コムスンの問題(続き)

 

 コムスンの問題について、準大手介護会社の会長、社長と少し話をした。

 この問題について、コムスンと折口会長叩きの報道の過熱ぶりとともに、評論家や知識人が、こうした事件がある時の典型的な論法で、「官」の責任を問う発言をしている。

それは、民営化神話のなかに福祉の領域を組み込んだものの、福祉を市場原理に委ねる危険性などをきっちりと議論できなかったのではないかという批判だ。

 どこまでやればきっちりと議論したことになるのか不明だが、今回のコムスンのように一つでも大きな事件が発生した時、「それみたことか、事前の議論不足だからだ」という言い方をする人というのは、自分を安全で楽なポジションに置いているとしか傍目には見えない。

 私は、「官」の味方をするつもりなど全くないが、介護を、「民」のサービスに移行させなければ問題が生じなかったとは言い切れないし、「移行するならするで、きちんとした議論を!」という言い方は、あまりにも大雑把すぎる。そういう言葉を発する人は、自分の意見として、「ならばどうすべきであったか」を具体的に示さなければならないだろう。

 そもそも、こうした大雑把な意見を述べる人に限って、実際の介護現場のことや、介護保険制度の本質的な弱点をわかっていないことが多い。さらに、「市場原理」ということに関しても、「利益争奪戦」とか「人員の合理化」などマスコミが報道する程度の認識しか持ち合わせていないことも多い。そうなってしまうのは、彼らが、実際に市場原理の現場で悪戦苦闘していないからだ。彼らの実感する「市場原理」とは、たとえば自分の本が、良書であっても(自分ではそう思っている)、売れなければ市場から淘汰される、という程度の認識でしかないことが多い。

 そうした「市場原理」の害は、自分の周りに生じる悪い結果の犯人を市場原理に求める思考にすぎない。

 官から民へサービスを移行し、「市場原理」に期待するのは、結果を出すためのプロセスの向上の可能性が高くなると判断するからだろう。

 「物が売れる」というのは、結果だ。その結果をもたらすために、販売員は、丁寧な対応を心がける。それによって、購入者も不愉快な思いをせずにすむ。そして、結果が伴わないと、自分の存在が危うくなる。その緊張感によって、自らの向上をはかろうとする。それが「市場原理」の本質にある。「官」に守られているかぎり、その緊張感もないから、向上意欲もない。だから丁寧さもなければ、改善もない。あっても遅い。

 コムスンの失敗は、市場原理ゆえのことではない。ケアマネジャーに報奨金を与えて自社サービスに誘導をはかったところは、「競争優位」のための謀りであるけれど、その他は、市場における「競争」とは関係ないところの悪行だからだ。

 事業所の人員の虚偽申請や、介護サービス内容を偽って介護保険請求をしたことなど、トップ主導でこれが行われたとしたら、「官はそこまできっちりチェックしないだろう」と甘く見ていたのだろう。もしくは、介護のことをよくわかっていない折口氏に、誰も何も言えなかった可能性が高い。そうでなく、ただ単純に現場の教育が不徹底で、介護保険に関する詳細なルールをわかっていない人たちが、営業所を仕切っていた可能性も高い。

 いずれにしても長く続けられる悪行ではないことは明白であるから、「市場原理」の問題というより、企業体質の問題だろう。そのように問題のある企業でも、テレビコマーシャルとか、入居費が三億円もする老人ホームの建設などのパフォーマンスが得意で、そのパフォーマンスを持ち上げるアナリストなどに投資家が簡単に乗せられて株価が上がり、そうした経営手法によって莫大な資金を調達した経営者が有頂天になって、恐い者知らずになっていた。ゆえに、物やサービスを媒介にした市場原理ではなく、投資家と経営者と証券アナリストたちで構成される株式市場の問題は大きかったとは言える。  

 私が話しをした準大手の介護会社の経営トップが言うには、介護の民営化への流れで生じる問題についての議論は、15年以上、行われてきたそうだ。その会社のトップは、折口氏のように、キャピタルゲインの大金を使って介護会社を買収して介護世界に乗り込んできたのではなく、地道な入浴サービスから少しずつサービスの幅を広げてきたから、「官」による介護の時代の問題も、「民」となってからの課題も知り尽くしている。

