第977回 競争から共創へ、利己から利他へ⑦ 日本の歴史や伝統!?


 山頂に巨石が祀られている六甲の比売神社を訪れた。最近、神社を頻繁に訪れているが、神社の建物そのものより、その場所に長い年月を超えて存在し続けている大木や巨石に心惹かれる。
 原生林の中の巨木も素晴らしいが、人間の傍で人間の営みの影響を受けながら、無数の人間に触れられたり人間の息吹を感じながら存在し続けている大木や巨石は、独特の気配を発している。
 私たちが生きている地球は、地磁気や気圧、風向き、陰日向、気温差など、エネルギーの流れがある。無数の人や車が動いても、エネルギーの流れは、乱れたり、方向を変えたりすることがあるだろう。
 私は、神様や仏様のことはリアリティを感じることができないが、エネルギーの流れは、実感できる。家でも会社でも街中でも自然の中でも、心が淀む場と、心が活性化する場は、明らかに違いがある。人間の生命活動は、消化や呼吸など化学反応なのだから、自分の意思とは別に環境のエネルギーの影響を受けるのは当たり前のことだと思う。
 利便性とか経済効率のことばかり考えていると、その当たり前のことを見失ってしまう。
 風雪に耐えて、時には戦乱など人間の罪業を乗り越えて生き延びてきた樹木や、人類が誕生する遥か以前から、激しい環境変化を何度も乗り越えて存在し続けている石の姿は、凄まじいエネルギーの流れや、エネルギーの緊迫した均衡の形のように見え、命の姿が現前化しているように感じられる。
 自分を媒介としてエネルギーの通り道を作ったり、溜めを作り、適時、周りにエネルギーを配り、配っている。だから、周りも元気になる。
 人間もまた、そうあるべきなのだが、ともすれば利己的な傾向を持ちやすい現代人は、エネルギーの流れや均衡のことよりも、自分の都合のために外部のエネルギーを使うという意識しか持っていない。そのため、周りは、エネルギーを失い、不活性になり、淀んでしまう。結果的に、その環境の中にいる自分のエネルギーのバランスもおかしくなり、不幸になってしまう。
 最近、神社本庁が、日本の歴史と伝統を守り伝えるという大義名分をふりかざし、自民党政権と足並みを揃えた改憲活動を行ったりしているが、そうした活動を行っている神道関係者は、はたして大木や巨石と心を通わせたりすることがあるのだろうか。
 天皇陛下は、人間世界の王になどなりたいと思わず、自然界の摂理を損なわない媒介者でありたいと考えているのではないか。
 歴史や伝統を守り伝えるというのは、皇室神道天皇崇敬を軸に国家をまとめあげるということではなく、自然の命との関わり方を深い精神文化へと洗練させてきた知恵や技を、見失わないようにし、子孫へと伝えていくことだろう。
 人間というものは弱い存在であり、その弱さが、人間組織への盲目的な従属につながって、集団に紛れて良心の呵責のない行動を平然と引き起こしたりする。
 太古の昔から、人間は、なぜ巨石や大木を崇めてきたのか。その姿形が、人間の都合という範疇を遥かに超えた森羅万象の存在意義を暗黙のうちに伝えてくるからではないか。そして、日本人が洗練させ深めてきた精神文化は、人間の弱さを自覚しながらも、森羅万象の摂理にアクセスすることで、人間も含めた万物の存在意義を、美しく、潔く、現前化させることなのだ。その力によって、弱さは昇華され、悪業につながりやすい人間集団への盲目的な追随と従属を防ぐこともできる。
 にもかかわらず、宗教だけでなく伝統文化の関係者も、日本の歴史や伝統を守るため、日本人としての誇りを持つため、などと主張しながら、組織的な活動を展開し、組織の巨大化をめざし、組織が生き延びるための策を弄し、組織の縛りを強めて従属を強いる傾向が目立つ。
 宗教にしろ、文化にしろ、徒党を組んだものは、あまり信用できない。それこそが、忘れてはならない歴史の教訓だ。

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