第996回 脱中央集権的な社会という夢


PHOTOGRAPH BY ROBERTA RIDOLFI  出典『WIRED』
ルイス・アイヴァン・クエンデ|LUIS IVÁN CUENDE
1995年、スペイン・アストゥリアス州オヴィエド生まれのシリアルアントレプレナー、エンジニア、ハッカー、クリプトアナキスト


 この21歳の天才青年の考えていることが、とても興味深い。
 http://wired.jp/2017/03/26/portrait-of-a-crypto-anarchist/
 もしも、彼のように考える若者が増えてくるならば、人類の世界は、きっと新しいステージに入るだろう。
 ここ数十年、技術の発展は目覚ましいが、人類は、以前として古いステージにとどまっている。
 古いステージというのは、中央集権的な価値観に縛られたままだということ。
 中央集権的であるのは何も政治体制とは限らない。中心に信頼のお墨付きを置いて、そのお墨付きが物事を決定する判断基準となり、従って、人生もまたそのお墨付きに左右されてしまうということ。その結果、お墨付きは権威となり、権力やお金が集まる。
 華道や茶道の家元制度もそうだし、ポストモダニズムという反体制的な芸術運動も、結果的に同じ道を辿った。ビジネス界においてもそうだ。旧い体制やシステムに問題意識を持って闘いを挑んでいるうちに、評論家に認められたり、作品や商品やサービスがヒットしてしまうと、メディアなどで成功例として持ち上げられ、あちこちで引っ張りだこになり、体制の中でお金を稼げるようになり、自らが権威となる。かつて自分が問題意識を持っていた世界は何も変わらないし、成功した自分は、その問題のある世界を上手に利用するだけで、口先で、世を憂うポーズをとる。
 表現分野ですらそうだったので、最初から利益を目標とするようなビジネスの分野では、言わずもがなだった。
 IT技術を利用して稼ぎ、世の中を変えたなどと言われ成功者としてチヤホヤされる人の分野は、そのほとんどが、ゲームや、ファッションや、ショッピングや、情報まとめサイトのようなものばかりだった。大量生産、大量消費の世の中は、何も変わっていない。
 この21歳の天才は明確に言っている。
「テクノロジーの力で社会に自由をもたらそう、そして、人間を高めようという純粋な大望がドライヴとなって生まれたコミュニティは、とても残念な状況にさらされることになった。もはや、この業界をドライヴしているのは理想でも大義でもなく、金でしかないんだ。」

 若くして成功した彼は、「自分が開発したテクノロジーをマネタイズすることに、罪悪感を覚えるようになったんだ。それで、お金と自分の活動を切り離して考える癖がついてしまった」とまで言う。
 そして、「ブロックチェーンブームのなかで、自己中なヤツらがクイックマネーをがっぽり稼いで立ち去るのを横目に、ぼくたちハッカーは、静かに社会の脱中央集権化に励むだけだ」と覚悟を決めて、未来に向けた仕事に取り組んでいる。
 彼は、ブロックチェーンの可能性に夢を持っている。
 「権力というものから世界を自由にする発明」として。
 権力というのは、政治家や官僚のことだけではない。政府や官僚や大企業やメディアやアカデミズムも一体化したマーケティングであり意識や価値の操作だ。その操作は、中央集権的な特徴を持っている。情報を流している者は、自らを正当としたいから、自らを基軸にした情報を選んで流すことになる。そして、規模が大きかったり、人を集める力があったり、権威的な賞を受賞していると、その情報力、すなわち自己正当化のマーケティング力も強くなる。強い者がより強く、富める者がより富む理由は、ここにある。
 トマ・ピケティは、「21世紀の資本」という本で、膨大なページを割いて、”格差が広がっている事実と構造「資本収益率(r)>経済成長率(g)」を説明し、その解決策として、儲けている者から税金を多く取りなさい”ということしか書いてないのだが、そんな本をヨイショする中央集権的なメディアの力(そこに寄生する評論家も含む)によってベストセラーになり、ピケティも稼ぐことができた。彼は、稼いだ印税をどこかに寄付したのだろうか?
 この20歳の天才は、そういうことにも辟易していて、「誰かの受け入り」ではない「新しい信頼」を築き、脱中央集権的な社会を構築し、真実を取り戻すこと。つまり、世界を救うということに夢を賭けている。
 プログラミングの技術を身につけて、いいアイデアを見つけて起業して、ベンチャーとして注目されてお金儲けして有名になりたい、などというチンケな夢ではないのだ。
 果たして、ブロックチェーンのその先に、社会改革の夢は存在するのだろうか。
 ヒネくれた大人は、あれこれとネガティブな粗探しをする。
 もちろん、時間はかかるだろう。しかし、方向性が間違っていなければ、30年、50年、100年単位でみれば、必ず、世界は、脱中央集権型から自律分散型に移行できる。つまり、信頼の基準が権威的なものでなくなりさえすれば、富める者がさらに富み、力あるものがさらに力を持つということがなくなり、フラット化する。それだけでも、現在、一部の者に集中している富が、より多くの者に還流する。
 しかし、その前に、この天才が言っているように、我々一人ひとりの意識改革も必要だ。
「実のところ問題の根源は、むしろ人々にあるのかもしれない。ぼくら人間が、より理性的な存在である必要があるんだ。ブロックチェーンがもたらすかもしれない新しい世界は、ドグマに支配されることなく、ぼくたちの合理的、理性的な思考に立脚するべきだろう」
 「より理性的な存在である必要がある」というのは、自分の身体でしっかり感じ、自分の頭でしっかりと冷静に考えられるようになれということだろう。有名人、偉い人、成功者が言っているからとか、世の中そういう風に決まっているから、などという理由付けをしてはいけない。そんなの関係ない、自分の判断に責任と自覚を持てということ。
 この意識改革は簡単ではない。
 しかし、東芝だから大丈夫だろうとか、大手銀行にお金を預けておけば大丈夫、ということが、通用しなくなったり、政治家、学者、メディアというこれまでの権威機関の言うことが信じられないという傾向は少しずつ増大している。それは、彼らが以前より嘘つきになったということではなく、彼らの自己正当化が、これまでは権威の力で押し切れたのに、近頃はそうはいかなくなってきたということ。ブロックチェーンの前に、インターネットの力で、権威構造が揺さぶられているのだ。今後、人口知能やブロックチェーンが浸透していけば、さらにこの傾向は強くなっていく。そして、いつか、本当の意味で、脱中央集権的な社会が誕生するのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


鬼海弘雄さんの新作写真集「Tokyo View」を発売中です。
詳しくはこちらまで→