日本の美と醜(変わり身の速さ)

 迷い猫様。

 先日書いた源氏物語絵巻のトピックは、ルネッサンスについて語ることが目的ではないので、ルネッサンスについて「間違っている」と言われると困るのですが、話しのついでですから私の見解を述べます。

 ルネッサンス古代ギリシャ・ローマの成果が流れ込んでいるのは教科書にも載っていることで敢えて言及するまでもないですが、私が「300年かけてヨーロッパがルネッサンスの準備をする」と書いたのは、ゲルマンの大移動によって歴史の彼方になっていた古代文明の成果が、紀元1000年頃に始まったスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラを目指す巡礼や十字軍をきっかけに、ヨーロッパ世界に再び再輸入され始めたことを指しています。スペインまで支配下に入れたイスラム帝国ビザンチン帝国のなかに、長らく古代文明の成果は蓄えられていて、巡礼や遠征によって、ヨーロッパ世界がそれらに触れるとともに、地域交流が盛んになり、交易も発展し、都市ができて賑わい、芸術家のパトロンになる富裕貴族が現れる土壌を作ったのが、ロマネスクからゴシックの時代ですから。

 そして、ロマネスクやゴシックの時代にも素晴らしい芸術は生まれており、芸術的成果で言うと、ルネッサンスのものと甲乙つけがたいと私は考えていますが、その内容が異なります。

 ミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチを引き合いに出さなくても、ルネッサンス芸術において、制作者の心が籠められているというのは明らかなことです。しかし、それは、ロマネスクやゴシックにおいても同じで、芸術と呼ばれるもので、制作者の心が籠められているかどうか疑問なのは、最近のアートと呼ばれるものの多くであり、そうしたものは、未来になって振り返ると、どの時代にも存在した、ただの装飾品という位置づけになるか、語る意味も感じられない一つの現象として括られるだけのものとなると思います。

 それはともかく、ミケランジェロなどが現れる以前の1300年代の前半において、ジョットが、人間の感情を表現対象としました。それまで神に対する情熱が芸術の動機でありましたが、その時から、芸術家の目が人間に対して向けられるようになる。悪い言い方をすれば、“人間ごとき”に対して、芸術家がこだわりはじめるようになる。その延長で、作品に対して、自分の名前を冠するようになる。それがルネッサンスであるというのが、私の認識であり、迷い猫さんの言う「ルネッサンスは文芸復興」というのは、教科書的で表面的なことだと思います。

 “人間ごとき”というのは、人間の人間に対する自意識のことを言っています。その自意識は、それまで自分と世界の関係を疑いなく信じていたのに、異なる価値観との交流などにおいて信じていたものを疑わざるを得ないような状況になり、世界を問い直し、自分のことを客観視するようになった時に芽生えるものではないかと思います。

 自意識が悪いと言うのではなく、長い歴史のなかで、人間の自意識が発展し、やがて世界の中心に位置づけられることが古代より定期的に繰り返されている。人間の自意識文化の発展を、今日の人間は進歩と捉えていますが、もしそう考えるならば、日本は、ヨーロッパルネッサンスよりも早い時期に自意識文化の洗練の境地に達していたのではないかというのが、「源氏物語絵巻」のトピックで私が言おうとしたことです。

 人間の自意識文化と、自意識を超える文化は、何度も代わる代わる訪れている。

 自意識を超える文化は、唯一絶対神に対して向けられる場合もあるし、唯一絶対神の存在しなかった日本においては、無常観とか悟りとか超越的な視点で自意識を超える方法が模索された。

 そうした文化の連綿とした繰り返しは、ヨーロッパ文化が古代に遡るように、日本においても同じ筈です。迷い猫さんが説くように、「ギリシャ神話の文明も文明改革で、それ以前の神話の暗さを改革して明るい美学の文明を作り上げた。」というのは、あまりにも一面的で、第一、ギリシャ神話は明るい美学ではなく、ドロドロしたものです。また、アテネを中心として発展した文明ですら、彫刻などに代表されるような秩序的均整の美に対して、演劇などの混沌とした芸術があり、アポロン的なものディオニソス的なものは互いに補完するように存在しています。これは多くの文化圏においてそうです。

 だから日本の場合も、「遅れた狩猟採集文化の世界に、高尚な農耕文化が入ってきて」と迷い猫さんが考えてしまうのも、秩序的世界を混沌世界よりも優位と考えてしまうバイアスがかかっているからであり、縄文時代の長い間に、秩序世界を裏側から支える優れた混沌の文化が発展し、それが、その後の日本社会の深いところに根を張り続けているのだろうと私は考えています。

 ただ、縄文から弥生に至る時、また、その後、仏教が入ってきた時など、異なる価値観が急速に流入してそれが支配的になる段階で、最初の頃は、その新しい状況をうまく消化できず、文化的未成熟と思われる現象が多く見られるように思います。付け焼き刃的というか、うまく自分のものにできていないという感じで。しかし、暫くすると、その新しい段階に対応した日本ならではの素晴らしいものができている。平安の「かな文化」もそうだと思いますが、そこに日本の可能性があるように私は考えているのです。

 明治維新後、急速に西欧文明が日本に流れ込んできてから、まだ150年弱しか経っていません。

 日本人は昔から、時代ごとの必然性に応じて、こだわりなく外来文化を吸収する傾向があった。そして、最初は混乱があったものの歳月の中で試行錯誤を通じて、その外来文化を日本ならではのものに転化させてきた。その変わり身の速さは、風土的な要因から生まれている可能性が大ですが、理由はともかく、日本ならではのものでしょう。

 ならば、明治維新後、もしくは太平洋戦争後の日本社会は、過去において繰り返されてきた日本文化の転換期の一つとして捉えることも可能かもしれない。

 過去と現代の違いを一つ一つあげて否定的な見解に終始することは簡単なことだが、そうしたスタンスからは何も変わらないわけで、混沌の文化状況に何かしらの道筋を見いだすことの方が、よほど大切ではないかと私は思っています。