第1480回 山頭火の人生に重ね合わせた人生

まっすぐな道でさみしい(山頭火

 放浪の俳人山頭火。その人生を、ひとり語りで演じ続けていた林田鉄さんが、7月10日、あちらの世界に旅立たれた。
 あまりにも突然で驚いた。
 林田さんは、ワークショップの常連だった。5月25日に京都で開催したワークショップにも申込があったのだが、直前の二日前に、「右脚膝下の腱を痛めまして」とキャンセルになっていた。
 林田さんは、参加者の中で最高齢で、80歳を超えていたけれど元気いっぱいで、暑くても寒くても、フィールドワークの時は他の参加者と同じように歩いていた。自己紹介の時に年齢を口にすると、みんな驚いていた。
 また林田さんは、遠方から車で来ていたので、林田さんが参加する時は、林田さんの車も使えるということで、フィールドワークの領域を広げることができた。
 林田さんの自己紹介は、「若い頃から舞台の事に取り憑かれた虚仮者。自身では精一杯真面目に生きてきた心算ですが、他人様からみれば逸脱者なんでしょうね。」
 他人様が、何かしらの組織に属して身分証明を行っている60歳くらいまでは、逸脱者に見えるのかもしれないが、全ての人が定年退職という形で組織を離れた後の人生でみると、何がいったい逸脱者ということになるのか。
 世間的に逸脱しているかそうでないかは、人から与えられたフレームの内外の違いでしかなく、そのフレームを外してしまえば、精一杯真面目に生きているかどうかだけが、人生からの逸脱か否かという基準になる。
 この世で林田さんと会えなくなるのは、とても残念で辛いが、他界する一ヶ月前まで元気いっぱいで、次にやることを前向きに考えておられた、という事実が救いだ。
 「病気がわかってからあっという間のこと」であり、その分、生死に関する苦悶の期間は短かった。ただ、苦悶というのは、自分の生死に関することだけではない。
 林田さんが、それまでの人生で計り知れない苦悶を重ねておられたことは、「どうしようもない私が歩いている」という句を詠んだ山頭火を演じ続けていたことからも想像できる。
 山頭火の辞世の一句は、「もりもり盛り上がる雲へ歩む」
 山頭火は、この句を詠んだ5日後に、自ら願っていた 「ころり往生」を遂げた。
 山頭火が亡くなったのは10月11日だから、「もりもり盛り上がる雲」は積乱雲ではなく、山の上に次々と湧いてくるような秋の雲だろう。
 山頭火の手記に、「雲の如く行き、水の如く歩み、風の如く去る、一切空」というものがある。
 ゆえに、「もりもり盛り上がる雲へ歩む」というのは、山頭火の別の句にある「濁れる水の流れつつ澄む」と等しく、「一切空」への道であろうと思う。
 この山頭火に自分を重ね合わせて、「また一枚脱ぎ捨てる旅から旅」の人生を、世間からは逸脱者と見られようが一生懸命に真面目に送った林田鉄さんは、まさしく、この世から風の如く去った。
 人の一生は、限られている。だからこそかけがえなく、それで十分。
 せめての願いとして、
「鈴をふりふりお四国の土になるべく」(山頭火

 

 

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