写真をわかるとは? に関する呟き



写真をわかるとは?? 写真は見れば誰でもわかる、人それぞれ、好みの問題という言い方がある。そして、そうした考え方が、現在の写真の在り方を混沌とさせている。写真にも、言葉のように、わかるわからないという側面があり、その考えが、まだ整理されていないだけだと思う。


 写真をわかるとは?? 「わかる」という状態は何段階かにわかれる。第一に、マークシートのテスト問題で「厳粛」という言葉の意味を選び出せる。第二に、文章の中に「厳粛」という言葉があっても、辞書を引かずに状況を理解できる。第三に「厳粛」という言葉を自在に使って、自分の文章を書ける。




 写真をわかるとは?? さらに、「厳粛」という言葉の意味はよくわかったうえで、語りかける相手や、場の状況に応じて、別の言い方に変換して伝えることができる段階がある。その上で、今感じている物事を説明するうえで『厳粛』という言葉が本当に相応しいかどうか思案する段階もある。




 写真をわかるとは?? 物事を伝えるうえで「厳粛」という単体の言葉では不完全だと知る時、他の言葉との組み合わせを通して、伝えるべきことを伝えようとする段階がある。その場合、厳粛という言葉の意味が、他のものと有機的なつながりを持つことで微妙に変化することもわかっていなければならない。




 写真をわかるとは?? 「厳粛」という言葉と一枚の写真は同じである。写真は、人間の念という目に見えないエネルギーと形が組み合わさってできたもの。だからそれは一種の象形文字。好き勝手な写真が溢れるのは、言葉の乱れと等しく、背後にある意味や関係性に対する思いが、断たれているだけのこと。




 写真をわかるとは?? まず第一に、「厳粛」という文字と同様に、写真を見て、そこに写っている物を、「これはどこのものですか?」と、テストの記号的知識問題のように答えられるかどうかという段階がある。




 写真をわかるとは?? 次に、写真を見ながら、言葉がなくても、既知の情報として、いったい何が伝えられようとしているかわかるという段階。例えば、戦場の死体写真とか、餓えた子どもの悲しそうな顔とか。




 写真をわかるとは?? さらなる段階として、例えば会社のプレゼンなどで、伝えるべき確定情報にもとづいて、最善の写真を選びとるという段階。広告写真など、商品訴求にもっとも有効な写真を選ぶという段階。



 写真をわかるとは?? 写真は、単独で存在しているわけではなく、組み合わせ方次第で、伝えようとすることが、いかようにも増幅したり、打ち消し合ったりするということを知るという段階。その力が、消費を促進させる方向に使われたり、何かの洗脳にも使われることがあり得ると知る段階。




 写真をわかるとは?? 写真の意味は、写真の組み合わせ方や編集によっていかようにもなってしまうと知り、言葉を操るように、その方法論を身につける段階がある。すなわち、写真の潜在的な力を最大限に引き出せる段階の、写真のわかり方というものがある。




 写真をわかるとは?? 写真の組み合わせ方によって、意味が異なってくることを知り、その方法論を身につける時、さらなる段階として、そのように”写真をわかる力”を、どの方向に発揮するのかを、わからなくてはならない。すなわち、それは、写真に対する責任や敬意を、わかるということ。




 写真をわかるとは?? 写真に関わる人間が思考を放棄してはならない理由は、写真に対する責任や敬意を放棄しない為だ。大昔から人間は「徳」とか「真」とか「仁」等の様々な言葉で、雑多な情報の中から人間行為が目指していくべき方向を示そうとしてきた。そのことは写真についても同じなのだ。




 写真をわかるとは?? ”写真をわかる力”を、どの方向に発揮するのかをわかるために考え抜いた後、その考えを捨てて写真そのものと素直に向き合って対話するという段階がある。獲得した考えを捨てて写真と向き合わないと、思考が視界を曇らせ、写真の中の、物そのものや、事そのことが見えてこない。




 写真をわかるとは?? 写真の中に生じている、物そのものや、事そのことを、見ているつもりで、実は見えていないということが多い。知らず知らず社会から刷り込まれている固定概念で、視覚情報を処理することが普通に行われているからだ。ボロの服を着ている少年→貧しい→可哀想 という具合に。




 写真をわかるとは?? 写真の中に生じている、物そのものや、事そのことを、見ているつもりで、実は見えていないという状態は、社会に刷り込まれている固定概念が原因の場合もあるし、そこから脱しようと思考を続けた結果として自分の中に出来た”固定した物の見方”が原因の場合がある。




 写真をわかるとは?? いったん獲得した自分の思考や、物の見方から自由にならないといけないという、さらなる段階がある。写真の中に生じている物そのものや、事そのことが、自分の中の固定概念を揺さぶる感覚を受容し、その感覚を大切にしながら写真と対話し、自分の中に新たな認識が芽生える段階。




 写真をわかるとは?? 展覧会で飾られた写真であれ雑誌等で編集された写真であれ、写真そのものが大切にされているものは極めて少ない。さらに、写真のなかの、物そのもの、事そのことが大切にされている写真も、極めて少ない。それらを大切にできない理由と真剣に向き合っている人も、極めて少ない。




写真をわかるとは?? 現在の世界を混沌とさせている原因のもっとも大きなものの一つは、視覚情報である。日々、莫大な視覚情報が人間の脳に働きかけている。そして、人間は、それに対してあまりにも無防備である。映像は、見れば誰でもわかり、それぞれが正しく判断できると思い込んでいる節がある。






 写真をわかるとは?? そのように映像に無防備のまま人間は操られている。人生や世界を断定的に決めつけ、様々な可能性を複雑精妙な情報の中から探っていくという根気のいる仕事を放棄し、コンビニエンスな情報で、その場しのぎの対処をする。映像が、そうした安直さを促進する方向で利用される。


写真をわかるとは?? 20世紀は歴史上かつてないほど映像が増殖した時代だった。その間、急激に増殖する映像に対応する力を人間が身につけることはできなかった。21世紀は、20世紀の課題を克服していく世紀であり、映像は、その要にあるが、エネルギーや食糧ほど危機意識が持たれていない。