出会いの不思議









 今日、一通のメールが届いた。

「今から、30年ほど前のことです。神戸で、日本通運の引っ越しのバイトをしておりました。偶然一緒になった、同じバイトに、佐伯剛さんと言う方がおられました。僕は、バンドをやっており音楽への路を歩むことをお話し、佐伯さんは、ジャーナリストにと。その頃の、彼の愛読書は、坂口安吾。たった、一日の出来事。何時間も喫茶店(確か、三宮の)でお話をしました。確か、その直後、旅に出ると言われていたと思います。・・・・・・・」

 正確に言うと、27年前、1982年の4月、私が20歳の時だった。大学を辞めて海外に旅立つことを決心して、アルバイトをしながらコツコツをお金を貯めていた。

 出発直前、神戸の三宮で、一ヶ月ほど日本通運の引っ越しのバイトをしていた。その時、めぐり会わせで、たった一日だけ、妙に気が合って、バイトが終わった後に喫茶店で長々と話し込んだ。一緒の現場に行った人かどうかは覚えていない。どういうきっかけで話し始めたのかも覚えていない。そのバイトの期間中、仕事の後で話しをしたのは彼一人だった。だから、たった一日の出会いでも、よく覚えている。はっきり言って、当時の若者文化のなかで私は浮いていたから、引っ越しのバイト先で親しくなれるような人はいなかったのだ。

 あれから27年が経過した。27年も前に、たった一日だけ話し込んだ人と、twitterを経由してつながるなんて。

 この27年の間に、様々なことがあったようにも思うけれど、なんだかつい最近のことのようにも思えてしまう。

 私は、ジャーナリストにはならなかったが、彼は、音楽活動を続けている。

 私は、当時、広河隆一さんの「パレスチナ」に少し感化されていた。広河さんはイスラエルキブツで働いている時に第三次中東戦争が始まって、それ以来、パレスチナ問題を中心にジャーナリズムの仕事をするようになる。私は、広河さんと同じことをしても仕方が無いと思い、放浪の途中にチュニジアに滞在し、ブルギバスクール(だったと思う)という、外国人を受け入れてアラビア語を教えてくれる学校にもぐりこむ計画を立てていた。そして、実際に、連日50度を超える猛暑のチュニジアアラビア語を三ヶ月間必死に勉強した(が、まったくものにならなかった)。

 その広河さんとは、「風の旅人」を創刊した頃、何度か一緒に仕事をした。そして、彼がDAYS JAPANを創刊したいと相談してきた時、私もいろいろお手伝いをした。この前、DAYS JAPANの創刊6周年のパーティーがあった時、スピーチをするように言われたので、私と広河さんは考え方が違うけれど、今日のメディアや雑誌の状況に一石を投じたいという思いで雑誌を立ち上げたことでは同じだ、という話しをした。その日、パーティから帰宅する時、なんだか縁というのは不思議だなあと思った。

 また、親しくしている田口ランディさんと私は、偶然にもバブル絶頂の頃、某化粧品会社を相手に仕事をしていて、バブル崩壊の時に同じように辞めていたことを後で知って驚いた。彼女は、美容部員の採用ツールを作っていて、私は、美容部員の教育ツールを作っていたのだった。

 それ以外にも、書き出すときりがないくらい、不思議な縁はたくさんある。世界は広いようで、なんだか不思議なくらい狭いものだ。

 出会うべくして、人は出会うようになっているのだろう。