時と廻 

 風の旅人 第32号(2008年6月1日発行)が、書店に出ています。
 テーマは、永遠の現在? 時と廻  です。

時は、過去の源流から未来の大海に向かって一直線に流れて終わるのではない。
時は、万物の営みと無関係に淡々と等間隔で針を刻み続けているのではない。
時は、宇宙や、海や、山河や、都市や、私たち自身のなかで、複雑精妙に廻り続けている。
それぞれの場で、それぞれの事物と関係し合いながら、
渦となって、波となってダイナミックに廻り続けている。
時が廻るところに事物が引き寄せられ、寄せられた事物が時の廻りを変え、
時の廻りが変わることで事物も変わる。
時と事物は、波のように増幅しながら、渦のように収斂しながら、
周辺に働きかけたり働きかけられる場を作り出し、
その場じたいが新たな場を次々と生み出す力となって、廻り続けている。

 今回の特集では、桜、流氷、東京、極北などの時の廻りを写真で紹介している。
 そのなかで、アウトサイダーアートのページを多く割いている。
 アウトサイダーアートは、「現代」の表層的現象が、いかに狭隘な自己観念による金縛り状態で息苦しいものであるかを、「理屈」ではなく、「直感」で感じさせる力がある。 アウトサイダーアートを、障害者芸術などと考えるのは、大きな間違いであり、私たちが、“正常”とみなしているのは、おそらく“自意識”の領域が”健康”に発達しているというレベルのことだ。
 今日の社会生活は、その健康な“自意識”があることで健康に営まれる。人に迷惑をかけないとか、恥ずかしいことをしないとか、お金を稼いで人並みの生活をするとか、一生懸命に勉強して恥ずかしくない人間になるとか・・・。そうした自意識を鍛え上げて、その自意識の力で社会的に成功して、その自意識をさらに肥大化させて、地位、名声をはじめ、自分を飾り立てるための物やお金や偶像を、さらに過剰に追い求める人もいる。
 そうした行き過ぎを咎める声もあるが、社会での成功や不成功は、「自意識」の領域と大きくつながっており、自意識に基づいた価値観は、この社会にしっかりと根を張っていて、簡単には引き剥がせない。しかし、その自意識が、私たちの”自由”を奪い取っていることも事実なのだ。
 そうした自意識を元にした“正常”世界の尺度と、まったく別のところにあるのがアウトサーダーアートなのだと思う。
 アウトサーダーアートは、自意識よりも深いところにある生の根元に忠実に生きる人によって生み出されている。その領域は、自意識を強くもっている私たちにもあるものだ。私たちは、表層の自意識の部分だけを“自分”だと感じながら、その“自意識”の部分だけで世界と向き合おうとするが、実際には、自意識の部分は氷山で言えば水面上に出ている部分にすぎない。
 見えていない部分は、無いのではなく、私たちを下側からしっかりと支えている。アウトサイダーアートは、その部分から発せられる。
 自意識が弱いゆえに、根の部分に極めて敏感な人たちが作り出す表現は、自分の自意識を頑に防衛しようとする人たちからすれば、脅威であり、不気味であり、できれば避けたいものだろうが、狭隘な自意識に縛られて生命力を減退させて、そこから何とか脱したい人たちにとっては、自分という氷山の海面下の見えにくい部分にある可能性を照らし出してくれるので、清々しく感じられるうえに、漲るような力を与えられる。
 全ての「アウトサイダーアート」と括られるものが、そうした力を持っているとはかぎらない。それは作品の力というよりも、それを見る人間の潜在意識がどこに反応するかの違いでもあるだろう。アウトサイダーアートの作り手は、みんな「意識」の表層の小賢しい操作ではなく、「根元」から湧き出てくるものにしたがって表現を行っているように感じられるが、その「根元」にあるものが全て同じとは限らない。
 今回の「風の旅人」で紹介しているものは、今回の誌面作りにおいて、全体と呼応関係があると感じられるものを編集したにすぎず、他にもいろいろと心惹かれる作品がある。
 現在、東京、汐留の松下電工ミュージアムで、アウトサイダーアートの展覧会が開催されている。
  http://www.mew.co.jp/corp/museum/exhibition/08/080524/index.html