”ジャンル”で固定できない物づくり、対話、人間関係

 一昨日、京都の御所のすぐ近くにできた町家を利用したイベントスペース、風伝館http://fudenkan.jp/ のオープニングに参加させていただき、この風伝館を運営するアミタホールディングスの会長の熊野英介さんと、奄美諸島沖永良部島に移住して地球村研究室を運営している石田秀輝さんと、公開トークを行なわせていただいた。
 アミタという会社が行なっていること、そして、熊野会長という人がどんな人なのかは簡単に説明できない。http://www.amita-hd.co.jp/
 石田秀輝さんもまた、素晴らしい経歴を持っておられるが、いったい何をやってこられたのか、今何をやられているのか、簡単に説明できない。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E7%A7%80%E8%BC%9D 
 私が、京都に移住してきて最も居心地が良いことは、”いったい何なのか、うまく説明できない”という感覚のまま、それを面白みと感じて、交わえることだ。
 もちろん、京都に来ても、大阪でも、たとえば風の旅人を手にとって、その場でパラパラ見ているにもかかわらず、コンセプトは何か、セグメントは何か、ターゲットは何か、と、うるさく聞いてくる人もいる。
 そういう人は、かなり、東京が発信してきたマーケティング情報に毒されているところがある。その流れに乗ることが、イケていると思っておられる。
 東京にいた頃は、そういうことを露骨に口に出さなくても、風の旅人や、私が考えていることなどに対して、おそらく”ジャンル”で処理(固定)をしたいのにできないがために、「なんかよくわかんねえなあ」という空気を醸し出されてしまい、その空気が双方のあいだの壁になってしまうということが多々あった。そうした空気が醸し出されると、真剣な対話はできない。
 また、大学や、何かしらの団体から、私に対談その他の依頼がきても、風の旅人の写真が目立つためか、「写真」もしくは、雑誌タイトルからの連想か、『旅」にまつわることが多かった。
 私は、写真好きのための写真論やテクニックを語る気はないし、旅好きの人の為の情報提供を行なう気はないので、そういう話を目当てに来る人は、大きく期待を裏切られたことだろう。
 東京にいる間、わかりやすいジャンルの中に自分のやっていることを固定されてしまうのは、どうも息苦しくて耐えられないと思っていたが、京都に来て、先日、京大のゼミに呼ばれた時のテーマは、「人間とは何か−生命現象の自然科学的・哲学的基礎」だったし、一昨日は、「自然資本と人間関係資本が増幅する日本の未来構想」だった。こういう分けの分からないお題をいただくと、妙にワクワクする。
 曖昧かもしれないが、とても本質的なテーマだからこそ、何だって入れることができる。科学、歴史、芸術、人生体験など、総合的に考えることができる。色々な知識情報を固定的に扱うのではなく、深く考えをめぐらせながら、再認識、再解釈していこうとする精神の衝動が芽生える。聞いている人はどうかわからないが、自分自身は、そんな時間こそとても刺激的で意義がある。対話の楽しさってそういうところにあると思う。
 熊野さんも、石田さんも、普通の人の何倍もの人生を歩んできたような波瀾万丈の人生だし、社会的にも数多くの実績を残しているが、そうしたことが、過去形の知識・経験の羅列になることは決してなく、その豊かな土壌から未来への探求の芽を伸ばしていくことにしか関心がないことが話をしていて伝わってくるので、いつまでも飽きる事なく話を続けることができる。
 講演などでよくあるような、過去の逸話とか、成功事例とか、現象の単なる解説とか、知識のひけらかしは、話のネタになることはあっても今と未来をつなぐ精神のエネルギーに転換することはほとんどなく、空しさが残る。 
 わけのわからないカオスのなかから、新しい思考が立ち上がってくるような予感だけでも感じとれれば、対話は成就した、という気持ちになる。一番の成果は、対話を通して脳に負荷がかかりながらも、フレッシュな気分になれることだ。
 京都に来て、風の旅人は、白川静さんが漢字の中に発見した、”さい”のようなものだと再認識した。創刊して10年以上経って、ようやくそうだと確信を持てた。

 今後は、しつこく「コンセプトは何だ」、「ターゲットは何だ」と聞かれたら、”さい”と答えて、笑っているしかないと決めた。
 白川静さんが発見した”さい”とは、口の形をした文字のことだが、その意味は、「神に捧げる祝詞を収める箱」のこと。私は、”さい”は、神に捧げると同時に、神のような自分を超えた存在から預かるメッセージを入れる箱だと思っている。自然も、先人の英知も、同時代の優れた人達も、自分にはない何かを持つ、自分を超えた存在である。
 熊野さんや石田さんは、そういう人達だし、そういう人達の、知識ではなく(知識は、自分でどのような形でも吸収できる)、人間としての総合的な魅力を、”さい”の中に、エッセンスとして取り込んでいきたい。人間性への信頼、つまり人間に対する希望と絶望をはかるバロメーターは、究極において、人間に対する魅力を感じとれるか否かによる筈だから。
 同時に、人間に対する希望と結びつく人間性、その総合的な魅力が、いったいどういうものかを認識していくために、人から人への出会いも重ねていく必要がある。


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