情報伝達のスタンス

 昨日の私の日記のなかでクーリエに言及した部分で、「クーリエは“世界中のメディアから記事をピックアップ”し、翻訳して読者に情報提供を行う、というのが基本スタンスですから、主にはレイアウトと記事の選出にのみ、その個性なり技量なりを発揮する雑誌です。上述の基本スタンスは、(おそらくはkazetabi氏がなされたような誤解を防ぐために)毎号毎号、目次ページ付近に明記されており、もしもkazetabi氏がそのことを知らずに批判されていたのであれば、訂正された方が良いのではないでしょうか。」

 というコメントをいただいたので、そのことについて、もう少し述べておきたい。

 クーリエが、自社の主体的な記事でなく、海外のメディアの翻訳をして記事を紹介しているというクレジットは、確かに書かれている。しかし、私は、クレジットがあればいいだろうという感じを持てない。

 「タイム誌が選んだ記事です」という言い方は、タイム誌を知らない人にとってはただの記号だ。アメリカの媒体は、それぞれの政治的立場が、日本に比べてはっきりしているが、そのあたりのことがまったく読者にわからない状態で、タイムが選ぶ「世界を救う50人」という見せ方をすることが、私には無責任に感じられるのだ。

 クーリエが自社作成ではなく、他の雑誌(タイム)の記事を選んで取り上げている50人のトップは、アル・ゴアで、「もし彼が現在の大統領選に乗り込んだら、地球温暖化問題という目的を持っている彼は、何の目的で戦うのか、はっきりとした理由を説明できる唯一の候補者となるだろう」と結んでいる。

 そして、エコをビジネスにした二酸化炭素排出権取引の父リチャード/サンダーとか、エタノール燃料に取り組みワシントンの持続可能エネルギー研究所の理事会に名を連ねるジョゼ/ゴールドベルグとか、GEのイメルト会長なども含まれている。アメリカ人が12名、イギリス人が6名、日本、ドイツ、ロシア、中国、インドが各2名、それ以外、カナダ、オーストラリア、スイス、イスラエル・・・・など1名ずつが続く。アメリカとイギリスが圧倒的なシェアを占めているのだ。

 そして、それぞれの理由が書かれていて、私は気になる点がいくつかあるが、そのうちの一つ、たとえばバイオエタノールは、アメリカが国家的な戦略で世界に代替えエネルギーとして浸透させようとしているように思われる。

 遺伝子改良のトウモロコシなどをバイオエタノール用に世界各国に輸出して、毎年、それらの国(とくに発展途上国)が、アメリカの種と農薬を買わなければならないように支配していく。バイオエタノール用の作物を植えるために森林破壊が著しく進行し、食料用穀物の価格が上昇する。

 そして、食料用価格の上昇はアメリカにとって大きなメリットがあるが、日本は苦境に追いやられるだろう。日本の農家も恩恵を受けるかもしれないけれど、価格の上昇の著しい作物は大豆やトウモロコシ、小麦などアメリカ産が多いし、それらを飼料とする日本の畜産界も打撃を受けている。

 またGEの会長をはじめ、アメリカやイギリスの経済・産業界の人間がエコ製品に取り組んでいるという理由で取り上げられているが、環境技術に優れた日本の企業は、プリウストヨタ以外、取り上げられていない。

 地球を救う50人は、アメリカ、イギリス(有機野菜農園を設立したという理由でチャールズ皇太子まで含まれる)主導ということだ。

 なにゆえに、そうした偏った記事を有り難くちょうだいして紹介しなけらばならないのか私には理解できない。どうせやるなら、アメリカやイギリスの神輿を担いだりせず、クーリエの視点で50人を選べばいいのにと思うのだ。

 それとも、こうしたアメリカよりの偏向が、冒頭の読者の言う、「レイアウトと記事の選出こそが、クーリエの個性なり技量の発揮」ということなのだろうか。

 アメリカというのは、例えば教科書でもそうだが、教科書に書かれていることの全てを教師が教えず、教師の裁量に任されている。だから生徒は、教科書一つとっても教師に教えられること以外に何かいろいろあるんだなあということがわかっている状態で、伝えられる情報と付き合っている。

 タイムの記事との付き合い方もそうだろう。他にまったく異なる見解のある媒体があることをアメリカ人は知っている。タイムを支持する層もだいたい決まっている。

 もともと他民族国家で価値観のバックグラウンドがまったく異なる人同士が作った国だから、情報の多様性が確保されていて当然だろう。

 しかし、日本の情報は、均一化しやすい。先生は、文部省が定めた教科書の全て内容をきっちりと伝えなければならない。日本は、伝えられる情報の外にあるものに対する想像力が養われにくい環境にあるように思う。

 私は、だから、その違いというものに配慮して情報を流す必要があると思っている。

 具体的には、「地球を救う50人」などと、かなり独善的な記事を出す場合は、タイムと異なる見識の媒体の視点も出して比較できるようにする必要があると思う。

 バイオエタノール一つとっても、日本の立場とアメリカの立場ではまったく異なる。地球規模で標準的に良いか悪いかという議論になると、メリットのある側は、できるだけ良いことを多めに伝えようとする。そうしたことを考慮せずに、海外から情報記号だけを輸入するのは、どうなんだろうと私は思う。

 どう解釈するかは読者側の自己責任という言い方をする人もいるが、私は、情報を伝える側の配慮として、公平を保つために、それらの情報が作られた各国の置かれている状況なども、書き添える。全ての情報にそれをやらなければとは思わないが、「地球を救う50人」などというのは、ある意味でとてもイデオロギー的なことであり、より注意が必要だと雑誌を作る立場の人間として思う。

 あと、「世界中のメディアから記事をピックアップ”し、翻訳して読者に情報提供を行う」というのは、「基本スタンス」ではなく、単に「作業の仕方」であり、スタンスというのは、なぜ、その情報を選んでいるのかということを明確に示すことだと私は個人的に思っている。

 日本のメディアなどで、「選んでいることに特に恣意はない、見る側が感じれば良い、それがスタンスだ」という言い方をするところもあるが、情報を切り取って紹介するということは、既に切り取られないものが存在しているので、それは作為なのだ。だから、その作為をどういう根拠で行っているかを伝えることが、スタンスを伝えることだと思う。

 このように他の雑誌を批判することは、批判することだけを目的とするのではなく、自戒の念もこめている。

 批判する場合、批判だけで終わりではなく、ならば自分はどうするのかということを常に自分に確認し、その考えを反映させた行いに結びつける必要があるだろう。