第940回 大石芳野さんの子供に注ぐ眼差し

 現在、東京の築地にある「ふげん社」で、写真家の大石芳野さんの展覧会が開かれています。「福島 土と生きる・今」(2016年3月1日〜19日)。その大石さんと、3月5日、14時から、写真展会場で、お話をさせていただきます。
http://fugensha.jp/
 2011年3月に起こった東北大震災。そして、忘れもしない恐怖の原子力発電所の崩壊事故。放射能を閉じ込めた要塞が、あのような無残な姿をさらし、日本だけでなく世界中の人々が放射能の恐怖に震え上がったのに、これまでの日本の在り方を反省し、鎮かにしていたのは僅か1年ほど。日本人は、あの痛みや恐怖をあっという間に忘れてしまい、株価やGNP、消費者物価指数など、以前と何も変わらない空疎な数字ばかりを追求しはじめました。
 明治維新後、西欧を追いかけるばかりで自分達のあるべき姿を見失った日本人の歪められた心は、東北大震災のような歴史的事件が起きても変わらない。
 放射能のこともそうですが、負の遺産を平気で未来に先送りしていく日本の大人達。また、子供をターゲットにしたビジネスは、様々な分野で活況を呈しています。この国の未来を背負っていく子ども達に対して、日本人は、なにゆえにここまで無神経で、冷酷なのでしょう。
 どこからどう間違えたのか、最近、文部科学省が公表した「『諸外国の教育統計』2015年版」でも、日本と、日本が追いかけてきたドイツ、フランスの大学生に対する公的支援が極端に異なることが裏付けられました。http://www.huffingtonpost.jp/science-portal/university-student_b_9083282.html
 日本は、国立大学も含めて大学教育に何百万円もかかります。それに比べて、ドイツは無料です。
 しかも、あざといことに、あえて第一志望の国立大学の合格発表を後ろにずらして、一発試験の国立大学の試験に落ちた時に浪人は避けたいために受ける私立大学の入学金を徴収する仕組みを作り上げています。私立大学に入学しない可能性があるのに、支払う無駄な大金です。私立大学は、国立大学との併願学生のことを計算して定員以上に合格を出していますが、定員以上の全ての受験生の親からお金を取ろうという魂胆です。これなんかは、国立大学の合格発表を私立大学とほぼ同じ時期にすれば解決する問題ですが、なぜ、こういうおかしなことが政治レベルで議論されないのしょう。受験生の子を持ち、日々の生活をきりつめている親は、いくら子供のためとはいえ、憤りや悲しみで心はいっぱいの筈です。
 政府は、消費活性化とか、少子化対策とか掛け声だけはうるさいですが、こうした根本的なところにメスを入れないと、どうやって消費にお金をまわすのか、どうやって安心して子供を産めるのでしょう。
 大石芳野さんが、震災後の福島に通い続けて、丁寧に、そして膨大に積み重ねた取材の中から、私は、雑誌の誌面の制約で子供に焦点をあてて特集をさせていただきました。復刊第5号(第49号)です。

 大石さんは、写真界の宝のような人ですが、大石さんの心が一番写し込まれているのは、子供を撮った写真のように思われるからです。
 子供を撮る写真家は無数にいます。子供の無邪気さによりかかって撮られた写真も無数に有ります。しかし、撮影者が、子ども達の背後に何を見て、子ども達の未来に何を願い、何を悲しみ、何を憂い、何に希望を感じているか、そういうものが子供を通して感じられる写真は、そんなに多くありません。大石さんの写真には、それを感じます。
 おそらく、大石さんの対象との向き合い方が、決定的に違っているのでしょう。大石さんは、ご本人は照れるでしょうが、人を惹きつける魅力と、人を安心させる懐の深さがあります。小柄な身体のどこにそれだけのエネルギーがあるのかと思うほど、若い頃から修羅場をくぐり抜けてきて、修羅場の中で丁寧に仕事を重ねてきた人だからこそ持つ雰囲気です。
 実は、大石さんは、私が「風の旅人」を始めるうえで最も深層的な影響のあった作家の故日野啓三さんの憧れの人でもあり、日野さんから、よく話しを聞いていました。
 だから日野さんが10年に及ぶ闘病生活のすえ癌で亡くなり、風の旅人を創刊しようとした時、大石さんに依頼をしましたが、タイミングが悪く、断られてしまいました。日野さんの名前を出してしまったのも卑怯でした。大石さんに断られてから、腹をくくった私は、筆で手紙を書くという今時珍しい正攻法で、白川静さん、川田順造さん、河合雅雄さん、養老孟司さん、日高敏輶さん、松井孝典さんをはじめ各分野の頂点に立つ畏ろしい人達にアプローチして、全員から承諾をいただくという奇跡で、企画書の紙切れ一枚から風の旅人を始めることができました。
