いのちは海から 〜主要成分だけではなく、微量な成分のバランスが大事

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 外食はできるだけ避け、無農薬野菜などを買い、肉は、高価な牛肉ではなく国産の豚肉。そして魚介類。そうしたものを食べていると、ファストフードなど加工品は身体が気持ち悪く感じて受け付けなくなる。なにゆえに、あれだけ味付けを濃くする必要があるのか。
 素材の良いものを食べる時は、味付けはほとんどいらない。塩とか塩麹があれば、それだけでもけっこういける。
 なかでも塩は大事だ。スーパーマーケットに行くと、塩が異常に安い。毎日の食生活の基本にあるものなのに、500gで100円とか200円で売っている。500gあれば、数ヶ月は使えるのに。そういう塩は、ほとんど加工品みたいなもので舌にピリピリときてうま味がない。辛い味付けをすればいいというものではないのに。ああいう塩を摂取しているから、血圧があがったり、脳梗塞になるのではないだろうか。
 私は、塩を買う時にお金をケチらない。南の島に行った時など、天然塩が売られていると思わず買ってしまうが、今、気に入っているのは、大島の「海の精」と、沖縄の粟国の塩だ。とても手間暇かけて、海に含まれているミネラルが十分に含まれていて、とてもうまみがある。どちらも、スーパーマーケットの工業塩の10倍くらいの価格がするが、それでも1000円ちょっとだ。それだけで食べるものの味や身体の調子に影響を与えるのだから、大した金額の違いだと思えない。 
 現代社会では、塩が病気の原因のように言われ嫌われているが、古代より塩はとても貴重なものだったわけで、上杉謙信武田信玄に塩を送ったことが伝説になっているくらいだ。また、かつてアフリカのサハラの隊商交易をつかさどっているトゥアレグ族は、塩と同じ目方の黄金を取引していた。だから、塩が身体に悪いのではなく、工場で大量生産される廉価版の塩が問題なのではないかと私は思っている。
 その原因は、塩の成分ではないか。工業塩には、海の中の微妙なミネラル成分が含まれていない。塩の主力成分であるナトリウムやマグネシウムだけで、塩だと称している。
 人間をはじめ生物は海から生まれたわけだから、海の中の微量な元素(ミネラル)が体液に含まれている。ナトリウムやマグネシウムだけでなく、その微量なミネラルの全体が大事なのだと私は思っている。
 地球上の元素は百種類に満たないが、そのうち人間の身体を構成する元素の数は、主なものだけでも40はあるそうだ。酸素、炭素、水素、窒素など主に大気中に多く存在する元素だけで、人間の身体の96%を占めるらしい。これらは、炭水化物や脂肪などとなって、身体を作ったり、身体のエネルギーとなる。 
 そして、身体を構成する他の無数のミネラル類を足し合わせても、人間の身体の僅か4%ほどでしかない。そして、それぞれがどういう働きをしているのか、わかっているものもあるが、ほとんどは詳しくはわからない。わからないものは、あまり深く考慮されていない。
 権威ある学者などに「蛋白質は身体を構成する主成分だから、良質のものをたくさん摂りましょう」と言われると、誰もが素直に納得する。科学的研究によって特定の元素が人体に有効だというデータが出ると、それをサプリメントとして多く摂取しようとしたりする。
 でも、科学的に有効性が判明していなくても、身体のなかに微量でも存在しているというのは、間違いなく何らかの働きをしているということだろう。多ければ大事で、少なければそうでないということでもなく、少なくても十分な働きができる元素があるのかもしれないし、必要量を超えると、逆に毒素になってしまうものもあるかもしれない。
 おそらく、量の問題ではなく、40のミネラルのバランスの方が、より大事なのだろうと思う。なぜなら、長い長い歳月を経て地球上にある様々な元素を少しずつ繋ぎ合わせて奇跡的に構成されたのが人体であるなら、人体にとって大事なものは、その奇跡的なミネラル分の構成そのものだと思うからだ。その奇跡に対して、人間が頭でっかちになって介入して、一部を多くしたり少なくして、微妙なバランスが崩れてしまう恐れがある。
 ナトリウムやマグネシウムに特化した工業塩というのは、そのバランスを崩してしまうのではないか。
 手間暇かけて海の水を蒸発させて作り出された天然の塩には、海に溶け込んだ微量で多彩

なミネラルが十分に含まれていて、それを摂取することで、人間は、必要なミネラルをバランスよく補っていたのではないか。だから、塩は貴重で、高価なものだったのではないか。
 私は、たまたま「塩」のことについて述べているけれど、今日の社会も、同じような発想でなされることが多いように思う。
 「主成分」がわかれば、そればっかり増やそうとする。全体のなかで占めるシェアが大きいものを過剰に優遇する。シェアが小さくても有効な働きをする大事なものが見落とされる。一面的な有効性が判明したもの(ハウツ−もの)だけを、一生懸命に摂取し、有効性の判明していないものは、ほとんど相手にされない。全体の微妙なバランスよりも、全体のなかで目につくものとか、大きなエネルギー源とかが重視される。
 だから、様々なところで歪みが出る。社会もそうだし、人間の身体だってそうなのだ。
  雨が大地にしみこみ、大地のなかの無数の元素を溶かした水が海に流れ込んで、長い歳月の間に、海の塩がつくられる。海水に大量に存在して全ての生物に必須だと判明しているナトリウムだけを主体とする工業塩と、微量ながら絶妙な配合で無数の元素を含む海の塩を、同一にみなすことはできない。
 工業塩ではなく、海の塩そのものの元素の精妙なバランスが身体にとって大事であるように、社会で生きていく上でも、頭で必要なものとそうでないものをあれこれ分別して自分に取り込んだり棄てたりするのではなく、全体のバランスをそのまま自分のものにしていく発想が必要なのだ。
 この世界の奇跡は、無数の元素(要素)が複雑精妙に関係し合って、形ある秩序を作り出して自律的に存在していくことそのものにあるのだから、その奇跡を自分ごととして、ありのままに受け入れることが大事なんだろうと思う。



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