「世界遺産・・・・」の捕捉

 今日書いた「シンポジウム」の件で、大事なことを書き忘れた。

 このシンポジウムの最後、司会進行者である朝日新聞論説委員の「まとめ」がひどかった。

 1時間という短い時間のなか、パネリストはできるかぎりの問題提起も行っていたのだが、司会者が最後に「いろいろあるけれど、深刻に考えずに、楽しく保護していきましょう。自分も、白神山地などを歩くのは楽しいですから」といった言葉でまとめた。

 このパネルディスカッションの内容に関係なく用意されていたような自説で、唖然とした。今回の対話が、台無しになったような気もした。

 なぜなら、パネルディスカッションのなかで、屋久島の件、そして最後に出た広島の原爆ドームの件で、世界遺産に指定されることと、そこに住む人の気持ちのギャップというものが、時間がなくて未消化であったけれど、今回の対話で、けっこう重要な鍵になっていたからだ。

 司会者である朝日新聞論説委員は、原爆ドーム世界遺産指定をどう捉えるかという話しの後に、「楽しく保護していきましょう」という言葉でまとめて、今回のシンポジウムを終えた。

 屋久島もアンコールワットも、楽しく関わる人が急激に増えたことが問題になっている。人間だから、楽しみたいという気持は否定しようがないが、「どう楽しむか」が問われているのであって、「楽しくやっていきましょう」ではダメだろう。

 そして、屋久島とかはやむを得ないとしても、原爆ドームのことは、どう考えるのか。これも楽しんで保護していくのか。実際に、原爆ドームも、「観光」扱い程度になりさがっている可能性もある。

 なぜシンポジウムの最後に、「どうせやるなら楽しんで保護していきましょう」という言葉が司会者から発せられたのかというと、おそらく、最初からその程度の気持で今回のシンポジウムに臨んでいたからだろう。「どうせやるなら楽しいシンポジウムにしましょう」という感じで。

 愚かだなあと思うのは、自分が楽しいと思っていることでも、他の人がそういうものを望んでいない場合、まるで楽しくはないということがわかっていないことだ。

 こういうシンポジウムにわざわざ来る人は、軽い気持で楽しみたいから来ているのではない。それなりに考えるところがあって来ている。そういう人にとっての楽しさとは、新たな視点が得られたりすることではないか。

 そういう気持もわからず、はしゃいでいるのを見ると、楽しいどころか、くだらないなあと思ってしまう。