脳と創造性

「脳と創造性」茂木健一郎著(PHP発行)は、なかなか凄い本だと思う。
 茂木さんは、人間の脳と創造性について掘り下げながら、人間が人間として人間らしく生きていくとはどういうことかという人間にとっての永遠のテーマにつなげている。それゆえ、この本は、新しくて、とても優れた哲学書とも言える。哲学書であるけれど、科学の先端の成果が昇華されて盛り込まれており、文と理が非常に高い境地で融合した茂木さんならではの「創造」だという気がする。
 過去の哲人の言葉を今日風にわかりやすく解釈した哲学書が新しいと言われたりするが、そのほとんどが古くから言い尽くされた人生訓をなぞっているだけであって、それらの人生訓だけでは超えられない構造が、今日の社会にあることをわかっていないケースが多い。
 茂木さんの「脳と創造性」は、そういうものではなく、真の意味で新しい哲学だと私は思った。
 といって、自分が思ってもいなかったことが、この本を通して差し出されているわけではない。
 これまで、この社会でいろいろなことをしながら人生を生きてきて、自分なりにいろいろ感じてわかったことがあるのだけれど、茂木さんは、そうしたことをとても説得力のある言葉で照射してくれているのだ。その言葉の力によって、自分の無意識が意識になる。
意識化されることによって、自分のことや、世の中のことが、いっそう明確にわかるようになる。
 もしも、悩み多かった20年以上前にこの本を読んでいたら、どうだったのだろう。
 今の自分がこの本を読むと、昔、自分がいろいろ悩んでいたことに対して、すっと答えのようなものを差し出してくれているように感じるのだが、今だからそう感じるのかもしれないし、正確なところはよくわからない。
 でも確かなことは、その当時、こういうものがなかったゆえに苦しんでいろいろ悩むはめになったけれど、自分なりにいろいろと試行錯誤し、その結果、自分なりの考え方というものを少しずつ形成していくことができたということだ。
 生き方に関わる本だからといって、「脳と創造性」が処世的な人生論の類のものであると思う人がいたら大間違いだ。
 人間の脳の活動を他の生命と切り離して考えるのではなく、生命活動の必然の延長として捉え、かつ人間社会という人間の脳の産物のなかで生きながらいかにして思考と感情という脳力を自然にポジティブに引き出していくかということに関して、この書物のなかには多くのヒントが散りばめられている。

 この書物に書かれていることは、自分が考えていることにあまりにも近いので、今の自分にとって新しい人生の道しるべになるものではない。しかし、今という時代の文脈のなかで、伝えるべきものを最善のかたちで伝えていく方法論において、学ぶところが多い。 今日の私たちの多くは、混沌と秩序、知と情、科学と芸術、有名と無名、天才と凡才、自分と他者、一回性と普遍性、資本主義と脱資本主義等を、対立的に位置づけて世界を認識する傾向がある。しかし茂木さんは、「ずれ」とか「ぎこちなさ」に生じる”揺らぎ”こそを創造性の源と捉え直すことで、全てを生命の必然的なダイナミズムのなかに飲み込み、差違や区分の分別を超越している。その超越の技を会得することこそが、この時代にもっとも必要なことではないかと私は思う。