術の発展で、こうした「偽」に対して、無防備に、真に受ける人が増える可能性はある。

 最近、私が出版関係の仕事をしているからだと思うが、「ライター派遣」というメールが届く。

 なにやら、ライターを1万人以上抱えている会社があるようで、媒体の必要に応じて、最適なライターに文章を書かせることができるようなのだ。

 おそらくシステムとしては簡単なことで、どこかのサイトに、ライター希望者を登録させているのだろう。

 そして、私のような出版関係者から発注があれば、そのサイトで、その登録者たちに、その内容で文章を書ける人がいるかどうか問いかけるのだ。料理についてとか、セレブについてとか、旅情報とか、いろいろ得意分野もあるだろうし、取材が必要なら、地域性も関係してくる。

 翻訳の仕事でも、似たようなものがあるし、写真もそうだ。

 そして、その登録ライターたちは、これまではネット上の情報を借用したりして、それなりの形の文章に整えることで、報酬を得てきた。

 今後は、人工知能(AI)による文章作成技術を使う人が増えるだろう。

 もはやライター業に専門的な情報知識や経験が必要がなくなって参入障壁が低くなるから、競争相手も増えて、報酬も少なくなる。名刺の肩書きを、「ライター」とか「文筆業」とする人ばかりが増える。他の業種でも、似たようなことが起きている。

 こうした状況が加速すると、「ものを知っている」とか、「ものを知っていない」ことの境界が、わからなくなる。

 「ものを知る」というのは、誰かが言っていることを受け売りすることではなく、真偽を「判断する」ことなのだが、世間でまかり通っていることが正しいことで、自分が感じていることや考えていることよりも、そちらを優先するという自己暗示みたいなものがかかってしまうと、ますます判断ができなくなる。

「自分は世の中のことを何も知らない」という劣等意識があるから自分で判断するのが難しい傾向が強くなるのだが、「世の中のことを何も知らないけれど、自分で考えて判断したい」という強い気持ちを持ち続けることこそが、実は、本当の意味で、「世の中のことがわかっている」ということではないか。

 人間に限らずどんな生物においても、「自分が生きている世の中のことを、わかっている」ことによって、生存の危機を免れている。

 そうした生存の危機に対する感覚は、本能的なもので、この本能が弱くなっている生物は、生きていけない。

 つまり、「世の中のことをわかっているかどうか」というのは、どれだけ雑学を身につけているかではなく、生存の危機を察知するセンサーを失っていないかどうか、の違いということだ。

 「世の中のことを何も知らないけれど、自分で考えて判断したい」という気持ちは、簡単に騙される人間になりたくない、という意識の表れであり、生存の本能からくるものだろう。

 AI技術が、この生存本能を侵してくるようなら、それは、その人にとっての危機だ。

 「人類の危機」とか、「世界の危機」とか、大きな言葉が使われる時も、だいたいにおいて、「偽」が潜んでいる。

 そういう大きな言葉の前に、人類のことや世界のことを、どれだけ自分ごととして引き寄せているかを、その人のほかの言葉で判断する必要がある。その人が、どれだけ、人類のことや、世界のことをわかっているのか、その認識の深さを知る必要がある。

 誰かが言っているようなことを言っているだけの場合は、その人なりの世界や人類に対する認識は、とても浅い。その人なりの認識が浅くなるのは、自分に引き寄せて、人類や世界のことを考えてきていないからだ。

 生存の危機を察知するセンサーが健全に機能していれば、物事を自分に引き寄せて考えていない人の言葉は、あまり信用しない方がベターだと反応する。

 そういうセンサーは、他者に対してだけでなく自分に対しても働くから、そのセンサーが機能していないと、自分を偽っていることに対しても気づかなくなる。

 

________________________

ピンホール写真とともに旅する日本の古代。

Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。

www.kazetabi.jp

第1289回 古代のコスモロジーと、現代のコスモロジー

岩上神社(愛知県蒲郡市

 1月21(土)、1月22(日)、13:00- 東京都日野市の私のオフィス(京王線高幡不動駅から徒歩12分)で、「古代のコスモロジー」と題したワークショップセミナーを行います。 

