環境と幸福

 最近、三件ほど母子家庭を取材した。母親が何年もの間、一人で働いて子供達を養っているのだ。現在、子供がまだ小学生の家族もいれば、中学生もいるし、成人に達している家族もいた。

 共通点として、どのお母さんも、明るくて力強い。女手一つで子供を育てることに対して、困難なことはたくさんあるだろうに、惨めさをまったく感じさせない。見事なものだと思う。そして、どのお母さんも、子供たちに感謝している。お母さんの苦労を傍目で見ている子供たちは、小さい時からお母さんの手助けすることを当たり前のこととして育っている。小学校の低学年で、保育園に通う妹を迎えに行き、母親の仕事が終わるまで保育園の傍のジャスコのアイスクリーム売り場でじっと待ち続けているという話しや、お母さんが働いている間、家の片づけをしっかりとして待っている小学校の子供の話しを聞くと、いたいけで、愛おしくなる。どの子供たちも、少しシャイだけど、とってもしっかりしていて、暗い影はまったくない。

 団地の小さな部屋に三人で住んでいても、清潔にきちんと整理されていて、貧しさとなど感じないし、むしろ温かい雰囲気が満ちていて居心地が良い。

 仕事から帰ったばかりのお母さんと、学校であったことや好きな男の子のことなどを和気あいあいと話している。

 それぞれ理由があって母子家庭になっていて、相手の男性の方に問題がある場合でも、お母さんに恨みがましさがまったく見られない。彼女たちが人生を前向きにとらえていることが、子供達にも良い影響を与えているのだろうと思う。

 お母さんは、一日中働いて疲れているだろうし、様々なストレスもあるだろうけれど、それを子供達の前であまり見せない。もちろん、子供達に助けてもらわなければならない時は、それを素直に表現し、子供達に何かをしてもらった時は、きっちりと感謝している。

 父親と母親が揃っている家族でも、家族の構成員の一人が、自分の抱えている苦労は大変なんだという顔で溜息ばかりつきはじめると、他の者も真似をして、自分の方が大変なんだという顔をはじめるだろう。自分が抱えている苦労の競走をし、苦労が多い方が偉いかのように。(というようなことを、内田樹さんが書いていた)。

 母子家庭において、母親が、どんなに大変な状態でも、自分より子供の方が気の毒だと感じているならば、苦労の押し売りをすることはない。そして、何も言わなくても、子供は、母親の苦労を敏感に察する。

 父母が揃っていても、周りの者の苦労に気がまわらず、自分の苦労ばかり主張する雰囲気の家庭よりも、たとえ母親しかいなくても、自分の苦労よりも相手の苦労を気遣える家族の方が健やかだと思う。

 環境が悪いとか、待遇が悪いとか、自分ばかり損をしているという気持を抱えて人と接していると、ネガティブな空気を相手に伝播させてしまう。その空気の陰気さに不吉なものを感じる人は近づかないけれど、知らず知らず巻き込まれてしまう人もいる。とくに子供の場合、逃げ場がないので、その影響をまともにかぶってしまう。

 同じ事をしていても、大変だと思う人と、そう思わない人がいる。実際に大変な境遇にいても、気持の持ち方で、その大変さを楽しみや充実に変えてしまう人もいる。環境と人の幸福の関係というのは、誰にでも当てはまるものはなく、人それぞれと言うしかない。

 不幸のアピールは、不幸を改善したい気持がそうさせるのだろうけれど、実際は、そこから悪い気がめぐり、新たな不満を呼び込むことになるような気がする。

 幸福になりたければ、不幸をアピールするのではなく、自分から周りを気遣いながら、自分の周りに良い“気”をめぐらせるしかないのだろう。


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