第998回 もののあはれと幽玄

第7回 風天塾開催
もののあはれと幽玄〜近代合理主義を超えて〜「源氏物語と日本文化の秘めた力」
お申し込みはこちら➡︎https://www.kazetabi.jp/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88/

(和蝋燭の灯りに照らされた空間で)
日時 2017年4月28日(金) 開場18:30 開演19:00〜

第1部 源氏物語 女房語り「夕顔」 山下智子 解説30分 女房語り 30分

第2部 鼎談「もののあはれと幽玄」 1時間30分 
 河村晴久(能楽師)、山口源兵衛(誉田屋源兵衛10代目当主)、山下智子(女優)
 コーディネーター 佐伯剛(風の旅人 編集長)

◉入場料:無料  ◉定員 30名程度

同志社大学創造経済研究センター 伝統文化の現代的創造研究所主催>

◉場所 誉田屋源兵衛 本店  京都府京都市中京区烏帽子屋町489
 地図⇨http://www.kondayagenbei.jp/about.html

*誉田屋源兵衛は京都室町で創業280年を迎える「帯の製造販売」の老舗。現在は十代目である山口源兵衛さんが、代々受け継がれてきた技術とともに、「革新」の精神をもって、着物業界に次々と作品を発表しています。公式ページ⇨

 日本人は、よく無宗教と言われます。しかし、仏教や神道という形式には抵抗を感じても、”もののあはれ”や、”幽玄”は、多くの日本人が、素直に受け入れることができます。
 特定の宗派が説く教義だけが宗教なのではなく、この世の苦しみからの救済を願い、この世への執着を鎮めることが宗教であるならば、”もののあはれ”や、”幽玄”もまた、宗教と等しい精神活動であると言えるでしょう。
 源氏物語をはじめ、日本が独自に生み出した文化は、その精神活動に基づいた創造活動です。
 そして、その精神性の高さは、近代合理主義の行き詰まりを感じている欧米人も、注目し続けています。

「登場人物の性格が繊細な筆致で描き出されているばかりでなく、様々の、もっとも洗練されたかたちの愛の情熱が、深い理解をもって表現されていた。ヨーロッパの小説がその誕生から三百年にわたって徐々に得てきた特性のすべてが、すでにそこにあった。「戦争と平和」、「カラマーゾフの兄弟」、「パルムの僧院」、そして「失われた時を求めて」などと並んで、人類の天才が生み出した世界の12の名作のひとつに数えられることになるだろう。」レイモンド・モーティマー
                             
 日本文化で、とくに顕著なのは、観念を超えていく力です。能の場合も、風姿花伝など極めて明確な言語世界がありますが、論理を踏まえながら論理を超えていこうとする精神的運動は、禅や武道、俳句などにも流れています。
 人間の尊厳や生死の問題において、私たち現代人は観念的に整理しようとして堂々巡りに陥りますが、源氏物語は、1000年も前に、そうした観念の苦しみを究極まで描き出しながら、その苦しみを超える道として、”もののあはれ”という物の宿命に寄り添っていく精神を描きました。そして、その後の日本文化のなかで、”もののあはれ”は、幽玄や侘び寂びなど、状況に応じて、深められ、磨かれていきました。
 残念ながら、明治維新の後、その精神は後退してしまいましたが、今再び、その精神を見直す時期にきています。情報があふれ返る世の中で、人は、周りの情報の影響を受けすぎてしまい、自分の生を生きているのかどうかわからなくなっています。そして、情報に踊らされて際限なく消費生活を繰り返し、その莫大な集積が、地球環境を大きく損なうところまできています。
 自分の生を取り戻すためには、情報を削ぎ落として命の本質に立ち返る必要があります。
 命の本質とは、生者必滅会者定離。形あるものは必ず消え、命あるものは必ず死に、必ず別れはあること。ただし、それを観念で主張されても心には届きません。この身が滅ぶことは承知で、身命を賭して命の本質を伝えようとする命懸けの仕事だけが人の心を動かします。
 源氏物語や能もそうですが、織物や染物も、命懸けの仕事でした。
 「草木は人間と同じく自然により創り出された生き物である。染料になる草木は自分の生命を人間のために捧げ、色彩となって人間を悪霊より守ってくれるのであるから、愛(なさけ)をもって取扱うのは勿論のこと、感謝と木霊(こだま)への祈りをもって、染の業に専心すること。仕事を与えられた喜び、その喜びに祈りの心を添えて、与えられた仕事に自己の力の凡てを、捧げること。」(前田雨城

 長い歴史を通して、日本人は、この国の自然風土に育まれた精神で、命の本質にそったものを創造してきました。それは、「神の国」とか「美しい国、日本」といった広告や政治的に用いられる仰々しいスローガンやキャッチコピーとはかけ離れていていて、謙虚に、敬虔に、地道ながら黙々と継続する行為とともに深められたものです。

 このたびは、直接的に、物を見たり触れたり声を聞いたりするリアルな場を通して、あらためて日本文化の本質を五感で感じる時空を作っていきたいと思います。