生命学ではなく、生命関係学

 昨夜、清水博先生が主宰している『場の研究所」に参加してきました。
 清水先生は、『生活共創」という理念を掲げて、勉強会を行ったり、地方での具体的な活動を行なったりしている。
 もともと清水先生の専門分野は、化学物理学で、生命を分子のレベルから解明しようとする世界最先端の研究を行なっていた。
 その清水先生は、全体を細かく分けて分析する手法では世界を捉えることができないと悟り、分子の振る舞いなどを決定する『場」の力から生命を考えるという発想につなげ、それを、現実世界の中の人間の活動にあてはめて考えるということを実践されている。場の力は、人間社会の中では、縁の力ということになる。縁というのは、頭でっかちの状況では生まれない。実際に、自分がその場所に出向き、人と交わり、そうした時間の蓄積の中で生じるものであり、実際に縁をつくることに、人間は喜びを見いだす性質がある。その土地と縁ができ、そこに暮らす人と縁ができる。お店などでも、そういうことがある。価格とか効率では計れない喜び。
 場というのは、個を分析して理解できるものではなく、常に”全体”を分かるという感覚で受け止める性質のものだ。
 清水先生が展開している場の考えは、私にはとてもしっくりとくるものがある。
 風の旅人も、雑誌というより、一つの場だと私は思っている。

 情報を羅列するのではなく、個々の文章や写真が、互いに微妙に関係し合うことで、生命的な力を得る。

 清水博先生の研究で、今こそスポットをあてるべきものは、「関係子」という概念だ。清水先生の著『生命を捉えなおす』(中公新書)は、衝撃的な内容で、生命を場の中で捉える発想に、私は、自分の感覚と共通するものを感じるとともに、そのことを科学的に説明できると知って、非常に興奮した。
 清水先生は、生命学と言わず、生命関係学と呼ぶ。
 分子レベルでも、関係性というものが、非常に重要なのだ。生命システムというのは、個々の機能を持った分子が集まって、全体の機能を生み出しているわけではない。
 同じような分子構成であっても、生命は非常に多様で、複雑である。しかし、その複雑性のなかで、秩序が自己組織化される。さらに、その秩序は、一義的なものではなく多義性に富んでいる。機械やロボットのように、部品を寄せ集めただけでは、決してそうはならない。
 この生命の構造と仕組みを理解するうえで、清水先生は、生命の働きを分子の関係性の中で捉えた。
 粒子がたくさん集まったとき、その状態によってグループとしてのさまざまな機能が出現してくると考えたのだ。個々の粒子に特定の機能があるのだが、グループ全体としての機能は、その寄せ集めではなく、別の質の機能が生じる。
 粒子が置かれている状態によって、粒子と粒子の間の関係性が変わり、それによって、いろいろな機能が出現する。清水先生は、そのように考え、関係子というものの研究に取り組んでいた。
 1+1=2ではなく、1と1のあいだの関係子が、全体の機能に影響を与えており、その関係子は、1と1が存在している場の力によって変化するのだ。
 私は、この考えに基づいて『風の旅人」を作っていると断言してもいい。
 風の旅人の中の写真や言葉は、単なる1と1ではないし、それらが並列的に並んで2になるのではない。1と1のあいだに関係子が存在し、その関係子は、風の旅人全体の『場」の影響を受けていて、その関係子が、写真や言葉に働きかけて、力を引き出す。さらに個々の言葉や写真のふるまいが、全体の『場」の力を作っていく。それはまさに生命に等しい。
 編集という仕事は、おそらく『場」を整えることに力を注ぐべきものなのだ。

 清水先生のもう一つ大切な考えは、自分がアウトプットするものを、いかにしてパトスとロゴスを融合させたものにしていくかだ。論理だけではダメ。だからといって、フィーリングだけでも納得感や説得力がない。
 生命というのは、ロゴスとパトスの融合したものである。複雑であるけれど秩序的でもある。整然としているけれど、カオス的でもある。
 『場」というものも、単なる場所ではなく、生きた場であり、生きた場というのは、ロゴスとパトスが融合している。
 そして、どんなアウトプット(表現)であっても、真に生き生きとした状態が生じているものは、ロゴスとパトスが融合している。生命力が感じられる表現というのは、そういうものだ。しかし、そういう表現の何と少ないことか。
 風の旅人が目指している状態は、まさに、清水先生が説いてこられた『場」の理論、すなわち生命関係学を踏まえ、ロゴスとパトスを融合させたものに他ならない。
 でも確かに、人間社会にも、場の理論は通じるところが多い。たとえば、東電にしても、官僚にしても、一人ひとりと会えば、悪い人じゃないんだけど・・というケースが、けっこうある。組織に従属し、組織という場の中にある関係子によって、その人の振る舞いや、性質が決定されてしまうことが多い。
 同じ人が、家に帰って家族と接する時、旧友と酒を飲む時、そして組織で仕事をする時、同じ個の筈なのに、まったく別の存在のようになってしまう。
 だから、組織を選ぶ時には、その場のなかに存在しているであろう関係子に敏感でなければならない。なぜなら、それは自分自身の生命に関する大いなる問題であるからだ。
 場合によっては、その関係子によって、自分がガン細胞の一部になることも十分にあり得るからだ。
 
 清水先生の、この新著は、おすすめ。価値観のパラダイムシフトにつながるポイントが書かれている。