 この6年間、私は日本国内の古くから人間が大切にしてきた場所を訪れて、ピンホールカメラで撮影を行い、写真と文章でSacred worldという本の形にし続けています。 

 歴史研究のためというよりは、古代のコスモロジーを自分ごとに引き寄せて、世界と向き合う視点に幅や奥行きをもたらしたいと考えています。

 コスモロジーは、天体のことに限らず、世界の秩序構造の捉え方で、宗教や哲学も含まれ、人生観や死生観も含まれます。

 人間にかぎらず犬や鳥やコウモリにもコスモロジーがあり、自分が認知する範疇で世界のことを思い描いて行動していますが、人間が他の生物と大きく違うところは、時代によって世界認識の仕方に変遷があることです。 一人の人生においても、経験によって物の見方が変わり、物の見方が変われば行動も変わります。

 数百年、数千年の歳月を超えて伝わっているものには、現代的な価値観の範疇を超えた何かがあるはずで、現代のバイアスに囚われずに世界と向き合う時、そこから未来への回路が見えてくるかもしれません。

 詳細およびお申し込みは、下記のホームページをごらんください。

https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/

 都心から少し離れていますが、京王線で新宿から特急で35分ほどです。新撰組土方歳三菩提寺でもあり、行基菩薩が開基し空海不動明王を置いたとも伝えられる高幡不動尊金剛寺の近くです。

 年末、京都から東京に移動する時に、愛知県の岩上神社という場所を訪れました。

 すると境内に、「テレビで紹介されたパワースポット岩神様で今年の運気を高めましょう」という掲示がありました。

 テレビで紹介されたことが一体どれほどの価値があるのかと思いますが、こうした宣伝文句が掲げられるということは、テレビや新聞や雑誌など何かしらの媒体で取り上げられたら、それだけで価値があることのように思っている人が多いということなのでしょう。

 これもまた、現代のコスモロジー

 現代のコスモロジーは、情報過多社会のなかで歪められ、人類史の中では一過性のものにすぎないのに、普遍的なもののように錯覚し、現在のこの価値観に縛られたまま寿命が尽きるまで過ごさなければいけないと信じている人も多くいます。

 だから、この価値観の中で成功しようと立ち回り、うまくいかないと落胆し、絶望する。

 成功している人を羨ましく思ったり、自分と比べてうまくいっていない人を蔑んだりするのは、現代のコスモロジー=イリュージョンに囚われているからでしょう。

 私は、風の旅人を制作していた時から今の「Sacred world」のプロジェクトに至るまで、現代のコスモロジーやイリュージョンに対する疑念をもとに、世界を再発見して生き直す回路につながりたいという思いで、制作を続けてきました。

 現在、私は、ピンホールカメラを担いで、日本の古代に潜入し続けていますが、歴史研究のつもりはなく、古代のコスモロジーを自分に引き寄せて、世界の根本について考え直し、その視点に幅や奥行きをもたらしたいと考えています。

 ピンホールカメラを用いているのは、最新のカメラ技術の描写が、現代の価値観を反映しすぎている気がしているからです。

 古くから人間が大切にしてきた場所などにおいては、「テレビで紹介されたパワースポットですよ!」という宣伝文句で誘うのではなく、そうした現代的な視点を超えた何かを発見することが大事であり、その何かは、現代人においても潜在的に保ち続けている敬虔さや畏怖感などにも通じます。

 人間に限らず、生物は、”畏れ”の感覚を持っています。

 それは、その感覚が、生物の生存のために必要なものだからでしょう。

 

________________________

ピンホール写真とともに旅する日本の古代。

Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。

www.kazetabi.jp

第1288回 時代ごとに変わる人間のコスモロジーと、歴史との向き合い方

今を生きる人にとって、「歴史」が、自分に関係ないもの、もしくは単なる知的好奇心の対象(趣味)、および大河ドラマ鑑賞などの娯楽になってしまったのは、歴史と向き合う時に、人間のコスモロジーのことが、あまり考えられていないからではないかと思う。

