風の旅人とフリーター

 昨日から、3人の新人が、「風の旅人」の編集・営業・販路開拓部にくわわった。3人の共通点は、社会に出たばかりで若いということ。学校を卒業して、思うところがあって、就職(就社)しなかったこと。いわゆるフリーターだ。そして、なぜか「風の旅人」を10冊とも読んでいること。
 これまで、編集長兼編集者兼営業が一人、編集アシスタント兼営業が一人という状態で運営してきたので、ここらで新境地を開こうと思って、この春から採用活動を続けてきた。
 幾つもの編集プロダクションを経験した人や、関わった雑誌やPR誌などを無数に書き連ねる人も大勢いたが、なぜかそういう人に限って、「風の旅人」をあまり読んでいなかった。これはいったいどういうことなんだろう。
 私は、いわゆる編集者が欲しかったわけではなく、「風の旅人」が目指す方向性に共振する人を求めていた。編集経験というのは、あるかないかではなく、何をどのような形で仕事をし、その成果がどのようなものであったかが問われるわけで、関わったモノの数だけ誇ったところで何にもならない。
 むしろ、いろいろな枠組みを表層的に知ってしまっただけ、型にはまった窮屈な発想しかできなくなってしまうというデメリットもある。
 私自身、編集の経験がないのに雑誌を創刊し、販路を少しずつ作ってきたので、出版業界の経験者かどうかというのは、どうでもいいことだった。
 それにしても、今回採用した3人以外にも、フリーターで「風の旅人」に感銘してくれて、応募してくれた人は多かった。
 フリーターの人たちの琴線に触れる何かが、この雑誌にあるのだろうか。
 フリーターといって、一括りにしてはいけないと思うが、ある種、自分に正直すぎてフリーターをやっている人は多いと思う。
「世の中はこういうもんだよ」と、世の中の基軸に自分を当てはめて生きていくことができない人たち。

 自分の納得できる仕事がどこかにあるかもしれないと探し続けたところで、そんなものはどこにもない。理想的な環境がどこかにあって、そこに入れば納得できる仕事が可能かもしれないというのは幻想にすぎず、けっきょくは自分で作り出すしかないのだけど、その力も経験もなく、自信もない人たち。
 そういう自分をしっかりと認識したうえで、自分が所属する環境に期待するのではなく、将来の自分に期待している人。自分が納得できる仕事をいつかできるようになりたいという一念を持ち、自分を鍛えるつもりで、フリーターをやっている人。そういう人と、「風の旅人」はつながるところがあるのかもしれない。
 私も、25歳くらいまで、フリーターだったし。