第974回 競争から共創へ、利己から利他へ④ 経済合理性とは逆のところにある豊かさ

 


 

 能登半島の北部の「じんのびーと」で行われた『京ことば源氏物語 能登語り会』に参加して、帰ってきた。山下智子の源氏物語の語り会を核にして、心に沁みる様々な出来事が重なり合う催しとなった。
 第二部の「自然と伝統文化から日本を見つめ直す」という座談会に参加していただいた遠見和之さんは、能登半島の最北の地で、手漉の和紙をつくる職人さんだった。座談会ではあまり多くを語らなかったが、その作品が素晴らしく、催しの翌日、彼の工房を訪れた。手漉の和紙製造の工程の中に、紅葉や桜など様々な植物を漉き込み、その偶然の配置が絶妙で、一枚一枚に見惚れた。インターネットで画像をアップしても、その質感の素晴らしさは伝わらない。実際に間近で見て、手で触れてこそ、その価値がわかる。一枚の手漉の和紙を求めて、こんなところまで足を伸ばす人は稀だろうが、足を伸ばした人間にしかわからない世界がある。
 能登半島で「源氏物語」の語り会を行うことについても、一体どれほどの人が来てくれるのかと、主催者のマスノマサヒロさんは、本番まで心配で胸を痛めていたに違いない。経済合理性のことだけを考えていたら実現しないことはたくさんある。しかし、経済合理性のことばかり考えて行っていることは、果たしてどれだけ人々の心に深く残っているのか。日本各地の祭りなんかにしても、テレビが取り上げ、観光気分の大勢の群衆がおしかけ、マナーも悪く、かつての神聖さがすっかり失われてしまい、ただそこに行ったというだけで、心に何も残らないものが非常に増えてしまった。安易な気持ちで行けるところでは、安易な気持ちで来ている人にしか会えない。無料のイベントよりも、きちんとお金を払うイベントの参加者の方が、マナーはいいし、真摯で、感謝の心がある。
 この種の催しで、わざわざ能登まで足を伸ばしてくれる人たちは、ベルトコンベアーに乗せられたような人生を歩んでいない。その分、紆余曲折があり、悩みも深いけれど、だからこそ一言一言に深みがあり、対話が豊かになる。そう思って、催しを提供するだけでなく、座談会とか、宿泊付き!時間無制限の自在な対話の場を設けることを提案させていただいた。参加者も含めて、みんなで創り上げる催し。その分、主催者のマスノさんは大変だったろう。自分の利益や都合ばかり考えていたら、こんな大変なことはできない。
 座談会に参加していただいた高市さんの蕎麦は、天下一品だが、高市さんは、自分が創る物へのこだわりが深いゆえに、能登の工芸品や食べ物に関する情報も信頼できる。以前、マスノさんと一緒に高市さんにお会いした時、どこか宿泊するのに面白いところはないかとお聞きしたところ、輪島の近くの漁師民宿を教えていただいた。その宿で、早朝4時に起きて、漁師の方々と一緒に船に乗せていただき、鯛漁を体験させていただいた。船いっぱいの鯛に度肝を抜かれた。朝、網にかかった鯛が朝市で競りにかけられているところや、その後、鋭い眼光で競りに参加していた老婆が、輪島の商店街の露店で売りさばいているところまで追いかけることができた。
 源氏物語の語り会も素晴らしいが、その副産物が非常に豊かな催しだった。その会場となった「じんのびーと」で、マスノさんが自分で焙煎した豆を挽いて、おいしいコーヒーを何回か用意してくれた。そして、おいしいコーヒーの淹れ方を教えてくれた。家に帰って、その方法で、コーヒーを淹れてみたら、今までとまるで違うものになった。少しだけ時間と手間をかけて淹れたうまいコーヒーを飲むだけでも、暮らしの時間が、ひときわ豊かになる。経済合理性のことを考えていたら、決して得ることができない喜びや味わい。多くの人は、できるだけ便利で快適に、不安や悩みもなく、ただ楽しいだけの営みを求めているのかもしれないが、濃密で豊かなものは、その逆のところにあることが多い。
 濃密で豊かなものとの出会いは、時に、自分の無力さを痛感し、辛く感じることも多いので、そちらの方が幸せだとは簡単には言いきれないが、物事の有り難みが身にしみて、自分の心が洗われることは間違いない。
(写真は、遠見さんの手漉き和紙と、その工房)

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