 そして、彼が明確に言ったことは、「官」の時代は、提供者側の論理で介護が行われていたが、「民」の時代は、利用者側の視点が重要になってくるということだ。

 つまり、「官」の時代は、最初に予算があり、予算の範囲内で介護が行われる。予算が増えれば、手厚くなるが、減れば、サービスも薄くなる。同じ予算でサービス内容を高めるという意識は、現場には弱い。しかし、「民」の場合、予算の範疇でサービスを行うのではなく、まずは利用者に選ばれる会社であるための努力をしなければならない。現時点で予算が足らないからといってサービスを薄くするのではなく、時には借金をしてでも技術開発をはじめとする先行投資を行い、将来選ばれる会社になるための布石を打ち続けなければならない。

 その会社は、入浴サービスから始まったから、入浴に関するこだわりが強く、それを会社の強みとするため、目先の損得に関係なく、付加価値の高いサービスの研究と開発を続けてきた。そこで得た信頼をもとに、他のサービスへと展開を広げてきた。

 そして、その会社は、テレビコマーシャルなど派手な広告は一切行っていない。

 しかし、コムスンの場合、選ばれる会社になるための努力と財力の大半を、テレビコマーシャルなどに投入してきたのではないか。テレビで名前が連呼されれば信頼できるという時代ではない筈なのに、マスコミなどを巧みに巻き込む売名戦略に基づいて経営が行われた。

 ただし、介護会社の選定は、利用者が直接行うことは稀で、多くはケアマネージャを通じて行われている。だから、テレビコマーシャルの効果が、そのまま利用者の拡大につながるとは思えない。

 コムスンの過剰なテレビコマーシャル戦略は、株価を上げるための投資家向けと、退職率が異常に高くて不足がちになるヘルパーの補充の目的の方が強かったのではないかと私は推測する。

 安易な発想でヘルパーの補充をして利益を稼ぎ出すための方法は、「身体介護」という知識と技術を要する分野ではなく、食事や掃除など「家事援助」のサービスを数多く受けることだ。簡単に言うと、介護保険を利用した「お手伝い」を数多く行うことだ。利用者がお手伝いを雇うと3000円かかるところを、介護保険によって300円で済む。だから、ニーズは増える。しかし、介護保険の財源から2,700円ずつ失われていく。このことによって介護保険制度の根幹が揺らいだ。だから、昨年度の介護保険制度改正によって、この「家事援助」だけを依頼する層への保険料の支給が大きく削られることになったのだ。

 この時、介護会社の「家事援助」に頼っている人を困窮させることになるという知識人やメディアの反対があった。そして、実際に、困窮する人もいるかもしれない。しかし、それ以上に、以前の制度は弊害が多かった。何よりも必要のない人まで保険を利用することで、介護保険の財源が大きく失われるということ、そこにつけ込む業者がいること。努力すればできる家事を人に任せることによって、衰えが急激になること。適度な家事を毎日繰り返すことによって、身体の筋肉や神経系に刺激を与えることができるのに、業者の甘い言葉につられて安易に業者任せにすると、一日中、寝てるだけになり、老け込むのも早くなるのだ。

 いずれにしろ、この介護保険制度の改正によって、コマーシャルなどによる安易な大量雇用、安易な家事援助サービスによる介護保険からの収入拡大というコムスンのビジネスモデルが崩れたことは間違いないだろう。

 そのように追い詰められた結果として、以前よりも明確な違法行為を行うことになった。そして、トップに意見をできる人が誰もいなかった。

 コムスンは以前から問題があったが、「家事援助」から収益を増大させるという手法はコムスンだけではなかったため、コムスンだけを裁くことが出来なかった。他の会社も一斉に処分すると、介護現場は混乱する。それ以上に、処分するための根拠が弱かったということもあったかもしれない。だから、法律を改正した。そのことによって、コムスンが他に抜きんでて悪行を露わにしたがゆえに、厚生労働省も処分をしやすくなったのではないだろうか。

 マスコミにコムスンや折口氏を叩かせて、参院選を前に、年金問題から矛先をかわすためという意見もある。

 いろいろな考えがあるだろうが、介護の現場は、現在進行形でもあり、将来も続くことは間違いないので、「官」が悪い、「政府」が悪い、「コムスン」が悪い、「折口」が悪いといった、悪者決定戦だけやっていても、意味がないように思う。 


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