フォトジャーナリストの広河隆一氏の性暴力のことが明らかにされてから6年が経過した。
この期間、広河隆一氏は、SNSを更新し続けながら、性暴力ではなく女性側の同意の上だという主張を繰り返した。
そして、今年の1月22日、名誉を毀損されたとして、広河隆一氏が文藝春秋に550万円の損害賠償などを求めた裁判で、東京地裁(小池あゆみ裁判長)は、同社に55万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
この判決に対して、広河氏は、フェイスブック上で、
「原告代理人弁護士(渥美陽子・松永成高)は、裁判所が文春オンライン記事に記載された内容を真実であると認めたわけではない点を留意するようにと述べています。そして衝撃的なタイトルによる名誉毀損が認められたことは、評価できると述べています。
さらに全体としては、「広河氏がレイプをしていないという主張に沿った判決になった」としています。そういう意味でいうと、十分ではないものの賠償も認められ「勝訴」だったと言えると思います。」と、自分を正当化する意見を述べている。
性暴力の被害にあった女性たちが、週刊文春の記事の中で、誰も顔や名前が出せなかったために、広河氏は、この記事が事実無根だと主張し続けてきた。そして、性暴力の告発は虚偽だとする広河氏の無実を信じる人たちも、少しずつ増えてきた。
そのようにして、この事件が急速に風化していくことを危惧した安田菜津紀さんが、実名で、被害を訴えた。
https://d4p.world/30839/?fbclid=IwY2xjawI8pONleHRuA2FlbQIxMQABHWx2JtjOEnfk6rNb2O54zidN06s8YcLRCAZynNgVp8IcdLoHbDSXD5lxmw_aem_e5nJg8dGnyTJYozuMtlhTQ
安田さんは、すでにテレビなどで広く顔が知られており、この訴えには、相当な勇気がいったことだろう。
この記事に触れた時、私は、一瞬、フェイクニュースの可能性も疑ってしまった。
というのは、私のアンテナ感度が鈍いためか、これほどの重大な訴えにもかかわらず、世間の反応が悪いように感じるからだ。
この6年間、広河氏は、自分の名誉を守ろうとするばかりで、被害者の立場に立った謝罪や発言などは一切行わなかった。あたかも自らが被害者のように、自らの言い分ばかりを繰り返すだけだった。
このタイミングで、安田さんが、自らが深く傷を負う覚悟で、虚偽の告発をする理由なんか、どこにもない。
その心中は、事実を闇に葬るわけにはいかないという必死の思いだけだろう。
実名で顔も出して訴える被害者を前にしても、広河氏は、これまでと同じ主張と態度を続けるつもりだろうか。
という記事を書いたところ、コメントに、「さがみはら写真賞の初代受賞の広河、なぜ相模原市は受賞取り消しと賞金返還求めていない。江成に聞きたい。」というコメントがあったので、この大事な問題についてはコメント蘭で書ききれないので、あらためてこちらで自分の考えを述べたい。
こうした個人の加害行為があった時、表現作品と個人は切り離すべきかどうかといった議論は、6年前にも起きた。
昨日のコメントでは2001年の「さがみはら写真賞」だけがターゲットになっているが、2003年の土門拳賞はどうなのか?という疑問も生じるし、彼は、他にもいくつかのジャーナリズム関係の賞を受賞している。個人の作品にかぎらず、2010年には、広河氏が創刊し、人間の暴力と人権をテーマに編集を続けていたDAY JAPANが、日本写真家協会賞を受賞している。
また、2005年からは、『DAYS JAPAN』が主催する「DAY国際フォトジャーナリズム賞」が立ち上げられ、広河氏と、広河氏が声をかけた方々が審査員となって、受賞者を決定してきた。
広河氏のケースが少し特異になってくるのは、彼が受賞した様々な賞が、人間の暴力と人権をテーマにしたものであったことだ。
性暴力の問題を社会に訴える活動家が、その活動を評価されて何かしらの賞を受賞した時、その陰で、当人が、性暴力の加害者であったとするならば、彼の表現行為の欺瞞性が浮かび上がって矛盾が生じる。
その意味で、2010年、性暴力をテーマに特集を組んでいたDAYS JAPANが日本写真家協会賞を受賞していることを、さがみはら写真賞などより先に議論すべきだろう。
広河氏が受賞した2001年の「さがみはら写真賞」は、チェルノブイリ原発事故、2003年の「土門拳賞」は、彼のライフワークであったパレスチナ問題がテーマであり、性暴力に関するものではなかった。