 その後、大石さんに対してはずっと気が引けてしまい、傍に近づけなかったのですが、数年前、コニカギャラリーで大石さんが写真展を開かれていた時にこっそり立ち寄った時、写真家の野町和嘉さんが、たまたま会場にいました。これまでブログで何回か書きましたが、日野さんが亡くなった時に最初にその報告に行ったのが野町さんで、野町さんは、その時点で、唯一、私が接点のあった写真家でした。日野さんは写真が好きで、野町さんの写真を小説の装幀で二回ほど使っていたのが縁でした。風の旅人の創刊当時、文章以外の写真において、水越武さんなど、「こういう写真家がいるよ」と写真家について何も知らない私に教えてくれたのは野町さんです。日野さんが亡くなり、私が、自分のかってな思い込みで作り日野さんの遺著となった「ユーラシアの風景」を持って野町さんのところに行った時、野町さんが、狂気の目で、「本が作れるのなら、雑誌も作れる。雑誌を作れ!」と言い出し、煽られるように始めたのが「風の旅人」だったのです。
 そのように何かと不思議なきっかけとなる野町さんが、大石さんの写真展会場にいて、「おう! ちょうどいい、大石さんを紹介するよ、会ったことある?」と言われ、「あわわ」と思っていたら、奥に大石さんがいて、紹介されたのです。
 すると大石さんは、もう10年もなるのに、私が「風の旅人」を創刊をする時に依頼をしたことを、よく覚えておられて、ずっと気にしてくださっていた。そのことに、私は、すごく感動した。
 大石さんというのは、そういう人です。大石さんは、日本を代表する女性の戦場カメラマンという言い方がされますが、いわゆる、戦場で、一眼レフカメラを使って連写でバシャバシャと写真を撮る人ではありません。
 大石さんは、ライカレンジファインダーで、一枚一枚きっちりとピントを合わせて撮ります。レンジファインダーを使う理由の1つは、人と向き合う時に、サイズも小さいし、シャッター音が「カチリ」と小さく、相手を威圧しないからではないでしょうか。
 戦場をセンセーショナルに伝えるカメラマンではなく、修羅の中でも、人間の内面に寄り添うことを心がける人なのです。 
 13年前の創刊の時に縁がなかった大石さん。その大石さんが撮った福島の写真を、風の旅人の最後から2つ目の49号で、子供に焦点をあてて紹介することができました。
 今、様々な分野で、日本人がこの国の未来のことを議論する時、子供の幸福のことをどれだか頭に置いているでしょうか。なぜ、そこから始めないのでしょうか。
 たとえば少子化の問題にしても、生産力と消費力を高め国際競争力に勝つとか、膨大な老人を支える税金を確保するために子供の数を増やすことが必要だという言い方が、平気でされます。
 子供の幸福のことが考えられているのではなく、老人を支えるコマ数を増やさなければならないという、なんとも悲しすぎる発想です。
 理屈ばかりの正論には、まったく心が感じられません。
 冗談じゃないよ、と思います。そういう議論よりも、自分も含めて老人は、早いところ、子ども達の幸福のために道を譲って死んでしまった方が、よほどマシな社会になるだろうと本気で思います。それが、この国を健全化する一番の方策であることは、多くの人がうすうす感じている筈なのに、ごまかしている。
 あれだけの大震災でも何も変わらなかった日本。どんな混乱が起こるかわからないし、無責任なことを言うなと非難されるかもしれないけれど、私は、もう1度株価が下がり続けて、震災直後の水準に戻ればいいと思っています。この4年ほどの首相の甲高い、落ち着きのない、内実を伴わない空疎な掛け声が、明確な形で空中分解した時、ようやく目覚める人が出てくるのでしょうか。
 必要なのは、派手なアクションでも、声を張り上げた断言でもないのです。大石さんのような、寡黙ながら修羅の中でもしっかりと保ち続ける誠意と丁寧さの積み重ねだと思います。とくに子供のことを考えるためには、長い長い歳月を見通す冷静な目を持つことが必要で、目先のことにとらわれた短慮軽率はぜったいにダメなのだと、自分にも言い聞かせています。
 とここまで書いて、欧米を追いかけてきた日本人が、今日に至るまで改善していなかったのが、目先のことにとらわれやすい短慮軽率だということを再認識しました。