第1000回 自分のモラルから言葉や表現物を発するということ

 小栗康平監督のDVDブックのFOUJITA (小栗康平コレクション 別巻) <駒草出版>が発表された。
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 装丁もとてもよくて、長く手元に置いておきたくなる味わいがある。
 そして映画のDVDと同梱されている前田英樹さんの批評文と、小栗さんと前田さんによる対談が濃密ですばらしい。表現者や批評家の真摯さ、誠実さとはなんであるか感じるためにも、映画作りに携わる若い人はもちろんのこと、表現や批評を志す人にはぜひ読んでいただきたい。
 実は、この『FUJITA』という映画については、舌鋒鋭い論客とか批評家と言われる大学教授の浅田彰氏が、このリンク先のようにあまりにも虚しくて、悲しくなるような批評を展開している。
http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_160107/
 浅田彰という人はいったい何をどうしたくて、こういう虚勢を張っているのか。現代社会における言葉の使われ方というのは、政治家も、ビジネスマンも、そして言葉の専門家とされる批評家も、いかに相手(競合他者)よりも自分の方が優れていて強いのかとアピールする手段でしかないのだろうか。
 浅田氏は、この批評文の中で、自分の知っていることを並べ立てて、相手をなんとか威圧しようとする。時に暴力的とも言える雑な言い回しで。彼は学生に対して、このような言葉で相手を制していく方法を教えてきたのだろうか。未来につながっていく若い人たちに、ここに書かれているような空疎な内容、雑な言語使用のスタイルが伝えられていくのかと思うと、悲しくなる。
 彼は書く。「近年の日本映画の中でも飛び抜けて貧乏くさくて辛気臭い映画が、小栗康平の『FUJITA』である。一貫して鈍重な映画を撮り続けてきた小栗康平が、「軽薄才子」と貶されながら世界を股にかけたトリックスター藤田嗣治を撮るーこの話を聞いた時から「何かの間違いでないか」と思っていたのだが、その危惧は、最悪の形で実現されてしまった。」と。
 浅田氏は、冒頭から勢いよく先制攻撃のように小栗康平藤田嗣治の二人を貶すが、その後、彼は、何がどう貧乏くさいのか、辛気臭いのか、鈍重なのか、トリックスターなのか言葉で掘り下げることなどしない。あとは俳優のフランス語をけなして、延々と自分が持っている藤田嗣治に関する知識をひけらかすばかり。ようするに、それら自分の知っていることが小栗康平監督の「FUJITA」の中に盛り込まれていないから、この映画は最悪なのだと言っているとしか読み取れない。
 この浅田氏の批評文に対して、素朴な読者が、下記のコメントを残している。
「この映画はストーリーとかよりももっと大きなものを撮ってるんじゃないかなってわたしは思いました。難しいことはよくわからないですけど、人間の知覚とは別の、機械の知覚を通して私たちが見落としてる世界、宇宙を流れているものを上手く撮っている映画で、たまたま藤田嗣治がストーリーで使われたんじゃないんですかね。特にロングショットはすごく神秘的でわたしは好きな映画です。」
 自分がバカだと思われたくないという小心さで、浅田氏の文章にポーズだけでもウンウンと頷いてしまう人が多いなか、このコメントを寄せた人は、「難しいことはよくわからないですけど」と素直な子供の心で、批評界隈の権威的存在らしき浅田氏に対して、「あの映画って、そのように見えないですよ、言っていることがおかしくないですか?」、つまり、「王様は裸だよ!」と言っているように私には思える。
 それはともかく、「小栗康平のFUJITAは、伝記として失敗している」と、自分勝手にこの映画を伝記映画と決めつけて、失敗作だと見下す浅田彰氏の言葉など眼中にないとばかりに、前田英樹氏は、次のように書く。 
 「FUJITAという映画は、映画が史劇たりうる最高の方法を示していると言っていいだろう。主人公の画家「フジタ」は、単にかつて実在した人物だったというだけではない、過去のなかに厳とした役割を与えられて、歴史の真髄を生きさせられている。」と。
 前田氏は、これはフジタ個人の伝記映画なんぞではなく、史劇であると書き、その後の文章で、その根拠とするところを丁寧に書き重ねていくのである。だから、浅田氏の文章と違って、どんどんと歴史の深いところ、藤田嗣治の内面、そして、それらを描き出す映画の時空に引き込まれていくような感覚になる。
 さらに前田氏は、浅田氏が、「近年の日本映画の中でも飛び抜けて貧乏くさくて辛気臭い」とか、「動きがない、鈍重である」と蔑むところに関しては、こう書いている。