そして、2004年の DAYS JAPANの創刊前までは、現在まで知るところによれば、広河氏の性暴力はなかった。
私自身も、DAYS JAPANの創刊の直前までは、風の旅人の紙面において、広河氏の写真や記事を掲載し、パレスチナへの取材費も支払っている。
安田菜津紀さんは、「私はDAYS JAPANや広河氏の活動に携わった全ての「関係者」個々に対して同じ責任を背負わせたり、社会的制裁を科したりすることは望みません。それはかえって、論点や責任の所在をぼやかしてしまうように思います。ただせめて、広河氏本人が事態の重大さと向き合い、「業界」の構造そのものが変わっていってほしいと願い、あの記事を通して声をあげることを決めました。」と今回の告発のなかで書いているのだが、彼女の言葉のなかにある「論点や責任の所在をぼやかしてしまう」というポイントが大事になってくるだろう。
広河氏本人が事態の重大さと向き合うことは当然として、安田さんは、敢えて「業界」の構造そのものが変わってほしいと書いている。
この構造とは、いったい何なのか。
彼女は、別の場で、「名取洋之助写真賞歴代受賞者」の紹介展示を辞退する理由を述べている。
名取洋之助が、戦中は軍部と結びつき、プロパガンダの担い手になっていたにもかかわらず、その名を冠したジャーナリズム写真の賞に応募してしまった若い頃の自分の無自覚さに対する反省とともに。
広河隆一氏は、2013年からこの賞の審査員をつとめていたが、彼にその権威を与えた日本写真家協会が、広河氏の性暴力などについて、「一連の女性問題」という真相を曖昧にする表現で伝えたことも、「業界」に対する安田さんの不信感につながった。
安田さんは、「賞の審査員はどうしても「選ぶ側」として、ある種の権力性を持ちます。彼の立場にこうした「権威」を与えてきた側として、もう一歩踏み込んだ対応はあったはずです。」と述べている。
私が、注目するのは、安田さんの言葉の中にある「ある種の権力性」だ。
広河氏に、もともとそうした気質があったのかどうかはわからないが、彼の言動に明らかに変化を感じたのは、2004年のDAYS JAPANの創刊の時だった。
この時、彼は、「一枚の写真が国家を動かすこともある」をスローガンとして前面に押し出し、正義と悪の二項対立を明確にして自分を正義の側に置くという論調に、私は、とても違和感を感じた。
なぜなら、私は、2001年のアメリカ合衆国内テロをきっかけに始まった正義の戦争、白か黒、正義か悪かという単純すぎる構造に問題意識を持って、「風の旅人」という、セグメントもカテゴリーも無い媒体を立ち上げ、その中に、広河隆一氏の写真や文章も掲載し、イスラエルへの取材費も準備したのだから。
風の旅人の中で紹介した広河氏の写真や文章は、一言で言うならば、二つに引き裂かれた世界の狭間で苦しむ人間の悲しみであった。
また、広河氏に取材費を支払ったのは、風の旅人の第5号の中で紹介したエルサレムの「分断壁」の取材のためだった。
建設されていくフェンスによって、あちらとこちらが分断されていくが、その壁は単なる境界線ではなく、一方の正義の論理によって、もう一方を分離して隔離して閉じ込めるものとして築かれていくものだった。
もともとエルサレムは、キリスト教とイスラム教とユダヤ教が共存する都市だったにもかかわらず、分断と排除の論理によって、様変わりしていく。私は、新婚旅行でエルサレムを訪問したが、三大宗教が混然としながら共存していることが、この都の魅力だったのに、それが急速に失われていくことが無念だった。
2003年頃までの広河氏の写真や言葉には、人間の頑迷さや悲しみがイデオロギーに利用されないよう、慎重さと抑制があった。
その抑制が明らかに失われたきっかけが、2004年のDAYS JAPANの創刊時だと言える。
安田さんが述べているように、広河氏は、この時、「選ぶ側」として、ある種の権力性を持った。
権力性というのは賞の審査員だけとはかぎらない。フジテレビやジャニーズを例にするまでもなく、有力メディアのプロデューサーや編集長は、選ぶ側として、選ばれて世に出ることを望んでいる人たちの心を牛耳ることができてしまう。それを行っている自分自身を恥じる気持ちがなければ。
広河氏は、 DAYS JAPANを創刊してすぐ、「DAYS国際フォトジャーナリズム賞」をつくり、筑紫哲也さん、歌手の加藤登紀子さん、映画監督の山田洋次さんなど有名人に声をかけて審査員となってもらい、賞の権威付けを行うとともに、自らも審査員として、正しい側に立って、人を振り分ける立場に身を置いた。
