大阪のphoto gallery Saiで、写真家の小池英文さんが、「瀬戸内家族」というテーマ
小池さんの写真は、風の旅人でも何度か紹介させていただきました
テーマは、「風土と人間」です。
風土は、気候、地形、地勢、その環境が育てる世界観、文化、その
日時: 12月3日(火)19:00~21:00
参加費: 1,500円(入場料+ワンドリンク+軽食付き)
会場:〒553-0002 大阪市福島区鷺洲2-7-19 tel: 06-6452-0479
申込方法:akasaka.tomoaki@gmail.com まで
メールのタイトルに「トークイベント「風土と人間」参加希望」と
なお、写真展詳細、並びに会場アクセスについては、http:/
これを機に、ギャラリーに展示されている瀬戸内の写真も、じっく
どうぞよろしくお願いいたします。
現在の東京を首都とする日本では、瀬戸内海はかなり中心から遠いという印象がありますが、奈良や京都に都があった時代の方がはるかに長いわけで、都への入り口にあたる瀬戸内海は、歴史や文化など、日本という国を形作るうえで大切な場だったと思います。
瀬戸内海の和んだ空気も、本来の日本人の気性にあったもので、昨今の慌ただしい時の流れの中で蝕まれていくものを、再び取り戻すための何かが、瀬戸内海の風土のなかにあるのではないかと、ふと思ったりします。
風土は人を育てます。コンクリートジャングルの中で育つものは、そこにあるもので心身を作っていくわけですから、コンクリートのようなものにならざるを得ない。頑丈だけれど、熱いか冷たいかのどちらかで、温もりがない。
瀬戸内海にいると、見えるのは海だけでなく、山や森も大事な風景。都会で生きていると日本が島国であるということを忘れてしまいますが、島国の中に歴史文化を蓄積し、そのネットワークを広げてきたことがもっとも伝わるのが、瀬戸内海なのかもしれません。
私は、18歳まで明石の海のそばで育ちました。
家の窓から明石海峡が見え、朝の新聞で大型船が通る時間を確認して、海のかなたを眺めていたものでした。
当時、日本の造船は世界一で、世界一の大きさを誇るタンカーが明石海峡を通過していくこともありました。
高校三年生まで、夏休みは、ほぼ毎日のように海で泳いでいました。明石海峡の波は高くないのですが潮の流れは強く、沖合に出ると西か東にかなりの力で運ばれます。なので、前もって、西か東にずれたところから沖に向かいました。波打ち際でバシャバシャするのではなく、沖合に出て、波の上で仰向けになってプカリと浮かんでいることが好きだったのです。
小学生の頃、私は魚釣りはあまり好きではなく、わかめ採りに夢中になっていました。
家でのご飯のおかずは魚ばかりで、魚が嫌いだったのです。魚が美味しいと思い始めたのは、高校を卒業し、20歳の時に海外に放浪に出て、2年後、日本に帰ってきてからです。その時初めて、明石の魚がこんなにも美味しいとは!と、感動しました。
なので、子供の頃、魚を釣って家に持ち帰っても、おかずに出されるのは嫌だし、どうすることもできないので、あまり魚釣はやりませんでした。
わかめ採りは、竹の棒の先に針金で熊手のような細工をして、流れているわかめをすくい取るのです。沖合のテトラポットのある場所に、大きなわかめが漂っていることが多く、その上に立って、竹の棒を波間に伸ばしていました。日に照らされて海面がキラキラと輝き、その波間に黒いわかめの影を見つけて、引っ掛けるだけです。放心したように海面を見つめながら何時間もやっていました。
バケツいっぱいになったわかめを持ち帰ると、母親は喜んで、一緒に物干しなどにわかめを掛けて干しました。乾燥させると保存がきくのです。
あのわかめ採りのようにぼんやりと海面を見つめながら時間を過ごす感覚は、自分が一番好きな時間のような気がします。
私は、長年、グラフィック雑誌を作ってきて、多くの写真家と知り合いになり、彼らから私も写真を撮るように勧められていましたが、写真を見ることが仕事でも、自分自身が一眼レフカメラなどでパシャと写真を撮ることが、身体的にピンとこなかったため、あまり真剣に写真を撮ってきませんでした。
海外や日本の聖域は、若い頃からずっと訪ねてきましたが、技術の問題などあるかもしれないけれど、自分がカメラで撮影した写真を見ても、その現場にいた感覚が写っていない。リアリティがないという気持ちでした。しかし、3年ほど前、ピンホールカメラで写真を撮ることを始めて、自分の生理感覚にあっているという気がしています。
樹木や岩や古墳や廃墟などの前に、レンズもシャッターもないピンホールカメラをセットして、数分間、放心したように、ほとんど何も考えず、待つだけです。
長時間露光によって、0.2mmの小さな穴に光が差し込んで風景がフィルムに焼き付けられるのです。
それを待っている時の感覚がとても心地よい。周りの気配と一つになる感覚です。もしかしたら、この感覚は、小学生の頃のワカメ採りの時の感覚と似ているかもしれない。最近、ふとそう思いました。
子供の頃、育った風土の記憶というのは、そのようにして身体の奥深くに刻まれており、無意識のうちに、その後の人生に働きかけてくるものだと思います。
*ピンホールカメラで撮った日本の聖域→https://kazesaeki.wixsite.com/sacred-world