 コスモロジーは、天体のことに限らず、自分たちの周りの世界の秩序構造の捉え方のことで、宗教や哲学も含まれ、人生観もまた、ここに入ってくる。

 地動説や天動説もそうだし、死を単なる物質的終了とみなすのか輪廻転生を信じるのかも、コスモロジーの違いにすぎない。

 動物行動学者の日高敏隆さんは、それをイリュージョンと呼んだ。

 人間も、犬も鳥もコウモリも、自分が認知する範疇で、世界のことを、それぞれの形で思い描いている。

 しかし人間が他の生物と大きく違うところは、時代によって、そのイリュージョンの変遷があることだ。

 一人の人生においても、経験によって物の見方が変わってくる。物の見方が変われば、行動も変わる。この人間的特徴によって、人間の未来も変わってくる。

 「鬼畜米英」というイリュージョンは、日本人に最悪の事態をもたらした。また、ヨハネ至福千年説を熱狂的に信じていた人々が西暦1000年を過ぎても最後の審判で滅ぼされなかったことに歓喜し、サンチャゴ巡礼の旅がブームになり、この民族的大移動が、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンスの契機となり、近代化へと続く道のりとなったように、イリュージョンが、人間世界を変えていく力になる。

 だから人間は、自分たち人間のイリュージョンが、時代環境によって変わってしまうということを理解しておく必要がある。

 歴史を探求することの意義は、ここにあるはずで、反復運動のように過去を確認して整理することではない。

 1400年も昔の話なのに、歴史好きでなくてもなぜかよく知られていることとして蘇我氏物部氏の戦いがあり、一般的には、仏教の導入をめぐる戦いとして整理されている。

 当時の日本社会に起きていたことを深く考えることもなく、飛鳥時代蘇我と物部の戦いを仏教をめぐる対立として記憶することが歴史の学習になっているのだが、こんな歴史学習が、情報過多の時代に無意味なものになってしまうのは、ごく自然なことであり、根本的に間違っている。

 仏教は、一つのコスモロジーである。そして、そのコスモロジーが、政治的に有効な時もあったし、時の権力者に危険視されたこともあった。

「仏の前に誰しも等しく平等である」という、かつての仏教のコスモロジーは、地上の権力者の威信が統治の要になっている時代には危険思想だし、このコスモロジーが統治のために必要な時代も、過去にはあった。

 世界的に見れば、仏教が国家統治の要になった国として、カンボジアにアンコールトムが築かれた12世紀後半のジャヤーヴァルマン7世の時があった。アンコールワット遺跡の多くは、ヒンドゥー教関係だが、アンコールトムは仏教寺院であり、寺院の真ん中に慈悲深い仏の大きな顔があることが有名で、この顔は、ジャヤーヴァルマン7世の顔に似ているとされる。

 この時代、クメール王朝は歴史上最強で、シャム(タイ)からチャンパ(ベトナム)を含むインドシナ半島全域に領土を拡大していた。

 つまり、この領土内には、異なる民族と宗教が多く混在しており、ジャヤーヴァルマン7世は、それまでのクメール朝の伝統的宗教であったヒンドゥー教ではなく、「仏の前に平等である」というコスモロジーの仏教を国家宗教として統治を行った。

 これと似たケースが、中国史上で最も仏教文化が花開いた北魏だった。北魏は、西暦386年 - 534年と、日本の飛鳥時代の少し前の中国王朝だが、その前の中国は、三国時代から五胡十六国と戦乱の絶えない時代で、その中から北方の騎馬民族だった鮮卑族が、中国の北半分を統一して築いたのが北魏という国だった。

 北魏は、少数の民族が、多数の異なる民族を治めなければならないという状況の中で、仏教を活用し、雲岡や龍門の石窟寺院や莫高窟など中国仏教の傑作を築いた。五胡十六国と象徴される異なる民族たちは、それぞれの神々を求心力の要としており、どの神が上位かという争いにならないよう、北魏は、仏の前に平等とする仏教を国家宗教としたのだ。

 北魏の後に続く隋や唐といった、飛鳥時代以降の日本と関わりの深い統一王朝も、漢民族ではなく、鮮卑族が政権を担った国だ。

 日本の飛鳥時代もまた、これと同じような状況があったとは考えられないだろうか?