私も、近年、写真界の一つの賞の審査員を4年ほどつとめてきたが、賞の選考などは、けっきょく、世の風潮か、選考者の好みでしかない。
誰が選考者なのかによって、受賞者は、すっかり変わってしまうことは間違いないのだ。
だから、その選考者の目が信用に値するのかどうかが大事な問題なのだが、賞が独り歩きして、そのことはあまり問題視されない。
少なくても、長年、同じ審査員があぐらをかいてしまう状況は望ましいものではないし、そういう賞の実態を人々が知れば、賞の価値も色褪せていく。
広河氏の「DAYS国際フォトジャーナリズム賞」の審査員の人選は、 DAYS JAPANの応援団で構成されていたのだが、非常に権威主義的な匂いを感じるものであり、広河氏が、その中に自分を位置付けるのは、自らを権威化するための常套手段に思われた。
何をもって権威主義的なのかというと、 DAYS JAPANがうまくいくかどうかわからない状況で船出した創刊号においては、巻末に、協力者として私の名前が記載されていたが、船出の後、状況が変わった。
私は、DAYS JAPANの創刊準備において、自分で言うのもなんだが、かなり具体的に、自分の労力と時間と知恵を割いて協力を行っていた。
もともと、風の旅人を見た広河氏から、雑誌媒体の立ち上げと運営について相談を受けたことから始まったからだ。
そのDAYS JAPANの創刊号が、ジャーナリズム媒体の衰退が著しかった状況のなかで注目を集め、自信をもった広河氏は、立て続けに手を打っていった。
巻末に、有名人の名前をずらりと並べ、 「DAYS JAPANは、この人たちの応援を受けています」と大きな声で宣言するようになった。私は、まったく有名でない存在なので、広河氏にとって権威的な道具にならないため、関係ない人になった。
あきらかに、この頃から広河氏は、権威的な存在になることを自ら志向していたように思われ、この頃が、彼の人生においても大きな分岐点だったのではないか。権威的な存在であることに喜びを感じてしまう人は、知らず知らず自惚れて、性暴力であるにもかかわらず、自分に魅力があるゆえの男女関係などと、恥知らずにも錯覚してしまう。
なので、それ以前の仕事に対する評価である2001年の「さがみはら写真賞」や、2003年の「土門拳賞」に対して、受賞取り消しとか賞金返還を求めるのはナンセンスだろう。
そもそも、賞を取り消すという社会的制裁は、賞に対して、それだけ社会的な権威を信じていることの裏返しなのだが、賞を、社会的権威装置のように捉えている人が多いがゆえに、賞の審査員が権力を持って、人によっては傲慢になるという悪循環が起きる。
賞は、若い人にとってモチベーションになるし、賞金もまた活動資金の足しになるので魅力があるかもしれない。
それで表現者としての道が拓かれるかどうかはわからないが、発表の場などにおいて、必ず、その人の受賞歴などが並べられているのは、賞に権威的な効果があると信じられているからだろう。
私は逆に、風の旅人では写真家や執筆者に受賞歴などを載せなかったのだが、その理由は、肩書きや経歴などの先入観で、内容に触れてもらいたくないという思いがあったからだ。
例外的に賞について触れたのは白川静さんで、これは逆説的に、白川さんが80歳を超えるまで、「業界」が白川さんの仕事を評価できなかったという実態を伝えるためだ。偉大な芸術家もそうだが、真に価値ある仕事をしている人は、後になったはじめて評価される。同時代において、その極北の存在が、白川さんだった。
それはともかく、善良だった人が、権力をもった瞬間に変わってしまうことは、歴史を振り返れば、いくらでもサンプルがある。
人は誰でもそうなのか。そうならない人は、いったい何が違うのか。
そして、そもそも権力を持ちたくない人もいれば、異様なまでに権力を持ちたがる人もいる。その違いは、どこからくるのか。
安田菜津紀さんの勇気ある告発で、ともすれば有耶無耶になってしまいそうだった広河隆一氏の性暴力の事実が、かなり明確になった。
しかし、一人の人間を犯罪者として社会的に葬った後、次から次へと似たようなケースが出てくるわけで、表面化していないケースは無数にあることだろう。
それらを暴いたり、(自分を正義の側に置いて)暴かれた人に唾を吐きかけるだけでなく、こうしたことが起きる構造が、いったい社会のどこにあるのか、そして人間の心のどこにあるのかも、同時的に、冷静に考えていく必要があるのかなとも思う。
この構造のなかにいるかぎり、自分が、加害者にも被害者にもなる可能性があるのだから。
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