第1251回 EntranceでありExitな、われわれの生

門前仲町まで、小池博史さん演出の新作舞台「ふたつのE」を観てきた。

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 小池さんという人は、止まるところを知らない。本質は変わらないのだけれど、同じことを繰り返さない。今回の舞台も、見事なまでに斬新で、美しく、ユーモアに満ちていた。

 身体と声と歌と音楽と光と美術による、ダイナミズムと間合いと絶妙なる均衡という従来の小池さんの舞台に、今回は、映像が重ねられた。すでに準備されている映像と、新たに舞台の上で作り出されていく映像と、その映像にとらえられている今この瞬間の舞台の上の現実が、三重構造になって展開して、観る者の脳を揺さぶる。そして、鏡や、人工的なミニチュア世界と、文字という、人間の観念が反映された虚構世界が、さらに重ねられる。さらに光と影の効果で、現実に越境するシルエットが、生々しい存在感を発する。

 人間にとってリアルというのは一体何なんだろう?

 人間にとっての一大事であるリアルな幸福も不幸も、実は、人間の虚と実の区別のつけにくいアブストラクトな創造状態。

 ディストピアユートピアも、人間の意識の状態が反映された仮想イメージ。

 この新作舞台のタイトルである「ふたつのE」はEntranceとExitであり、この二つは背中合わせに存在する。鏡の中と外のように。

 生と死もまたしかり。

 私たちは、私たちの現実を、どちらの側から観ているのか。それだけの違いだ。

 さらに二つのEは、Escape と Existenceでもある。囚われから逃れることと存在すること。
 われわれは、いったい何に囚われているのか? 囚われていることにすら気づかないのは、存在にさえ鈍くなっていること。

 いろいろなことを感じさせてくれる小池さんの舞台だが、驚かされるのは、即興のように見える動きや間合いやタイミングが、すべてきちんと台本にそったものであるということ。

 パフォーマーたちの動きに関しては、これまでの舞台で、稽古も見ていたから、その小池演出の奥義は理解していたが、今回、そこに映像表現のための同時進行的なカメラワークがくわわってきて、このカメラの複雑な動きを、舞台の上で、二度三度同じようにできるのかと不思議でならなかった。カメラの動きに合わせた光の使い方もそうだ。

 ある程度、即興を認めたうえで、パフォーマー達が演じながら全体を整えていくのかとも思って、舞台の後、小池さんに確認したら、当然ながら台本通りだと言う。

 静的なものに対する決められた動きではなく、また計画された一つの動きに対応する一つの動きならば、さほど難しくないかもしれないが、小池さんの舞台は、同時進行的に幾つもの動きや音が、一見するとバラバラに展開しているように見えて、実は絶妙なる均衡と調和を作り出していくという、常に複雑な展開なので、その全体を動的なカメラワークでとらえていくことは簡単ではない。そして、カメラと動的タイミングをピタリと合わせていくパフォーマー達の能力も並大抵ではない。そのカメラワークがくわわって、舞台空間にさらに重層性が増し、より全体の構成は複雑になるのだが、その複雑さを、前もって、どうやって台本にしているのか、パフォーマーたちが、どうやって互いに絶妙に響きあう動きや発声や間合いを見つけていくのかが不思議なのだ。粘土をこねていれば、なんか面白い形ができてきた、ということではないのだ。台本があるという時の台本は、どういう台本なのだろう?

 単なる設計図やシナリオではないことは確かだ。

 この感覚を言葉でうまく説明できないのだが、私は、写真(映像)に長く関わってきて、写真(映像)表現の問題について、それなりに認識している。

 一番の問題は、本来は複雑で動的な世界を、撮影者の恣意性によって、停止させて、切り取って、固定して限定してしまうところにある。わかりやすくて大勢にウケの良い表現というのは、そのように安易に世界が整理されているからにすぎない。

 小池さんが、どれほど、この映像表現の問題を意識して、今回の舞台を演出したかは知らないが、「ふたつのE」が示しているのは、映像の本質もまた、EntranceとExitという背中合わせに存在する鏡の中と外のうち、どちらの側から観ているのか、はっきりわからないものであるということだ。

 つまり、”映像にとらえられた決定的瞬間”なぞと賞賛されるケースにおいても、「決定的」という概念自体が、そのように現象を処理したい人間の都合にすぎない。

 今回の舞台は、2072年の日本が想定されている。

 そして、小池さんは、初めての長編映画「銀河2072」を作り上げた。この映画は、今年の冬、11月18日から12月1日まで吉祥寺のUPLINKで上映される。

 「ふたつのE」の舞台で、小池さんの「映像」の捉え方を体験した今、この新しい映画が、とても楽しみだ。

 20世紀は、明らかに映像の時代だった。映像は、多くの恩恵をもたらしたが、気づかないところで、多くの問題を、人間の心に植え付けている。

 その問題に無自覚な映像表現家(写真家を含む)は、周回遅れのランナーであり、もしかしたら、舞台演出家であった小池さんは、映像表現において、いきなりトップランナーになるかもしれない。

 

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