 この飛鳥時代、大王の墓が、それまでの前方後円墳から、すべて方墳に変わる。

 これについて、現在の歴史学の権威は、「方墳は、蘇我氏系の王の墓」だと処理してしまっている。

 蘇我馬子の墓と考えられている飛鳥の石舞台古墳が方墳であり、推古天皇用明天皇など、蘇我氏系などとされる天皇の墓が方墳だからだ。

 しかし、蘇我氏という一血族の墓が方墳で、蘇我氏の影響力が強かった時代だから、天皇の墓も方墳になった、などというのは、あまりにも安易な考えで、方墳と前方後円墳の違いは、単なる様式の違いではなく、コスモロジーの違いによるものだと考えられる。

 そのコスモロジーは、蘇我馬子聖徳太子推古天皇の時代の17条憲法に反映されている。

 そのあたりの事情を、第1287回のブログに書いた。

 日本には16万基とも言われる膨大な古墳があり、その多くが現在でも形を留めている。こんな国は世界中どこにもない。

 そして、宮内庁天皇陵としているところは残念ながら発掘調査ができないけれど、それ以外の、古代のタイムカプセルのような古墳の発掘調査が次々と行われていて、1500年以上も前の歴史の痕跡を私たちに見せてくれる。

 とくに、ここ数十年の発見は、これまでの歴史の通説を覆す可能性のあるものが多い。

 しかし、その膨大な考古学的成果や、その意義が、現在を生きる私たちに伝わっているとは思えない。

 次々と新たな歴史的事実が発見されても、それらをどう整理し、ストーリーにしていくかという大きな課題があるが、アカデミズムの権威が、従来の歴史観のうえにあぐらをかいているかぎり、新しい視点は、アカデミズムのなかで、陽が当たる道にはならない。

 私は、これまで学校などで教えられてきた歴史で、どうにも納得できないことがある。

 それは、例えば「ヤマト王権」とか「邪馬台国」のことだ。

 一般的に、私たちは、古代、九州にあったか奈良にあったかで論争が続いている邪馬台国ヤマト王権によって日本が統一されていたかのように教えられている。

 しかし、例えば中国にしても、今日の中国領土になったのは、清の時代である。清は、1616年満洲に建国された国で、漢民族ではなく満州人によって、現在に至る広大な国土が支配された。

 それまでの中国王朝は、現在の新疆ウィグル自治区チベットも領土ではなかったし、敦煌くらいが、北方の騎馬民族とのギリギリの境界線だった。

 中国王朝の力が強大になった時に、国境線を少し西に広げることが何回かあったが、長く統治することはできなかった。

 日本は、国土は決して広くはないが、かなり細長い国であり、しかも山に覆われ、古代において、日本列島の端から端まで軍事的に、継続的に統治できるとは思えない。

 もちろん、軍事的に勢いがある時は遠征隊が出かけていき、捕虜を連れ帰ることがあったかもしれない。日本書紀には、ヤマトタケル蝦夷の捕虜を連れ帰り、朝廷の守護にあたらせたという記述もある。それが後に「佐伯」となったと記録されている。”さわぐ”が”さえぐ”になり、「さえき」になったそうだ。私の祖先は、蝦夷をルーツに持つ俘囚かもしれない。

 それはともかく、いくら蝦夷を一時的に武力攻略したとしても、畿内から遠く離れた東北全土を、継続して統治していくのは簡単ではない。

 日本の古代は、5世紀前半に高句麗と戦って大敗するまでは、騎馬もなかったとされている。16世紀にスペインによってインカ帝国が滅ぼされた時、インカの人々は、馬と一体になった人間を怪物のように恐れ、しかも、銃と弓矢という殺傷力の差が明確だった。

 しかし、いわゆる邪馬台国ヤマト王権の興隆期とされる時期には、鉄器と石器の差はあったかもしれないが、この差が、それほど大きなものだったとは思えない。

 なぜなら、現在の歴史学では、日本の鉄などの金属資源は、8世紀の奈良時代に鉱山開発が行われる前は、自前の資源を持たず、全て輸入したものを加工していただけ、とされているからだ。