「FUJITAの終盤、疎開先の寒村でフジタが観る美しいさまざまな幻想は、ただの幻想ではあるまい。画家の記憶の、奥の奥で生きられている古い日本の現存であろう。映画は、それを次々に、はっきりと映し出し、私たちの心を遂には痛いほどに掴む。村の夜道を跳んで横切る金色の狐、あれは私の魂だと、感じさせるのである。」と。
 浅田氏は、映画そのものについて前田氏のように丁寧に書かず、自分が持っている藤田嗣治に関する一般知識(本で読んだか誰かから聞いただけで、自分の目で事実を確認したわけでも、想像力を働かせているわけでもない)の羅列のあいだに、「運動が鈍重」とか、「怠惰な反復」と書くので、その意味するところがさっぱり伝わってこない。
 ただ、「編集が乱暴になってもいいから、ゴダールのように確信犯的なつなぎ間違いを連発してもいいから、上映時間をとりあえず5〜10%ほど削ってみてはどうか」とか、「藤田は戦争画でチャンバラに挑戦すると言っているのだから、藤田の伝記映画もチャンバラのように撮るべきなのだ。」とか、「フリーダ・カーロが出てきても面白いだろうし、そこで岡本太郎と再開するのでもいいかもしれないし」などと書いているので、浅田氏の考える鈍重でないもの、怠惰な反復でないもの、面白いものというのは、その程度のことなのだと納得するしかないのである。
 このように文章を照らし合わせていくと、前田氏と浅田氏は、同じ映画を観ていても、見えているものの奥行きがまるで違っているということはわかる。
 けっきょく浅田氏は、好きか嫌いかでものを言っているだけのような気がする。
 どちらの意見が正しいかではない。どちらの批評文が心構えとして美しいかが重要だ。
 美しいという言葉がわかりにくければ、どちらの文章が、何度でも読み返したくなるか、時間を置いてもう一度読みたくなるか。それほどの深みを感じられるか。
 批評家は、映画や絵画などを一方的に裁定する優位な立場にあると錯覚している人がいて、読者も、知らず知らず、そういものだと思わされているかもしれないが、そうではなく、我々はまず、その批評家の文章を評価しなければならない。正しいか間違っているかではなく、対象に対する心構えに誠実さを感じるかどうか。言葉の使い方や論の展開のさせ方などに欺瞞がないかどうか。どこか”あざとい”と感じるものはないか。知識のひけらかしや、すでに権威となっている人物の引用で論理武装するばかりで、上手に自らを権威付けていないか。
 浅田氏が、映画に求める手前勝手な”面白さ”と対照的に、前田氏は、対談の中で次のような言葉を発している。
 「藤田嗣治という人は、このような問題を(注:日本の伝統の蓄積と、西洋から強圧的に入り込んできた異質の文明を拒絶することの不可能さと、同時にそれに惹きつけられるということのあいだの激しい葛藤、心中の闘いの問題ー要約:佐伯)、明治末期から太平洋戦争のまっただ中に至るまで、全身で引き受けたのでしょうね。その痛ましさを、小栗さんの映画はほんとに親身に描いている。事件を追う歴史ものとしてじゃなく、魂から魂へ、共感を刻みつけるように。藤田が観たら、どんなに救われるだろうかと思いました。」
 これを読んで一目瞭然なことは、何かについて表明する言葉や表現物は、けっきょく、その人のモラルから発せられるべきものであるということ。
 その人のモラルが伝わってくるものは、正しいとか間違っているという分別を超えて、自分の魂の中に潜んでいるモラルに食い込んできて響きあう。
 魂の中のモラルと関係ないところで、面白いかどうか、売れたかどうか、新しいか古いか、正しいかそうでないかと競い合う光景は、なんとも虚しい。そこから望むべく未来が拓かれていくとは、私にはとうてい思えない。そういう虚しい闘いが優劣を競い合うことだと、これからの時代を作っていく若い人達に思ってもらいたくない。

 私は、批評家ではない。傲慢な批評家は、映画や絵画などを自分勝手の方法で分析して評価付けするだけだし、誠実な批評家は、表現に潜在する力を引き出そうと奮闘する。私は、「風の旅人」という雑誌の媒体運営者で編集者でしかないけれど、批評家であれ誰であれ、その人たちがアウトプットしたものを自分の媒体に載せるかどうか判断する立場にある。
 私ならば、FUJITAについて浅田氏が書いているような文章を、自分の媒体に載せるという判断はしない。その判断の根拠が何からきているのか、生理的な感覚だけでなく言葉として認識しておくべきだと思った。
 2004年11月から、くだらない長文のブログを書き始めて、今回が1000回目。
 1000回目の節目としてどういうことを書くのかなあと思って、ここ数日、空けておいたのだが、自分のモラルと表現の関係について書くことになったのは、きっと必然だったのだと思う。
 そして、自分がなぜ風の旅人を50冊も出し続けてきたのか、1000回にわたってブログを書き続けてきたのか、より明瞭にもなった。