新しいイリュージョン!??

           
 イリュージョンというのは、『風の旅人』に連載していただいている動物行動学者の日高敏隆さんの「動物と人間の世界認識」(筑摩書房発行)に詳しいが、簡単に言ってしまうと、人間や動物それぞれの世界の見方や感じ方だ。動物も昆虫も人間も、それぞれが自分たちの「環世界」というものを持っていて、その世界の見え方や感じ方に従って行動している。アゲハチョウは、紫外線を実際に目に見えるものとして感じ取って行動している。日高さんの話しによると、猫は、単なる稚拙な線で描いた猫の絵を本当の猫だと思ってしまい、近づいてきて、クンクンと匂いを嗅いでからはじめて、実際の猫と違うと認識するのだそうだ。つまり、生き物が見て感じている世界というのは、どんな生き物のとっても等しく客観的に存在しているものではなく、あくまでその生き物の主体によって「客観的」な全体から抽出、抽象された、主観的なものなのだ。
 人間の場合も、きっと同じであって、人間だけが、客観的な世界を見て感じ取れるということはあり得ない。
 それでも人間が他の生き物と違うのは、その環世界を自らの脳力によって変容させていくことだ。人間は、時代ごとに異なる「現実という幻想」を抱いている。人間にとって、この「現実という幻想」こそが、環世界なのではないかと思う。
 人間は、「現実という幻想」を実態のあるものとして信じ、その為に努力して行動する。「神」もそうだし、「学歴社会」もそうだし、「科学」もそうだろう。しかし、不思議なもので、他の生き物でもそうだが、それぞれの個体が思い描く主観的現実を、まことの実態と信じて行動する無数の集まりが、一定の行動をとることによって確固たる実態が作り出され、その結果、その主観的現実を共有する個体たちにとって、より生きやすい環世界が整えられていく。
 女王蜂を頂点として組織的行動をとる蜂の個体は、自らの信じるところに従って役割を果たし、見事なまでの蜂の巣を作り、蜜を集め、敵に備えている。蜂同士のイリュージョンの一致がなければ、とても成し遂げられないことだろう。
 宇宙は、生命あるものを、そのようにつくっている。だから、人間だって同じ筈で、「現実という幻想」に従って多くの人間が一斉に行動してしまうことは、仕方ないのだ。
 それでも、人間は他の生き物と違うところがある。「現実という幻想」を共有するだけでなく、人間は、<自己意識(から生じる分別)>を獲得した。何日か前にこのBLOGに書いたように、人間としての生存の可能性の幅を広げるため、ドリアンの種のような「硬い殻」である過剰な自己意識(から生じる分別)を身につけたのだ。この「硬い殻」が、共同体に共通のものではなく自分の為だけの生存の確かさを切望している。
 その思いがつのれば、人間が、自分だけの「現実という幻想」を作り出すことができる。現代風に言うなら、「おたく」がそういうことなのかもしれない。
 しかし、問題は、人間の自己意識(から生じる分別)が、自分の内側だけを意識するのではなく、外側も意識する癖があることだ。アゲハチョウとか蜜蜂は、自分の環世界が、世界の全てだと信じている。しかし、「おたく」は、自分が作り出したイリュージョンののなかにいても、それが世界の全てだと信じることは難しい。ここに、大きな落差がある。この状態から自分を救う為の一つの方法が、自分の内側こそ実態であり、外の世界は、単なるイリュージョンに過ぎないと、自然に思える状態になることだろう。
 過激な宗教的行動は、この状態に近いように思えるが、実際はそうではない。外の世界に攻撃的になってしまうのは、それが単なるイリュージョンではなく、確固たる実態だと思っているからなのだ。その実態を認めたくないために、攻撃的になってしまう。
 人間は、自分の内も外も等しく意識できるから、自分の内側だけが実態であり、外は単なるイリュージョンであるなどと、素直に思えない。
 「浮き世は幻に過ぎない、自分自身の心のなかにだけ真実はある」などと説く人はいるが、その言に忠実であろうとすれば、厭世生活を送るしかない。現実世界のなかで心身を晒して奮闘する人は、浮き世も逃れようのない現実であると身に染みてわかっている。そういう人にとって、「浮き世は幻」という言葉は、世捨て人の「屁理屈」にしか聞こえない。
 おそらく、自分の内側と外側で幻と実態はどちらなのかと分別することが意味ないのだ。両方とも等しく自分の実態であると自然に感じ、そう素直に思えるかどうかが大事なのだろう。自力でそうできるのならそれでいいし、そうでない場合は、そう感じるきっかけを与えてくれる新しいイリュージョンに邂逅することで、その状態に近づくことは可能になる。その新しいイリュージョンというのは、新しい世界認識の仕方であり、本当の芸術表現や、本当の智慧の表現が、それを可能にするのだろう