 だとすれば、日本と大陸のルートは九州だけでなく、山陰、北陸、新潟など様々であり、ヤマト以外、どこの地域でも、交易によって最新技術や鉄資源などを入手できたということである。

 そして、何よりも、統一文字を持たずに、列島の端から端を果たして統治できるのか、という疑問がある。

 広大な領土を持つ統一国家を維持するためには、法律を決めたり、物事を記録する必要性がある。

 秦の始皇帝は、春秋戦国時代の後に国内を統一するにあたって、文字の統一を重視した。中央集権の政治体制のためには、官僚統治が必要であり、法律の整備や、国家単位での貨幣や計量単位の統一が必要だった。

 そうしないと、収税もうまくできない。

 ヤマト王権が日本を支配していたとすると、どうやってそれが可能で、その支配というものが、どういうものであったかを説明しなければならない。

 中国においては、3500年前に殷王朝が甲骨文字を発明したが、この文字は神聖文字で、占いなどに用いられ、ローカルな一地域の宗教的な道具であった。

 この甲骨文字を、異なる地域の豪族たちの連絡記録として活用するというアイデアを生んだのが、次の周王朝だった。

 周は、もともとは殷に属しており、殷の文字文化を身につけていた。周王朝は、当初、血縁者を地方に派遣し、国づくりを行わせ、さらに地方の有力者も、それぞれ国づくりを行い、そうした各地の国の宗主国として周王朝が存在していた。ゆえに、周は、統一王朝ではなく、日本でいえば、室町時代の足利氏と地方の豪族(後の戦国武将)との関係のようなものだった。

 だから、周の時代の後半、日本の戦国時代のように、各地域の国と国が激しく争う春秋戦国時代となった。その混乱から国を一つにまとめたのが秦の始皇帝だが、その統治のために法律の厳格な運用を行った。そこで必要だったことが、文字の統一だった。

 文字の統一がなければ、統一国家を維持できない。

 日本において、文字の統一が行われはじめたのは、5世紀末頃に発明された訓読み日本語の使用以降のことである。

 王権でいえば、第26代継体天皇あたりが、その境だろう。

 継体天皇は、それまでの天皇とは血統が異なり、急遽、天皇に推挙された人物である。即位後に、新羅征伐のために大軍を送る指揮をとっているので、同じ時期、新羅という国家が成立したことが、日本の国家統一の機運となったのではないかと思う。

 ならば、それ以前の、いわゆるヤマト王権とされる時代は、どうだったのか? 

 この時代は、文字がなかったため歴史的には空白の時代だ。

 8世紀になって、古事記や日本書記で、過去のことが記述されているが、それを元に、歴代天皇の治世の時期を推定したりしているが、口承で、年代を伝えらえるとは思えない。そもそも、暦の記録がなく、どのように時の推移を把握していたのかもわからないのだから。

 統一文字がなかった時代は、勢力の差はあれども、地域ごとに異なる豪族が治めていたと考えた方がいいのではないだろうか。河川の治水工事をはじめ、地域の中の人々の共通の課題を解決するために。  

 そして、他の地域の勢力との間に、時には争いもあっただろう。

 これまでの歴史学では、ヤマト王権と、地方の豪族を、主従の関係で捉えてきた。

 だから、前方後円墳前方後方墳の関係も、前方後円墳ヤマト王権という主人と関わる墓で、前方後方墳が、従の立場にある者の墓だと整理されてきた。

 私は、いろいろな角度から考えて、この二つの違いは、コスモロジーの違いではないかと思っている。

 この二つのタイプの古墳の謎について探求するうえで、骨組みとなる考え方を、自分なりのフィールドワークに基づいて書いたのが、第1285回のブログだ。

 これが正しいなどと言うつもりはないが、これまでの頑迷なヤマト王権論に固執していると、次々と新しく発見される膨大な考古学的成果を、どういう文脈で整理すればいいかわからないままになってしまうのではないかと思う。

________________________

ピンホール写真とともに旅する日本の古代。

Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。

www.kazetabi.jp