さらなる旅

 「風の旅人」の16号を見て、執筆者の一人、管啓次郎さんが、「旅にあって、旅を否定しつつ、さらなる旅をめざす」という現在に生きる全ての人にとって必要なスタンスを、「風の旅人」が実現していると評価してくださった。

 すなわち、旅という探求の路にありながら、モノゴトを外から見る当事者意識の低い客観的態度の旅を否定しつつ、現状を超えた展望をさらに探し続けるスタンス。私は、管さんの言葉をそう解釈しているが、この言葉は、どんな言葉よりも「風の旅人」を深い部分で理解してくださっている証であり、そのことがとても嬉しい。

 「風の旅人」は、創刊号で朝日新聞、二号で読売新聞と、雑誌では珍しいそうだが書評での取り上げなどもあり、これまで、何かしらの評価をいただくことはあった。

 出版社の人は、なぜかほとんどの人が、「贅沢な雑誌ですねえ」と言う。このご時世に、よくもまあこれだけのお金をかけれますねえといったニュアンスか。執筆者も豪華だし、写真家も豪華だし、印刷も本のつくりも豪華だしという感じで、表層的な部分だけを見て評価する。一冊の雑誌を何人もの編集者で作っている方がお金がかかり、このご時世に、よほど贅沢なことだと思うが。

 他には、巷に溢れる情報雑誌に比べて、内容が「硬派」であるとか、質(何の質かわかりませんが)が高いとか、貴重なビジュアル雑誌であるとか、表層だけをとらえた醒めた客観的分析や比較論に晒されることが多い。

 誉められてうれしくないと言えば嘘になるが、「風の旅人」を作り続けている動機は、そういう類の評価が欲しいからではない。

 以前の日記で、写真家の水越武さんが言っていた「表現者は、人との優劣や順位を競ったり、他人の評価や売れる売れないを気にするのではなく、”星”を目指して作品づくりを行うものだ。」という言葉を紹介したが、私にとって“星”とは、まさに管さんが言ってくれた「旅にあって、旅を否定しつつ、さらなる旅をめざす」ということだ。

 「風の旅人」という雑誌名も、「“風の旅人”は心の旅に誘います。」というキャッチフレーズも、同じ思いからきている。

 旅行会社が発行する雑誌だけど、海外の諸地域を“見せ物”のように紹介するつもりはない。

 といって、関心の矛先を手軽な所に設定して、現状にあぐらをかきたくない。

 さらにアートとか写真とか文学とかサイエンスといった閉じたカテゴリーの中で、新しいとか古いといった議論はしたくない。

 「風の旅人」は、そうした従来の偏狭なパラダイムから自由でありたい。

 今日的なパラダイムに乗じた魑魅魍魎な情報と拮抗するために、言葉と映像を濃縮して、さらなる旅をめざしたい。