20世紀という時代

 今、「風の旅人」の第30号(2008年2月1日発行)のデザイン打ち合わせの前の、写真のキャプション書きなど、最終の詰めを行っている。

 この号で「われらの時代」という大テーマは終わり、大竹伸朗さんに制作していただいている表紙も最後になる。

 第30号の特集は、HUMAN REALITY〜色即是空〜というもので、平たく言えば、20世紀という時代を俯瞰できるものにしたいと大それたことを考えている。

 巻頭には、私が敬愛する小説家の日野啓三さんも好きだったリチャード・ミズラックが撮影したネヴァダ州の核実験場の写真。広島に原爆を落としたエノラ・ゲイが核弾頭の搭載を行った場所だ。そのエノラ・ゲイの元機長、ポール・ティベッツ氏が昨日、92歳で亡くなった。

 ミズラックの写真の次は、中野正貴さんが撮ったラスベガスの写真。

ラスベガスというのは、まさに20世紀的な何かを象徴する所だと思う。

このあたりは、19世紀までは、荒涼とした砂漠にすぎなかった。

 1929年のウォール街の株式大暴落に端を発した世界大恐慌は、第二次世界大戦への道筋をつけてしまったが、その時、主な産業がなかったネヴァダ州は、税収確保の為、賭博を合法化した。同時に、ラスベガス近郊に世界最大の人工湖となるフーバーダムが建設された。このダムは、世界大恐慌の大量失業者を救済するためのニューディール政策との関連で語られることが多いが、貯水量は約400億トンもあるそうだ。日本には約2,500基のダムがあって、それらの貯水量の合計は250億トン程度、日本最大の湖である琵琶湖の貯水量でも280億トン程度らしい。いかにもアメリカらしい目も眩むようなスケールだ。

 そして、1940年代、ダムから得られる豊富な電力を利用してネバダ砂漠に軍事基地や核実験場が続々と建設され、その関係者がラスベガスに住むようになった。

 そのラスベガスが観光地として大きく発展するのは、第二次世界大戦後、マフィアがこの地にカジノホテルを次々と建ててからである。

 そのラスベガスは、ネヴァダ核実験場から、南東に僅か105kmしか離れていない。105kmというのは、東京駅から熱海駅までの距離とちょうど同じだ。

 さらに驚くことに、ネヴァダ核実験場では、1962年まで、大気圏内での核爆発実験が100回も行われ、1992年まで、地下核爆発実験が825回も行われていたと公表されている。(第二次世界大戦中のことは機密になっているので、公式以外の本当の数字は、わからない)。

 ほぼ毎月のようにラスベガスから105kmの所で核実験が行われていた。しかも、広島に落とされた原爆よりも遙かに大規模なものが。

 ラスベガスのホテル経営から表向きにはマフィアが手を引いてから、ラスベガスは、賭博だけでなく、華々しいアミューズメントパークの装いを強めたため親子連れも多く訪れ、今では年間に3900万人もの観光客が来ると言う。

 そのラスベガスに、2005年、原爆博物館がオープンした。核兵器に関する展示が大半で、 大気圏核実験の様子を映像と振動と風でリアルに疑似体験できる「グランドゼロシアター」というものまであるらしい。

 ここでの土産物は、原爆投下のキノコ雲を描いたマグカップとか、帽子やキーホルダーなどで、それに対する非難もあるらしいが、その方がやはりニーズがある(消費される)ので、仕方がないということになっているらしい。

 原爆のキノコ雲は、確かに心惹きつけるものがある。原爆実験によるクレータも、おぞましさのなかに美しさがある。それは兵器という邪悪なものに惹きつけられるからというよりも、そもそも原爆が引き起こす現象が、核分裂反応をはじめとする宇宙の摂理を反映したものだからだろう。夜空に煌めく星の誕生や死の際の、眩いばかりの映像に強く心が惹きつけられるのと同じだ。問題があるのは、宇宙の摂理が秘めた途方もないエネルギーを、人殺しの手段として用いることを人間が考えついてしまったことなのだ。そこに底深い闇がある。

 キノコ雲は、恐ろしく美しい。その畏れが、宇宙の摂理そのものに向けられるものであれば、その前で人間は、厳粛に、謙虚にならざるを得ない。

 しかし、そのキノコ雲を、土産物のように自らの手中で自在に扱えるものと錯覚し、それを自分の都合で利用して邪魔者を排除するという意識が芽生えてしまうところが、自我というものを膨張させ硬直化させた人間の性なのだろう。その自我に基づく行動を当たり前のものとして正当化してきたことが、20世紀という時代の一つの典型だったのだろう。

 そのようにしてアメリカが強力にリーダシップをとって推進してきた20世紀的な政策に、日本はすり寄ってきたし、今もそれは変わらない。

 第30号で原爆実験場やラスベガスの写真とともに紹介するのは、スチュアート・フランクリンの酸性雨によって破壊された森、日本への木材供給基地になっている東アジア熱帯雨林の乱伐現場。そして、広川泰士さんがミズラックと同じ8×10の大型カメラで撮った経済合理性を優先する日本の地表の奇異な姿だ。

 数ヶ月前、広川さんのこれらの写真を見せたもらった時、直観的にミズラックの写真と一緒に紹介しなければダメだと思い、そのように彼に話した。私たちのすぐ傍に展開する大規模開発工事は、見せ方を間違えば、ただの政府批判のようになってしまう。

 政府を批判しているかぎり、自分たちのなかに巣くう不気味なものの正体から目を背けることができる。不気味なものは政府の動きではなく、自分たちの心なのだ。

 以上の展開を締めくくるのは、小林正典さんが撮った、カルカッタの「死を待つ人の家」だ。

 マザーテレサが行ったことは、「弱者救済」などと安易にスローガン化できるようなことではない。死を待つ人を健康な身体にして社会復帰させたり、施しを与えることではない。

 マザーテレサは、物質的な貧しさよりも心の貧しさの方が深刻であると訴え続けていた。とりわけ先進国でそれが目に余る。豊かな国ほど飢えが目立つと。

 マザーテレサが言う”貧しさ”とは何であるか、私ごときが明言できることではないが、それは、「感謝の心」ではないかと思う。人に対する感謝など人間主体のことではなく、生まれてきて、生きて、死んでいくことそのものに対する有り難みを心の底から感じること。

 「死を待つ人の家」で、マザーテレサが行ったことは、人がそのような深い有り難みを感じながら安らかに死んでいけるように、関わっていくことだったのだと思う。

 人は誰でも死ぬ。だから死そのものから救うのではない。惨めで哀しく絶望的に死んでいくのではなく、こんな自分でも、生まれてきて、そして生きてきてよかったのだと、少しでも思える境地に至れるように手を差し伸べること。それが、THANKSGIVINGの真意なのだと思う。

 マザーテレサが訴え続けたように、物質的に豊かな国ほど、「有り難み」が欠乏し、飢えている。そして、食べ物のない貧しさより、心の貧しさの方が深刻である。

 物質的な豊かさと貧しさの格差ばかりが大きく喧伝されるたびに、「心の貧しさ」の深刻さが、よりいっそう見えにくいところに追いやられていく。

 20世紀から21世紀になったけれど、私たちはまだ同じ時代に生きている。